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 2013年9月26日


 ~ ロラのことば ~

「鏡を見るたび、怒りがわいてくる」

ロラ・ピラール・フリアス

 8月、再会を心待ちにしていた私たちに、
病のため来日が難しくなったとの報がとどきました。
ご健康を回復され、再びお会いできる日がくると信じて疑いませんでしたが、
こんないも早く逝ってしまわれるとは。
日本軍が行った数々の暴力の歴史を告発し、
再発防止と平和のために果敢に証言し、闘い続けたピラールさん。
その証言と闘いの日々は歴史に刻まれます。
そして、あなたの存在は私たちすべての平和を願うものたちの心に刻まれ、
生き続けるでしょう。
あなたが願った日本政府の心からの謝罪と賠償、
すべての暴力がなくなるその日まで、
私たちはあなたの遺志を胸に闘い続けます。


 2013年9月26日、フィリピンのロラ・ピラール・フリアスが亡くなられました。
(「ロラ」はフィリピン語でおばあさんの意)
 ロラ・ピラールは1927年10月11日、フィリピン・ルソン島南部シプコットの生まれ。1942年、16歳の時、両親の留守中にやってきた2人の日本兵に顔をナイフで刺されたうえ、強かんされました。
 その後、村人は日本兵に退去を命じられ、一家は1944年までカブサオで暮らし、その後アニブ村に戻ってから1ヶ月後にふたたび、他村の数人の女性と共に腰縄でつながれたまま山中に連行され、毎晩のように複数の日本兵に輪かんされる日々が続きました。米軍の侵攻によって日本軍が逃げ出すまで、2ヶ月間も。
 1992年、マリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんが「慰安婦」だったことを告白した報道をみて、事実を明らかにし、裁判闘争を闘われました。
 今年8 月の私たちのメモリアル・デーの集会には参加を強く希望されていましたが、体調を崩され、叶いませんでした。
 とても歌が上手なロラでした。集会では必ず自作の歌を披露し、私たちの涙をさそいました。日本兵のナイフによって受けた顔の傷痕をいつも気にされていて、「鏡を見るたび、怒りがわいてくる」とおっしゃっておられました。
 ロラが求めていたこと――日本政府の公的謝罪と補償、歴史教科書への記載を実現する日まで、私たちは闘い続けます。


「慰安婦」の人生
BUHAY NG COMFORT WOMAN
ロラ・ピラール創作歌
「慰安婦」の人生とは
なんと苦難に満ちていることか
すべての苦難を我慢してきた
わたしの経験も
なんと苦しいものだったか
セメントの上に寝て
下に敷くござもなかった

