11.25女性に対する暴力撤廃国際デー
日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める国際署名 提出行動

「緊急120万人署名」155,651筆を集約!
国際的に取り組まれた署名とあわせ、
総数610,832筆を政府に提出!


 女性に対する暴力撤廃国際デーである2010年11月25日午後、国会衆議院第一議員会館にて、私たちがこの間取り組んできた「日本軍『慰安婦』問題の立法解決を求める緊急120万人署名」の提出行動を行いました。これまで「緊急120万人署名」にご協力いただいた皆様、本当にありがとうございます。
 おかげさまで「緊急120万人署名」は155,651筆を集約することができました。
 この「緊急120万人署名」は日本の人口の1%という趣旨で名付けられました。残念ながら人口の1%には遠く及びませんでしたが、それが0.1%であっても十分な数であったと思います。また多くの方の気持ちがこもった署名です。とても意味のある署名です。
 また日本に住む人だけでなく、海外からも署名が寄せられました。ドイツでも「水曜集会」でこの署名が取り組まれました。ネットを通じて、アメリカ、カナダ、ドイツやスイス、オーストラリアなど欧米の文化圏から、韓国や台湾、香港、マレーシアなどアジアの各地から、数は少なかったですが南アなどアフリカの国からも署名が寄せられました。
 そういう、ひとりひとりの思いが集積しての155,651筆です。

 この署名を取り組むことで、私たちは多くの人とつながっていることを本当に実感しました。被害者の尊厳を求めるこの闘いは、閉塞するこの日本社会において、まさしく希望の光です。
 この署名提出行動は「緊急120万人署名」に加え、国際的に取り組まれている署名と共同で提出されました。
 「緊急120万人署名」の提起は、被害国各地に伝わりました。韓国では「50万人署名」が取り組まれ、フィリピンと台湾でも支援団体によって同趣旨の署名が取り組まれました。提出行動が国際的に取り組まれたことは、国会議員たちにも強いインパクトを与えたことでしょう。

 この日提出された署名総数は610,832筆。
 内訳は以下の通りです。

1) 日本の市民を中心とした「緊急120万人署名」  155,651筆
2) 韓国の市民による「緊急50万人署名」  417,948筆 
3) 韓国慶尚南道の市民によるハガキ要請書  20,885枚
4) フィリピンの被害者・市民による要請書  10,494筆
5) 国際連帯署名  5,546筆 
6) 台湾の署名  308筆

 提出行動が行われた衆議院第一議員会館には370人の市民が参加し、会場がいっぱいになりました。
 また多くの市民に加え、国会議員12名、議員秘書14名の参加がありました。その日の国会は補正予算の審議、そして前々日に起こった北朝鮮の延坪島砲撃事件による集中審議で大変忙しい状況ではありましたが、そんな中でも少なくない国会議員の方にご参加いただきました。
 まさに今、被害者の尊厳回復のためには立法解決しかないのだと、そう決意に満ちた集会になりました。
 集会には多くの被害女性が参加されました。
 韓国から吉元玉ハルモニ、李秀山ハルモニ、金福得ハルモニ、林貞子ハルモニ、金京愛ハルモニが、そして在日で唯一裁判闘争を闘いぬかれた宋神道ハルモニが参加されました。ハルモニたちはみな80代から90代と高齢で、この場にいるのも辛そうでした。そんな疲れた身体をおしてこの集会に参加されること自体、参加者や国会議員には衝撃でした。
 私たちには残された時間が少ない、今この問題を解決させなければ、私たちは将来に大きな禍根と後悔を残すことになるだろうと……そう実感せざるを得ません。

 集会での順番とは異なりますが、まずは被害者の証言をみなさんに知ってほしいと思います。
 実際に被害者の話を聞いて、本当に私たちには時間がないのだと実感させられました。

吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニ 切々と訴えかける
「『慰安婦』問題が解決できなければまた戦争が起こる」
 胸の痛い話は語り尽くせません。70年間悪夢を見続けた私がみなさんにどんなよい言葉を発することができるでしょうか。唯一言えるのは、皆さん個々人の家庭に幸せがいっぱいであるよう祈っていますということです。家庭が幸せであれば皆さんのように社会に出て運動もできるんでしょうけれども、家庭が不安だったらこのような活動もできないですね。皆さんの家庭に幸せがいっぱいであるように願ってやみません。
 私は13歳で連れて行かれ、今は83歳です。70年が経ちました。65年前に韓国はは日本から解放されたといいますが、私たち「慰安婦」被害者たちは、解放はおろか、どうやって私たちの存在を隠すことができるのか、どうやって隠れて住み続けられるかばかりを考えた40年、50年だったと思います。だけどみなさんがこの問題のために一生懸命やってくださることがとてもありがたく思って、このように外に出て歴史の真実を明らかにして、「慰安婦」という険しい問題を解決し、世界から戦争をなくし、このように胸の痛む存在を二度と作り出さないということのために活動するようになりました。
 この場にいらっしゃる皆さん、またこの場にはいない若い人たちやご年配の方、もう一度深く考えてみてください。もし自分の親、自分の子どもが私たちと同じ処遇におかれたと想像するならば、皆さんはどうでしょうか。私たちの行動に反対するために、この議員会館前でうるさくガヤガヤする人たちの声を聞きました。その人たちも私たちに反対する前に考えて欲しいです。もし自分たちが戦争に連れて行かれ、そこで殴られたりすることを想像するならば、今と同じ事ができるのでしょうか。
 人々は解放されたと喜びましたが、私はさらに過酷な生活を強いられました。私たちが残酷なことをさせられたとき、皆さんはまだこの世にはいないですよね。外で反対している人たちもまだ生まれていないと思います。見たこともなく、やられたこともなく、他人のことだから、色々なことを言い反対することもできるでしょう。しかし一度くらいはこのような問題があったということを、ゆっくりゆっくり考えて、どうすることが正しい道なのかということを考えて欲しいです。私たちは日本に、お腹が空いたからご飯をくれ、貧乏だからお金をくれと言っているわけではありません。ただ私たちの人権を回復して、この残酷な真実を明らかにすることを願っているだけです。人間ならば、自分が誤ったことをすれば謝罪をするでしょう。当時は生まれていないから分からない、おじいちゃんのことだからわからないと言う人も多いでしょうけれど、政治家はそのように考えたらダメです。私たちの話を聞いて、私たちの存在が二度と生まれたいためには戦争をなくすべきだと考えて欲しいです。もし戦争がまた起きたならば、私のような存在がまたうまれないということは保証できないからです。
 私たちのことのために一生懸命多くのことをやってこられたとは思いますが、より多くのことをやってくださるようお願いします。この「慰安婦」問題が解決できなければまた戦争が起こります。
宋神道(ソン・シンド)ハルモニ 収まらぬ怒り
「朝鮮の女は戦争が終わっても自分の国に帰れない。こんな情けない戦争がどこにあるか!」 
 何しゃべればいいのか。何でもいいのか。あんまり私が長いと…。みなさん、まっこと歯はないし、話せばもれるし大変だけれども、みなさん本人のためにもなるからよく聞いてください。
 戦争やってもいいけれど、武器持たないで戦争やったらいいんだ。武器持って人殺して、そんなバカなことはダメ。オレのしゃべってることは他人事ではなく自分のことだからよく聞いて。私が一番悔しいのは、嫁に行け嫁に行けったって何のことだかわかんねえし、義母にはいじめられるし……。ケンカは好きなんだけれど、「慰安婦」はいやなんだね、やっぱりね。だから日本の軍隊は「慰安所」作って、はめたいだけはめて、戦争たたかって、くたばった奴は幸せだけれど生き残った奴はみな可哀想なのよ……そういう戦争は再びしちゃならない。
 そう思って裁判までやったけれど、(裁判官のこと)馬鹿は死ななきゃ治らない。幾ら政治家が頭いいったって、政治家の口車には乗らないこと。戦争なんかしなくったって、くたばるときにはくたばってしまう。88歳までくたばらなくて、いつくたばるのか。戦争はダーメなの。だから戦争しないで、戦争はおもしろくやってるかも知れないけれど、戦争はダメ。だから戦争しないでおもしろく生きて……ここに政治家は来てるのか?!
 政治家が戦争したかったら、自分の娘を「慰安婦」に差し出して戦争やったらいいんだ。朝鮮の女は戦争が終わったって、自分の国に帰れねえの。こんな情けない戦争がどこにあるか!
 金がほしいんでなく、戦争を起こさないことが一番大事! 分かるか?!
李秀山(イ・スサン)ハルモニ 涙ながら訴える
「どうか私の恨(ハン)をはらしてください」
  わたしたちの痛みを慰め、取り除いてくださるために活動してきたみなさんに深くお礼を申し上げます。少女時代に何もわからないまま、惨めな立場で連れていかれたのですが、私たちの悔しい気持ちを慰めてくださり。また名誉を回復するために皆様にご尽力いただいて、心より感謝を申し上げます。
 私は口べたですが、62年以上心の奥底にひそめていた秘密をお話ししたいと思います。私は中国の黒竜江省に17歳で連れて行かれ、軍隊の「慰安所」で生活をしました。1945年に解放されたので、中国の朝鮮族の抗日義勇軍の共産党員と結婚し、80歳になるまでの55年間をいっしょに暮らしました。彼と結婚生活を送る中で、周囲の人たちに、自分の過去を知られるのではないかと、毎日のように震えていました。心が辛く我慢できず、一緒に暮らしている夫の前で涙を流す時もありました。彼は世の中のことがよく分かる人だったので、朝鮮が植民地であったこと、また南京で何万人もが虐殺され、三光作戦でたくさんの中国人が日本軍の犠牲になったことなどを教育してくれました。彼の助けで心が少しは楽になりました。彼の死後に韓国に来たのですが、大邱市民のみなさまの助けをいただいています。
 (泣きながら)みなさんが私の心の中に深く残っているしこりを取ってくださいますように、お願い申し上げます。私一人の力では、決して成し遂げることはできません。日本や韓国の市民団体の皆さん、また韓国の国会議員の皆さん、日本の国会議員の皆さん、どうか私の恨(ハン)をはらして欲しいと思います。私の心の中にはもっと苦い気持ちがあり、私の体には殴られた跡や刀傷など様々な傷があります。
 どうか私の恨を晴らしてください。私は戦争に反対しています。平和を愛しています。平和を全世界に広めなければいけません。戦争は絶対に反対です。

