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 since August 2008

日本軍「慰安婦」問題の解決にむけて活動するHPを紹介します。

アイウエオ順で紹介しています。
案内の文章は、基本的にHPにある自己紹介です。
リンクはこれからも増やしていく予定です。

「慰安婦」問題ってなーに? 「慰安婦」問題にとりくむ福岡ネットワーク
 私たちは関釜裁判(韓国・釜山とその近郊に住む元日本軍「慰安婦」と元女子勤労挺身隊の方々が日本国を相手に下関の裁判所に訴えた裁判)を支援してきたメンバーが中心となり、女性問題や戦争責任問題を考えてきた人々とともに行動しています。日本による戦争の被害女性のことを忘れない、次世代に記憶をつないでいきたいとの思いでこのブログを開設します。
 「慰安婦」問題を知らない世代が増えているなかで、橋下氏の発言により、日本が起こした戦争の評価、軍隊と性の問題、買売春の評価など多くの論点が投げかけられていますので、準備不足ではありますがこのブログの公開を急ぎました。よろしくお願いいたします。
女たちの戦争と平和資料館(wam)
 2005年8月、敗戦から60年目の夏に、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館(wam)」は新たな闘いの一歩を踏み出しました。日本国内には数々の平和資料館がありますが、ここは唯一、「慰安婦」問題に特化した「慰安婦」問題の記憶の拠点です。
 wamは、故松井やよりの遺志を受け継ぎ、日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷の開催に取り組んだ女たち、女性の人権のために闘ってきた女たちが集まり運営していますが、私たちの活動を支え、動かしているのは、女性への暴力根絶を願い、非暴力・非差別・男女平等・平和な社会の実現を願うたくさんの人たちの熱い思いとエネルギーです。「アクティブ・ミュージアム」という言葉には、「慰安婦」問題の真の解決をめざし、二度と、このようなことが繰り返されないため、過去の不正義を正し、女性の人権を守り育てていく活動の拠点にしていきたいという女たちの思いが込められているのです。
関釜裁判を支援する会
 関釜裁判を支援してきた団体のHP。1992年韓国釜山市などの元日本軍「慰安婦」と元女子勤労挺身隊の計10人が、日本国の公式謝罪と賠償を求めて山口地裁下関支部に1992年12月以来3次にわたり提訴。そして、6年後の98年4月24日、「慰安婦」原告に一部勝利判決を得ました!(下関判決)この判決は元「慰安婦」被害者に対する戦後の国の立法不作為を認める画期的判決です。しかし、3年後の2001年3月29日、広島高裁は元慰安婦原告に対して「逆転敗訴」・元挺身隊原告に対して「全面棄却」の判決を出しました。2003年3月25日、最高裁で上告棄却・上告受理破棄、敗訴確定。
 裁判が終わった後も、日本軍「慰安婦」問題の解決に向け、精力的に活動しています。
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画 京都
 日本軍性奴隷問題(いわゆる「従軍慰安婦」問題)の解決を目指し、京都や全国各地や韓国の仲間たちとともに活動をしています。2004年より活動を開始。今年08年で活動5年目を迎えます。
 京都では04年に韓国から李容洙さん、05年にフィリピンからピラール・フリアスさん、06年に台湾から呉秀妹さん、陳樺さん、イアン・アパイさん、07年にフィリピンから再びピラールさんとナルシサ・クラヴェリアさんをお招きし、証言をお聞きしました。
 毎月第一水曜日には水曜行動を、年間を通してさまざまな企画を開催しています。
 また、京都にお招きした被害女性に会いに行くツアーも行っています。
在日の慰安婦裁判を支える会
 「在日」で唯一名乗り出て裁判を闘ってこられた宋神道さんを支える会。裁判は、1999年10月東京地裁、2000年11月東京高裁で請求棄却、2003年3月に最高裁でも上告を棄却され、敗訴が確定しました。しかし裁判で闘い、証言し、支援者と交流する中で、宋神道さんは被害回復の道を歩みだしたのです。
 「裁判に負けても、オレの心は負けてない」
 敗訴確定後の最後の裁判報告集会での宋さんの言葉です。裁判に負けても、負けた気がしない。そう言い合える関係が、宋さんと支える会、支援者たちとの間で築かれた10年だったのです。支える会はそんな宋さんの姿、変化の過程をカメラにおさめ、映画化しました。現在は宋さんへの支援活動は言うに及ばず、映画「オレの心は負けてない」の上映運動を展開しています。
重重プロジェクト