わたしが我慢してきた人生は
日本兵の手によるもの
「慰安婦」の人生とは
なんと苦難に満ちていることか
夜は兵隊たちに並ばれ
日中は働かされた

人生はどうしてこんなものなのだろう
わたしの経験した人生は苦いものだった
「慰安婦」の人生とは
なんと苦難に満ちていることか
尊厳と名誉も無くしてしまった

私が今叫ばなければならないのは
各地の戦争をやめろということ
わたしたち女性にとって
苦しいことだから
他の者たちはレイプされ
別の者たちは殺された

わたしたちが今
叫ばなければならないのは
各地の戦争をやめろということ
女性たちにとって苦しいことだから
他の者たちは
戦争が原因でレイプされている

 2013年9月4日


 ~ ダーニャンのことば ~

「死ぬことなんて考えなくていいよ。
まだ大事なことがあるからね。
この古い体で闘おうよ」

万愛花ダーニャン

 9月4日午前0時45分、中国山西省の日本軍性暴力被害女性の万愛花ダーニャン(ダーニャン~大娘とは中国語でおばあさんの意)が、83歳でなくなられました。万愛花ダーニャンは、他のダーニャンたちのリーダー的存在として、常に山西省の性暴力被害女性たちを励ましてこられました。
 13歳の時、山西省盂県羊泉村で、洗濯の途中日本軍に捕まり、釘のついた板で殴られたり、強かんされたり、そして死んだと思われて裸で川に捨てられていたところを近所のおじいさんに助けられたとのことです。
 1992年の国際公聴会で、日本軍性暴力被害女性として中国人で始めて、自らの壮絶な被害体験を証言しようとしましたが、フラッシュバックで壇上で倒れてしまいました。
 1998年から、10人で損害賠償裁判を闘ってこられましたが、2005年に最高裁で敗訴しました。裁判官の前で膝まづかれた彼女の姿は、私たち日本人としてはやるせない思いでしたが、判決文の中で、日本軍による加害行為を「著しく常軌を逸した卑劣な蛮行」と事実認定されました。
 病の床に何度も伏しながらも、「私はこのことを皆さんに伝えるために今日まで生きてきた」「日本軍の蛮行を日本政府が謝罪するまで、死んでも死にきれない」という思いで病気とも闘っておられました。
 昨年、脳梗塞を患ってから床に伏せる日々が続き、橋下大阪市長の暴言に抗議文を出したりもされましたが、ついに、8月末に共に裁判を闘った「山西省・明らかにする会」のメンバー数人が訪れるのを待っていらしたかのように、わずか一週間余りで、息を引き取られてしまいました。 病床で「日本政府は公平公道ではない。いつも弱い私たち女性をいじめている」「必ず結論を得て欲しい! 頑張って闘いを放棄しないで!」と何度も言葉が途切れながらもしっかりと託された万愛花ダーニャンの想いを、 私たちもしっかりと心に留め、引き継ぎたいと思います。


抗 議 書
日本国総理大臣 安倍晋三 殿
日本国大阪市長 橋下徹 殿
 近年、日本の一部政治家と右翼勢力が一緒になり、日本軍国主義の侵略戦争における戦争犯罪を覆すため、絶えず歴史を歪曲している。
 直近では、日本国首相の安倍晋三氏および大阪市長の橋下徹氏が、第二次大戦時期における日本政府と日本軍による性暴力犯罪を歪曲する発言を幾度も発しており、心身ともに傷付いてきた私達被害者の心をまたも傷つけている。

 私達はもう余命いくばくもない。残りの人生はあとわずかである。その私達の人生は悲惨で、屈辱的で、痛苦と辛酸の相伴うものであった。
 それはなぜか?
 それはまさにあなたたちのせいだ。
 日本軍国主義が発動した侵略戦争は、我々の国土を踏みにじり、日本人は放火、殺人、略奪を行った。日本人の手中にあった虐殺の刃により、幾千幾万の中国人民の生命は日本侵略軍の血生臭い暴行のなか消えていった。
 そして、あなたたち日本政府が設けた「慰安婦」制度により、数十万人もの中国人女性が日本侵略者の「慰安婦」にされた。また、数え切れないほどの女性たちが、老年婦女、幼女にいたるまで、獣以下の日本兵によって強かん、輪かん、殺害された。
 私の場合、あれはまだ十代の少女だった。日本兵による掃討によって捕まった私は、日本軍が使用していた窑洞(ヤオトン)に放り込まれた。窑洞のなかでは、白昼はひどく殴られ続け、夜になれば輪かんされる。このような虐待が21日間続いた。その後、私は逃げ出したのだが、再度連れ戻され、さらに29日間輪かんされ続けた。その後も私は逃亡したのだが、またも捕まり連れ戻される。その後も輪かんされ続ける私の状態を見て、もうダメだと判断したのか、日本兵は私を川のなかに放り投げた。幸運にも助けが入り命は取り留めたのだが、私の身体は全身が縮み、子供を産む能力も失うほど身体的障害を負った。
 一生のなかで私は非常に多くの時間を病の床で過ごした。私の人生はまさに黄連(苦い薬)のようであった。泣きたくても涙も出ない。あなたたち日本兵の蛮行により、私たち被害者は精神的、肉体的に傷つき、痛苦、恥辱を与えられた。 この血の負債はだれが償うのか。

 日本人が犯した戦争犯罪、性暴力は世に知れ渡っており、動かすことのできない鉄の証明は山の如く存在する。しかし、日本国首相として、また大阪市長として、あなた方は事実を誤魔化し、白を黒と言いくるめるかの如く「慰安婦」の歴史的真相を歪曲した。そのことにより、私たちの傷ついた心にまたしても一太刀を浴びせた。
 私たちは訴訟を起こしたが、あなたたちは謝罪も賠償もせず、さらに私たちを傷つけた。
 私は大声で日本政府、そして日本の政治家に問いたい。
 あなたたちに人間性はあるのか?あなたたちにも母親や妻、娘がいるでしょう?