 この日、吉元玉ハルモニの証言にもあったように、衆議院議員第1議員会館の外には、私たちの行動に反対する右翼団体が抗議行動を繰り広げていました。被害者のハルモニたちが会館に入るときにも、本当に耐え難い罵声をあびせています。
 なぜ私たち日本社会は、このような暴力と差別を放置できるのか……。とても悔しく、被害者に申し訳ない気持ちと、彼らを許せない気持ちでいっぱいになりました。

 この日の鄭暎惠さんの講演は、そんな日本社会を鋭くえぐる内容でした。
鄭暎惠(チョン・ヨンヘ) 大妻女子大学教員 性暴力禁止法ネットワーク
【講演】
 女性に対する暴力根絶と「慰安婦」問題
 私は2.5世の在日朝鮮人のひとりとしてとして生きてきました。この問題には教員としてではなく個人として関わってきました。私だけ講演となっていますが、高みからではなく、この問題の解決を求める者として一緒に考える呼びかけとしたいと思います。
 私自身は1985年に指紋押捺を拒否しました。その時日常生活で、あの外にいるような人に罵倒され、右翼からは「出て行け」という葉書が来ました。日本で生まれ日本で育ってきて、私には日本が故郷であるにもかかわらず、なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのか。このまま私たちがこの日本で生きていくためには信頼関係が必要ですが、「慰安婦」問題に代表されるような植民地主義への清算が今現在もされていません。日本人は主権者として主体的にこの問題を解決しようという姿勢すらない下では、信頼関係を築くのは非常に難しいと言わざるを得ません。そんな現状を目の当たりにして、必ずや戦後補償の問題を解決しなければならないと思いました。当時の私は20代でしたが、今や50代になりました。まだ問題は解決していません。
 「慰安婦」問題は、戦後補償問題であり、民族差別の問題であると同時に性暴力の問題です。
 韓国に犠牲者を探し、「太平洋戦争遺族会」にたどり着きましたが、当時は金学順さんが名乗りでられる少し前でした。その時「慰安婦」被害者が名乗り出ると言うことになって運動の中が少しざわつき、私は非常に違和感を憶えました。同じ被害者でありながらなぜ名乗り出るのが難しいのでしょうか? 性暴力被害にはレッテルが貼られ、二次被害が生み出され、被害者を差別していくということを、その時に実感しました。なぜ日本軍が戦時性奴隷制度を発動し得たのか、それも疑問でした。
 日本の中の女性観は100年前から変わっていません。「慰安婦」問題だけでなく「からゆきさん」も日本の教科書に載っていません。「からゆきさん」については俎上にもあがりません。女性観がきちんと議論されていないからです。今もDVや性暴力の問題が蔓延しています。三人に一人が何らかのDV被害にあっているという内閣府の調査結果もあります。警察の調査では3日にひとりがDVによっって命を落としています。
 日本社会に性暴力を問う意識がなければ、本当の意味での「慰安婦」問題の解決にまで至らないだろう、そう思います。先日も性暴力の加害者が不起訴になりました。こんな社会の状態では、加害者処罰などできないのではないでしょうか。
 「性暴力禁止法」が必要です。2008年5月に「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」を立ち上げました。
 沖縄などでは米軍による性暴力が多発していますが、問題は日米安保・地位協定だけではありません。日本で不起訴になったが米国で有罪になるというケースもあり、アメリカからはまだ米軍の方がましだと言われる、性暴力問題ではそれほどひどい日本社会だという現状もあるのです。
 ネットワークでは性暴力の定義についても議論しています。現行刑法では性暴力のきわめて狭い範囲のみが処罰の対象となっています。そのため被害者自身が自分の被害に気づかず、「落ち度」があったのは自分と思わされています。夫の強姦はほとんど認められていません。また性暴力を被害と認定されるには、被害者に必死の抵抗が求められています。日本の法律が、過去の女性観の影響を大きく受けています。
 「慰安婦」裁判では退けられた理由のひとつに立法の不作為もありましたが、明らかに重大な被害があったにもかかわらず、被害者の処罰ができるだけの法制度がないのです。きちんと有罪とできるだけの法律を作らなければなりません。性暴力はあってはならないという法律が必要です。「慰安婦」問題は過去の問題ではありません。日本は性暴力大国なのです。
 性暴力を看過する者に、反戦、反差別を語る資格はあるのでしょうか? 核戦争のない戦争はあっても、性暴力のない戦争はありません。民族差別も性暴力も、武器を使わずして、心の痛みだけで人を殺せる暴力なのです。日本から性暴力を根絶することによって、二度と「慰安婦」問題のような戦時性暴力を作り出さない社会を作り上げましょう。 
 この日、署名行動に関して各地から様々な活動報告がありました。
 日本の「緊急120万人署名」については、署名実行委員会の田中ひろみさんから報告がありました。韓国で取り組まれた「50万人署名」については韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香