 90年代より「慰安婦」問題をテーマに被害者女性たちを撮り続け、韓国で初めて中国残留朝鮮人日本軍「慰安婦」のハルモニたちをテーマにした写真を発表した写真家安世鴻(Ahn Sehong)を代表とし、写真という人々の心を動かし感動を与えることのできるアート活動を通して、この問題の解決策を探るひとつのきっかけにしたい!という気持ちで立ちあげられました。
 2011年より日本国内各地で安世鴻写真と講演会を開催し、多くの方々がハルモニたちの写真を見て、この問題の解決を重大で深刻な課題として持ち帰って下さいました。それは、写真が見た人の心に直接届いているからだと確信しています。。

水曜デモin長田ブログ
 日中戦争(十五年戦争)・アジア太平洋戦争中、日本軍は兵士たちの性的欲求を満たすため「慰安所」をつくり、植民地や占領地にいる数多くの女性たちを強制的に性奴隷としました。「慰安婦」とされた女性たちは、繰り返し性暴力と虐待を受けました。日本の敗戦により解放されたはずの被害女性たちは、日本軍兵士に無理やり性行為を強要され、辱められたことを誰にも言えずに長い間生きるしかありませんでした。しかし日本軍の関与はなかったという日本政府の対応に、90年代になって一人、二人と名乗りを上げ事実を話し始めました。それにより日本社会においてもやっと日本軍「慰安婦」の存在が知られるようになりました。 被害女性たちは日本政府に、真相究明、公式謝罪、国家賠償、責任者処罰などを求めて声を上げ始め、韓国では日本大使館前で1992年1月8日から毎週水曜日にデモが続けられてきています。
 私たちは、すべての日本軍「慰安婦」問題の被害女性と連帯すべく第三水曜日に水曜デモを行います。
戦後70年 東アジアの未来へ!宣言する市民
 今年2015年は、敗戦から70年目です。台湾・朝鮮半島および中国をはじめとするアジア・太平洋の国々においては、日本の侵略・植民地支配からの解放70年目です。さらに、日韓条約から50年、「村山談話」発表から20年という、大きな節目の年です。
 敗戦後、日本は「日本国憲法」で、戦争放棄、軍隊を持たないことを宣言しましたが、これはアジア・太平洋の人々にはもちろん、世界への平和のメッセージになりました。しかし、多くの人々に甚大な犠牲を強いた侵略や植民地支配の加害責任については、国際社会では「冷戦」のもと徹底した追及は行われず、国内でも復興を優先し、不問に付したまま戦後はスタートしたと言えます。
 そのため、日本政府は1980年代に入って、歴史的事実を否定する教科書検定や首相の靖国神社公式参拝等、被害者を踏みにじる姿勢をあらわにし、被害国と人々の大きな怒りに火を点け、対立を生む契機となりました。その後、1990年代に「河野談話」と「村山談話」が出されましたが、一方、国内に歴史修正主義の潮流の台頭も許してしまいました。
 そして、ついに安倍政権は多くの反対の声を無視して、日本を再び「戦争をする国」にしようとしています。今、安倍首相は改憲をめざしており、「安倍談話」を出すと明言しています。歴史をわい曲し、過去の清算を求める被害者の訴えをことごとく退けてきた安倍政権では、平和な未来を指し示すことはできないのは明らかです。
 私たちは、慰安婦、強制連行、南京虐殺等の計り知れない犠牲をもたらした自らの歴史に誠実に向き合い、過去の清算を果たす勇気を持ち、平和憲法を守り発展させることこそ、平和な未来への道だと考えます。戦争は、また国内にも、原爆、空襲・沖縄戦等による多大な被害を生み出したことも忘れてはなりません。
 戦後70年を迎える今年、市民から平和への宣言を出し、東アジアの人々とともに平和を作り出す礎を築いていこうではありませんか!
戦争と女性の人権博物館 日本建設委員会
 「博物館を建てて、私たちのことを歴史に残して欲しい」という被害者たちの要望から、建設が計画された「日本軍『慰安婦』の名誉と人権のための戦争と女性の人権博物館」。ソウルの西大門独立公園内に敷地を確保し、2009年3月にはいよいよ着工式を迎えようとしています。日本軍「慰安婦」被害者の被害とたたかいの歴史を記憶にとどめ、現在も続く戦時性暴力を告発し、このような暴力を根絶するための教育の場、被害女性の人権回復と世界平和を実現するための場として博物館を建設しようと、韓国でも、日本でも、様々な取り組みを行っています。
「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW−NETジャパン)
 1997年秋、東京で20か国から40人の海外参加者を招いて開いた「戦争と女性への暴力国際会議」をきっかけに国際的なVAWW-NETが発足、過去から現在までの戦時・性暴力について国境を越えた連帯行動が始まりました。 この国際会議実行委員を中心に「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)が1998年に発足しました。
 「慰安婦」問題では2000年「女性国際戦犯法廷」を提案し、被害国などとともに主催しました。