 現在、私は病臥のなかにあり、余命もほとんどない。しかし、この気持ちを抑え込むことはできない。
 私は血の負債を取り戻す!
 私は一日でも長く生きれば、その分の時間あなたたちと向き合い闘う。
 ここにおいて、日本国首相の安倍晋三氏、大阪市長の橋下徹氏に対し強く抗議する。
 ならびに、以下の要求を提出する。
1、日本国首相安倍晋三、大阪市長橋下徹に対し、歴史を歪曲した言論を撤回すること求め、日本軍により性暴力被害を受けた中国人婦女に対して鄭重に謝罪すること。
2、日本政府は歴史を尊重し、戦争責任、戦時性暴力の責任を受け止めること、加害国である日本政府は我々中国被害者婦女に対して鄭重に謝罪、賠償を行うことを呼びかける。
3、安倍晋三首相と橋下徹大阪市長は私のこれら抗議と要求に対し、書面にて回答を出すこと。
中国山西省盂県受害婦女 万愛花
2013年6月20日

 2013年6月21日


 阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会の柴さんより、イアン・アパイさんの訃報が届きました。ご冥福を祈り、日本軍「慰安婦」問題の解決に向けた決意を新たにしたいと思います。合掌。

 みなさま
 悲しいお知らせをいたします。

 台湾の元「慰安婦」裁判の原告の一人でもあったイアン・アパイ(中国名:林沈中)さんが6月21日午前3時にお亡くなりになりました。

 イアン・アパイさんは1927年生まれ。タロコ族の女性です。
 何度も日本にいらして証言してくださいましたので覚えていて下さる方も多いかと思います。

 イアンさんは、昨年膵臓がんがみつかり、療養しておりました。
 高齢であることから手術や抗がん剤を入れるなどの治療はせず、自然にまかせると家族が選択しておりました。

 昨年、何人かでお見舞いに行ったときは、少し声の張りはないもののいつものイアンさんらしく笑顔がありました。イアンさん自身は病気のことは知らされていませんでした。
 「がんばってね」というと「お互いにね」と笑顔で返事をしてくれました。

 行くたびに痩せてきていましたが、最近の16日に会いに行ったときは、すでにホスピスルームに移り、痛み止めを注入しておりました。

 イアンさんは、周囲の人を認識することはできず、何かを一生懸命話しているのですが、何を話しているのかは娘さんにもわからない、けれど、おとうさん、おかあさん、と言っているのはわかったそうです。
 イアンさんはすでにご自分のお父さんやお母さんと会っているようでした。

 昨年、イアンさんはクリスチャンになりました。
 子どもの頃、お父さんやおかあさんが、日本植民地下で弾圧を逃れ、山中に隠れて礼拝をしていた姿を覚えていると語ったことがあります。
 今頃はきっと天国でお父さんやお母さんと会っていることと思います。

 ワークショップなどではいつもお茶目で率先して踊ったり、ふざけてみせたり、私たちはいつも大声で笑いました。いっしょにいると本当に楽しく、いつでも会いたくなる人でした。

 イアン・アパイさん、今までありがとうございました。

★イアン・アパイさんの被害
 村の近くに駐屯していた日本軍の部隊(花蓮:倉庫部隊と呼ばれていたそう)で、ボタン付けやお茶入れ、洗濯などの仕事をするようにと派出所の警察官にいわれ、駐屯地で働きはじめる。
 やがて、倉庫にしていた洞窟の中に呼び出され、日本兵に強かんされる日々が始まった。
 妊娠・流産を繰り返し、日本敗戦後、日本軍が村を去った後もイアンさんが日本軍の駐屯地に行っていたということで、近所の厳しい視線にさらされ、3度結婚して失敗、離婚した。