(ユン・ミヒャン)常任代表と、挺身隊ハルモニとともに行動する市民の会(大邱)の李仁純(イ・インスン)事務局長から報告がありました。慶尚南道の嘆願はがき署名については、昌原市民の会の李京禧(イ・ギョンヒ)代表から報告がありました。いずれの報告も、非常に力強く切迫感のあるものでした。
 またこの日、韓国からも国会議員が多く参加される予定でしたが、残念ながらやはり緊迫する朝鮮半島の事情で、民主党の李美卿さんひとりだけの参加となりました。李美卿さんら韓国の超党派の議員たちが「日本軍『慰安婦』問題を解決するための国会議員の会」を結成し、日本政府に要請する議員署名を取り組んできました。今回その提出行動で来日されたのですが、署名は受け取ってもらえなかったのだそうです。
李美卿(イ・ミギョン) 日本軍「慰安婦」問題を解決するための国会議員の会
立法を通じて日本軍「慰安婦」問題を解決するために
 今年2010年は日本軍「慰安婦」問題を提起してちょうど20年になります。ここで20年間活動を共にしてきた方と会うことができました。私たちの顔にはしわが増えたが、問題の解決と平和と人権への情熱は若い頃のまま顔に刻まれています。尹美香も当時は20代でしたが今は高校生の娘がいます。ある人はこの20年の間すこしも変わったことがないと言います。しかし、そうではないと思います。多くのことを私たちの間で勝ち取ってきました。最初に、ハルモニを見つめる私たち、そして社会の認識が変わりました。吉元玉ハルモニは、「私はずっと自分のことを恥ずかしく思い、罪人だと思っていた。しかし、本当に恥ずかしく思う罪人なのは日本政府であるとわかった」と言いました。このハルモニの言葉が私たちの成果です。
 私自身も活動によって大きく考えが変わりました。初めて日本で国際会議があった時、オランダの被害者と出会いました。彼女はおしゃれで、自分の受けたことを客観的に語りました。それは高い教育を受けたインテリの姿でした。私がお供したハルモニは白いチョゴリ姿で泣き叫びました。その瞬間私は、韓国のハルモニがどうしてあのオランダの人のように淡々としゃべることができなかったのかと思いました。しかし、一瞬でもそう考えてしまったことをとても恥ずかしく思います。オランダの社会は被害者を暖かく受け入れ、家族も彼女を受け入れていました。しかし、韓国のハルモニは恨を誰にも言えずに長い年月を過ごしてきました。その国際会議で初めて自分の過去を話したので泣き叫ぶしかなかったのです。その怒りそのものが成熟し、堂々と日本政府が罪人であると言えるようになったのが一番大きな成果です。
 私たちは945回目の水曜集会をおこなってきました。ギネスにも記録されるくらいの長い闘いです。国連特別報告会や米国をはじめ各国の議会での決議を引き出してきました。
 私は15年間国会議員としてこの問題の解決のための活動をしてきました。2002年に、韓国国会人権政策研究会と挺対協とが共に「戦時性的被害者問題解決促進法案」の制定のための懇談会を作り、法案を作りました。日本から岡崎トミ子議員や市民団体の皆さんが駆けつけてくれました。その後、2003年に韓国国会で「『戦時性的被害者問題解決促進に関する法律案』制定の迅速な促進決議」を満場一致で採択しました。
 2010年は大きな期待を抱きました。強制併合100年、解放65年の年であり、何よりも初めての政権交代がありました。民主党は野党時代に「戦時性的強制被害者問題解決促進のための法律案」を提出してきました。そこにおいては鳩山氏、菅氏が決定的な役割を果たしていきました。政権交代をした今こそその法案が通過すると期待していました。
 女性議員が「日本軍『慰安婦』問題を解決するための国会議員の会」を結成し、その会で日本の政府、議会に立法を求める活動をおこない、国会議員の署名を集めました。私が所属する民主党は87人全員、ハンナラ党からも多数の人が署名をし、合計177人の署名を集めてきました。この場でその177名の署名を渡すためにやって来ました。残念ながら直接受け取るという約束を取り付けることができませんでした。どうして署名すら受け取ってくれないのか。戦後補償議員連盟の人々にあって最後まで直接渡すための努力をするつもりです。
 2010年は強制併合100年、解放65年と言いましたが、東アジアの平和を脅かす要因は様々です。南北分断のまま平和条約が結ばれていないことで武力衝突が起き民間人の死者が出ました。このことが未だに東アジアの平和を脅かしています。北の核問題も南北だけでなくアジア全体に関わる問題です。その中でも日本軍「慰安婦」問題を解決し、被害者の人権を回復するのが最も重要なことです。東アジアの平和、特に女性の人権に関心を持ってください。私たちの人権と正義のための努力でハルモニたちに大きなプレゼントを与えることは可能だと信じています。
 提出行動が終わり、被害者と共に国会前でスタンディング行動を行いました。
 路上には私たちの行動に反対する人たちが日の丸を掲げ、おぞましいほどの差別的な言辞を繰り返していました。このような状況下で被害者に参加いただくのはとても心苦しかったのですが、ハルモニたちは全く負けることなく力強くアピールされました。
 むしろハルモニたちの行動は、日本に住む私たちに勇気と決意を与えてくれたかと思います。
 今すぐ日本社会に暮らす私たちの手で真の解決を実現する以外に、ハルモニたちに申し訳なく思う私たちの気持ちを解消する手だてはありません。


