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【報告】![]() 正子さんはわずか4歳で辻遊郭に売られました。1944年16歳で初めて客を取らさ れ、翌年には首里城下の32軍司令部壕に入ります。自分は炊事をするだけで済ん だものの、先輩の数十人の女性たちは、毎日、列を作って順番を待つ兵士たちの 性の相手をしなければならなかったと正子さんは語ります。壕内に「慰安婦」と された女性たちがいたことの貴重な証言です。 戦後、米兵と結婚してアメリカに渡った正子さんは、40歳を過ぎて絵の才能を 開花させます。アリゾナ州ユマの大地や沖縄の海を描いた絵の展覧会が2016年 10月に那覇で開催されましたが、その直前の9月に正子さんは永眠。書き残された自伝の日本語訳出版が待たれます。 ![]() 上映後、新聞「うずみ火」記者の栗原佳子さんが、2012年、司令部壕説明板か ら「慰安婦」と「住民虐殺」の記事が削除された出来事を、現地での取材に基づ いて説明してくださいました。正子さんの思いに応え、歴史を正しく伝える記述 の復活を実現させたいものです。 |