 2013年4月26日


[挺対協報道資料]
挺対協、日本軍「慰安婦」被害者とともに
「侵略の歴史を否認する安倍政権へ送る抗議書」在韓日本大使館に伝達

 日本政治家たちの靖国神社参拝と侵略の歴史を否認する安倍総理の発言など、日本政府の歴史歪曲と妄言が度を越える最近の状況と関連し、4月26日午前10時に韓国挺身隊問題対策協議会(常任代表ユン・ミヒャン)は、日本軍「慰安婦」被害者キム・ボクトン(88歳)、キル・ウォノク(86歳)ハルモニとともに在韓日本大使館を訪問し、「侵略の歴史を否認し戦争犯罪を美化する安倍政権に送る抗議文」を手渡しました。
 挺対協と被害者は20会員団体の連名で出した抗議書で、「侵略の歴史を否定し、むしろ正当化する現日本政権の姿は、憂慮と葛藤の水準を越えたとうてい許すことのできない挑発行為である」とし、「米下院の決議採択課程で現れた安部総理の妄言がむしろ米議員の決議賛成を引き出した動力となったことをすでに忘れたような日本の意固地な右傾化は、結局ブーメランとなって日本の孤立を自ら招くだろう」と警告しました。
 また、日本軍「慰安婦」犯罪という反人道的戦争犯罪を速やかに解決し未来の世代に教育することを求めた国連勧告と各国議会決議採択など、国際社会の要求に逆行し侵略戦争を美化し平和憲法改悪で軍隊保有を企む行為は、「未来志向的日韓関係、共生共存の東アジアを放棄することになり、国際社会との信頼を崩す行為であり、核より強力な敵対と危機を作り出すもの」であると強力に糾弾しました。
 最後に、「アジアの葛藤を醸成し世界平和に脅威を与える日本の妄言について、日本政府が謝罪し再発防止措置を取るまで、私たちは世界市民社会とともに持続的な抗議と糾弾を行うこと」を明らかにしました。
 キム・ボクトンハルモニは、日本大使館側に抗議文を提出し「解放されて数十年、大使館前で水曜デモを行って20年以上経つが、まだ(日本軍「慰安婦」問題は)解決されていません。それにもかかわらず日本政府の責任者はどうしてそのような妄言を言えるのでしょうか。平和のために互いに間違いを認め過去の歴史を正し謝罪すべきです」と抗議し、「日本政府の責任者は心から謝罪し法的賠償し妄言をやめ正しい歴史を教えなければなりません」「私の言葉を一言ももらさず日本(政府)に伝えてください」と訴えました。つづいて日本大使館側が、「1995年の村山談話は日本政府の立場であり安倍政権の立場」だと応えると、キム・ボクトンハルモニは「あなたの話とは違い日本が戦争準備をしていると聞いている。なぜそのように正反対のことを言うのですか」と強く反問し、「日本政府は妄言をやめて真実を伝えるべきです」と再び強調しました。


侵略の歴史を否認し戦争犯罪を美化する安倍政権に送る
抗  議  文
安倍晋三 内閣総理大臣 様
 侵略の歴史を否定し、むしろ正当化する現日本政権の姿は、憂慮と葛藤の水準を越えたとうてい許すことのできない挑発行為であると言わざるを得ません。私たちは、日本の帝国主義侵略戦争により今もなお苦痛を受けている日本軍性奴隷被害者の気持ちを込め、この抗議文を送ります。
 安倍総理は2007年に米下院での日本軍「慰安婦」決議案採択を目前にし「強制性を示す客観的な証拠はなかった」「米決議があったから、我々が謝罪するということはない」と述べましたが、再び首相となった現在も相変わらず「妄言製造機」の面目を崩していません。
 日本の侵略戦争と植民地支配に対するお詫びを述べた「村山談話」と日本軍「慰安婦」犯罪に対する政府の関与を部分的に認めた「河野談話」さえ覆そうとし、戦争美化のピークに達する靖国神社参拝を正当化する没歴史的行為は言うまでもなく、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国の関係でどちらから見るかで違う」という発言こそは戦争賛美の妄言に外なりません。
 侵略と戦争行為を否定する戦犯国日本の続く挑発的な妄言は、被害国からの怒りにとどまらず、国際社会の憂慮とひんしゅくを買っています。日本の政治家の集団的な靖国神社参拝を糾弾する各地マスコミの声が高まっており、河野談話見直しについて米議員が強い警告を発しています。米下院の決議採択課程で現れた安部総理の妄言がむしろ米議員の決議賛成を引き出した動力となったことをすでに忘れたような日本の意固地な右傾化は、結局ブーメランとなって日本の孤立を自ら招くことになるでしょう。
 米下院をはじめとした各国の決議と国連人権機構の数次にわたる勧告、国際人権団体の持続的な要求は、日本政府が日本軍「慰安婦」犯罪という反人道的戦争犯罪を速やかに解決し未来の世代に教育することを求めています。これに逆行し未来志向的日韓関係、共生共存の東アジアを放棄した日本の妄言は、国際社会との信頼を崩す行為であり、核より強力な敵対と危機を作り出しています。侵略戦争を反省せず、結局平和憲法を改悪することで戦争のための軍隊を保有するという本音を隠しもしないこと自体が危機をあおっているのです。
 日本政府は侵略戦争否定と戦争美化をすぐに中断しなければなりません。戦犯国日本がすべきことは徹底した戦争犯罪の反省と平和実現であることを忘れてはなりません。日本政府が戦争犯罪の責任をとっていない現在、戦争は今も終わったとは言えず、むしろ犯罪を否定し戦争を美化する行為は加害を続けることであり侵略行為であると断言します。
 アジアの葛藤を醸成し世界平和に脅威を与える日本の妄言について、日本政府が謝罪し再発防止措置を取るまで、私たちは世界市民社会とともに持続的な抗議と糾弾を行うことを宣言します。