<集会趣旨>

 2009年8月の政権交代を受け、日本、韓国、国際社会では、今年こそと日本軍「慰安婦」問題の解決を求める署名運動を展開してきました。日本では、人口の1%関西を中心に「日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名全国実行委員会」が組織され、全国的な署名運動に取り組みました。韓国でも日本の動きに呼応して人口の1%にあたる50万人の市民署名を展開、さらに、韓国の国会議員から176筆の署名、2万筆を上まわる国際連帯署名が実施されました。フィリピン・台湾でも日本の署名運動に連帯して、署名が集められました。これらの署名はただ数を集めるのではなく、署名の目的を説明しながら一人一人の市民に出会い、歴史を思い起こさせ、現状を知らせ、解決を訴える機会でした。
 「女性に対する暴力撤廃・国際デー」である11月25日、これらの署名に託された日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める思いを政府・国会に届けます。被害を受けた女性たちに残された時間はもうわずかです。今一度、女性に対する暴力を根絶したいと願う世界の女性たち・男性たちが連帯し、日本政府に「慰安婦」問題解決の一歩を踏み出させるため、みなさんのご参集をお待ちしています!

<共催>
【韓国】韓国挺身隊問題対策協議会、挺身隊ハルモニと共に行動する市民の会
【日本】日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名実行委員会、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010、戦時性暴力問題連絡協議会