8・10関西フォーラム 
―「慰安婦」決議に応え 今こそ真の解決を!―
バトンは今私たちの手に!

集会での追悼の時間


 2007年7月、アメリカ下院議会で日本軍「慰安婦」問題の解決を求める決議が採択されました。この決議に心血を注いだ人々がいます。その名も決議名にちなんだ「121連合」。高校生を含む普通の市民たちです。今回私たちはその中心となった草の根運動のリーダー、アナベル・パクさんと、2007年12月EU議会による緊急決議を引き出したアムネスティ国際事務局のキャサリン・バラクロウさんを招請することができました。
 2008年8月6日の来日以降、7日午前には衆参両議院の議長、副議長を各々訪問、午後には参議院会館にて院内集会、8日に東京集会、9日に名古屋集会、10日に関西フォーラム、そして11日には福岡と北海道に分かれて集会参加、12日に帰国という超過密スケジュールを精力的にこなした2人。彼女たちの経験と訴えは確実に人々の心を動かしたことでしょう。
 8月10日、ドーンセンターで開催された関西フォーラムは終日ほぼ満杯の560人が参加しました。ピラール・フリアスさんは被害証言とともに、自ら作った「慰安婦の人生」という歌を披露、哀切な曲は多くの言葉より聴く者の心を揺さぶりました。リラ・ピリピーナのレチェルダさんはフィリピンの運動状況について語り、今も米軍基地で繰り返される女性に対する暴力がやまない限り、性奴隷となった被害者の心が安らぐことはないと語りました。
 アナベルは、時には涙しながらこの間の米議会行動について報告しました。何百万ドルを費やし、3人のロビイストを雇って議会決議を阻止しようとした日本政府の巨大な力に打ち勝ったのはたった50人ほどのお金も権力も持たない市民たちだったという驚愕すべき事実! そして、支配者たちが否定し続ける限り問題は終わらず、被害者が負った傷は血を流し続ける一方、日本政府が事実を認めたとき、受けるのは非難ではなく、信頼と尊敬だと強調しました。
 キャサリンは女性への暴力撤廃に向けたアムネスティの取り組みを紹介、そのために日本軍「慰安婦」問題解決が欠かせないと語りました。両者に共通するのは、決議が決して日本政府非難を目的とするのではなく、現在も世界中で女性たちが暴力にさらされている現状に歯止めをかけるためにも、戦争と暴力の象徴的存在である日本軍「慰安婦」問題の解決は不可欠だという信念です。

 今回予定されていた海外からの国会議員招請は実現しませんでしたが、日本の国会議員、市議会議員らが次々と駆けつけ、この集会を見守りました。私たちは今後、志ある市民、議員とともに、宝塚市議会、清瀬市議会に続いて日本各地の議会で決議をあげること、補償立法を実現することなど、私たちに残された課題を果たすべく、努力していくつもりです。

 さあ、今度は私たちが渡されたバトンを持って走る番です。
 被害者の方々が生きておられる間に・・・。
 残された時間はもうありません!
ロラとレチェルダさん フィリピンから 多くの方に参加いただきました
アナベルさん アメリカから キャサリンさん EUから

関西フォーラム 日本政府は「慰安婦」決議に応え、今こそ真の解決を!

 昨年730日、アメリカ下院議会は「日本軍が女性を強制的に性奴隷にした」ことを「公式に認め」「謝罪する」よう日本政府に求める決議を全会一致で可決しました。続いて11月にはオランダ下院議会とカナダ下院議会で、12月にはヨーロッパ連合(EU)議会で、同様の決議が可決されました。

 これまでも国連人権委員会、ILO条約専門委員会や女性差別撤廃委員会など様々な国際機関で勧告決議がなされてきましたが、さらに今年5月に開催された国連人権理事会でも、「慰安婦」問題に関連して、日本政府に早期の解決を求める勧告が出されました。 

 にもかかわらず、日本政府はいまだに日本軍「慰安婦」被害者に対し、公式謝罪も補償もせず、真相究明や責任者の責任を問わないばかりか、教科書からその記述を消し去り、無かったことにしようとしています。
 
日本政府は1993年の河野官房長官談話で「慰安婦」問題について日本軍の関与を認め、「お詫びと反省の気持ち」を表しましたが、これは政府の公式謝罪とはいえず、その後も閣僚を含め政府の高官らによる「慰安婦」問題に対する国の責任を否定する発言が繰り返されてきました。昨年は安倍前首相自ら「狭義の強制性を裏付ける証拠はなかった」、「決議があったからといって謝罪するつもりはない」と発言、大きな非難を浴びました。多くの議員や著名人が名を連ねたワシントンポスト紙の意見広告でも「将校よりお金をもらっていた」など、被害者たちの尊厳を踏みにじる記述があり、アメリカ議会内で怒りをかったといわれています。昨年の各国議会決議のなかで「明確で、あいまいさのない公式な形で責任を認め、謝罪すること」が強調されたのも、まさにこのためです。

 日本軍「慰安婦」被害者として金学順さんが初めて名のり出られたのは1991年の8月でした。あれから17年におよぶ被害者、支援者らの粘り強い闘いがあり、民間による調査・研究はたゆみなく前進してきました。また、今年3月、兵庫県宝塚市議会で「慰安婦」問題の解決を求める意見書が可決されたのを皮切りに、6月には東京都清瀬市で同様の意見書が議決されました。これに続こうと大阪をはじめ、各地で請願署名が始まっています。

 こうしている間にも被害者の訃報が次々届けられ、名のり出られた方々の半数以上が亡くなっておられます。戦場で無残に殺された被害者たち、過去を語ることなくこの世を去られた多くの被害者たち、そして、名のり出た後までも心無い言葉に苦しめられてきた被害者たち。すべての被害者が受けいれることのできる公式謝罪を届けてこそ、罪の償いができるでしょう。

 時間がありません。一刻も早く解決をはかることで、かつての戦争を美化し、憲法改悪をはじめとする戦争準備に向かう日本政府を押しとどめ、平和への道を歩ませることができるのであり、それは日本が戦時性暴力根絶にむけて歴史的一歩を踏み出すことにもつながるでしょう。

 私たちは次のことを日本政府に要望します。

  1.国家の法的責任を認め、被害者に対して公式謝罪を行うこと
  2.立法による真相究明と国家補償を早急に実現すること
  3.日本軍「慰安婦」問題を、歴史教科書に記述すること


2008810

「慰安婦」決議に応え 今こそ真の解決を 関西フォーラム 参加者一同


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「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ心に刻む集会」
第22回報告はこちら
関西フォーラムもこの一連の行動の一環として開催されました