 女性国際戦犯法廷では2001年12月4日ハーグにおいて、ジェンダー正義に基づいた画期的な判決が下され、民衆法廷の歴史に新たな到達点を刻みました。
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010
 日本軍による性暴力を受けた被害者に対して、日本政府が謝罪と補償を早急に実施することを求める団体・個人のネットワークとして2010年2月7日に設立。全国9ブロックに連絡先を置き、多くの団体と個人が賛同・参加しています。
 各ブロックにおいて地元議員に説明・働きかけを実施するとともに、韓国の被害女性や支援者・地方議員・専門家等を招いた院内集会の開催や、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める61万余筆の国際市民署名を政府に届けるなど、謝罪と補償の早期実現を目指して活動しています。
 「慰安婦」問題の解決を願い、被害国の支援団体とも連帯して活動を行っています。
日本軍「慰安婦」問題行動ネットワーク
 各国の日本軍「慰安婦」被害女性たちの支援行動および裁判支援などをしているグループが参加しているネットワークです。2005年第7回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議を期に結成しました。
 「慰安婦」問題の解決を願い、被害国の支援団体とも連帯して活動を行っています。
日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める請願署名実行委員会 (京田辺市)
 日本軍「慰安婦」問題に対し政府の誠実な対応を求めた意見書を、京田辺市議会で可決してもらうよう請願署名を集める実行委員会です。
ハイナンNET
 中国海南島で起きた戦時性暴力被害事件の裁判支援をしている、10代〜30代前半の若者を中心とした集まりです(ハイナンは海南の現地での読み方です)。2005年に、被害者の林亜金さんの来日をきっかけに発足しました。
 大学で日本や東アジアの歴史、法律を勉強していた人もいますし、最初は詳しく知らないまま友だちに誘われて始めた人まで、いろんな人がいます。
 被害女性たちの奪われてしまった人権を取り戻したい。植民地や戦争の歴史に取り組んで、東アジアの人たちとより良い関係を作っていきたい。戦争や性暴力が繰り返されない未来を作っていきたい。そんなことを目指して集まっています。
FIGHT FOR JUSTICE 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任
 日本軍「慰安婦」問題の解決をめざし、日本軍「慰安婦」制度に関する歴史的な事実関係と責任の所在を、資料や証言など明確な出典・根拠をもって、提供すること
 ――これが本サイトの最大のミッションです。
 そのために、これまで20数年間にわたり、「慰安婦」問題の真相究明と問題解決に取り組んできた日本の戦争責任資料センター、「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター(VAWW RAC/VAWW-NETジャパンの後続団体)の2団体が中心となり、2013年1月に日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会を立ち上げ、本サイトの趣旨に賛同する研究者・専門家、技術者、ジャーナリスト、アーティスト、市民運動団体などの協力と連携をえて、「慰安婦」問題の事実関係に特化した、専門的で信頼できるwebサイトをオープンすることになりました。
みんなで考える「慰安婦」問題
 「慰安婦」問題の解決に向けた意見書可決をすすめる会のブログです。とても情報が早いです。
 関西を中心に、国に慰安婦」問題の解決を求める地方自治体からの意見書可決をすすめる取り組みを行っています。
「もうひとつの歴史館・松代」建設実行委員会
 長野県の松代(まつしろ)でアジア太平洋戦争末期に造られた松代大本営地下壕と「慰安所」、私たちが創ろうとしている「もうひとつの歴史館・松代」についての紹介を主な目的としています。
 「歴史館」では、戦時中の松代大本営地下壕造営工事に伴う強制連行・強制労働や「慰安婦」制度の事実を踏まえながら、今、ここに生きる「私」につながる過去を見据え、これからどのような未来を紡いでいくのかを考えるきっかけを手渡す、−そのような場を目指します。
YOいっション (YOSHIMI裁判いっしょにアクション)
 外国特派員協会での橋下大阪市長の記者会見の場で、日本維新の会の桜内文城衆議院議員 は、「慰安婦」問題に関する僕の本を「捏造」であるといい、多くの証拠で明らかにされているとまでいいました。研究者の研究成果を捏造であるというのは、 その研究者に対する重大な名誉毀損に当るだけでなく、その人格までも否定するものですから、やむをえず提訴しました。第一回口頭弁論で、桜内氏は「慰安 婦」が性奴隷だというのは「虚構の事実」の捏造だと主張していますので、これも争点になると思います。徹底的に論破していきたいと思います。ご支援をお願 いいたします。