2013年4月26日

日本軍「慰安婦」被害者59人
韓国挺身隊問題対策協議会
基督教大韓メソジスト会女宣教会全国連合会、 基督教大韓メソジスト会全国女教役者会、基督女民会、大韓イェス教長老会全国女役者連合会、新しい世界を開く天主教女性共同体、女性教会、円仏教女性会、梨花民主同友会、全国女性連帯、平和を作る女性会、韓国教会女性連合会、韓国基督教長老会、女信徒会全国連合会、韓国女性団体連合、韓国女性民友会、韓国女性ホットライン、韓国女神学者協議会、韓国天主教女子修道会長上連合会、韓国挺身隊研究所、KNCC両性平等委員会

 2013年3月13日


 阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会の柴さんより、陳鴦阿媽の訃報が届きました。合掌。

 みなさま
 悲しいお知らせをしなければなりません。

 3月13日、台湾の陳鴦(チン・ヤン)阿媽が、お亡くなりになりました
 最近、弱々しい感じはありましたが、昨年12月にお会いした時は、お元気で、目を細める優しい笑顔ときれいなかわいい声はいつものとおりでした。
 陳鴦さんの日本語はなめらかで日本人以上ともいえるものでした。お料理がプロ並みにお上手でした。日本の米やかぼちゃ、めんたいこなどがいかにおいしいかを語り、私たちは時々、かぼちゃなどを持参し、喜んでもらっていました。
 今回も18日には台湾に行き、そのまま陳鴦さんにカボチャとめんたいこを届ける約束を果たすつもりでいました。
 昨年12月に自宅を訪問し、またすぐ訪ねる約束をしたのに、次には会えなくなるなんて不覚にも予想はしていませんでした。

 陳鴦さんは1922年生まれ。貧しかった家計を助けて工場つとめをしていましたが、21歳の時、ビルマでコーヒーを入れたりする仕事があるといわれて働くことにしました。
 ビルマへついて「慰安婦」にされました。台湾で姉とも慕っていた高宝珠さんと同じ慰安所で出会ったことを「阿媽の秘密」というドキュメンタリーの中で高宝珠さんとともに涙を流しながら語っています。
 台湾に帰ってからも正式な結婚はしませんでしたが、養女など家族に恵まれ、とくに男のお孫さんがとてもやさしく、阿媽はしあわせだったろうと思います。
 阿媽は腰などを痛めてから車いすや歩行器でゆっくりと動いていましたが、ワークショップには元気に参加していました。小旅行に参加するときの車いすはお孫さんが押していました。

 12月に会った時に、阿媽自身が「私はこの子で本当に良かったよ。ほんとうに良かったよ」と当のお孫さんの前では話していたことが一つの救いのように思えます。

 陳鴦阿媽のご冥福をお祈りをいたします



 2013年1月3日


みなさま

 年が明けて最初のお知らせが被害者の訃報になるとは・・・。

 つい先ほど、韓国挺身隊問題対策協議会より黄錦周(ファン・クムジュ)ハルモニの訃報が届きました。

 黄錦周ハルモには、早くから「慰安婦」被害者として名のりでられ、日本にも何度か来日、証言をされています。
 怒りのこもった厳しい目と、しわがれた大きな声で日本政府の態度に怒りをぶつけておられた姿を、多くの方が記憶されていることと思います。
 日本政府の罪をあんなにも強く問い続けたハルモニが、謝罪の言葉ひとつ受けることなく逝ってしまわれたことを思うと、無念でなりません。

 心よりご冥福を祈り、この悔しさと悲しみをバネにして、
 今年こそ被害者の願いが叶うよう頑張っていきましょう。


[挺対協報道資料2013-1]

 故ファン・グムジュハルモニが1月3日午後1時45分頃亡くなられました。

 故ファン・グムジュハルモニは、1922年にプヨで生まれました。1934年頃、13歳のときにハムン・チェ氏の家に養女として入り、1941年、日本の軍需工場に行って3年契約で働かなければならないという通知を受けた主人の家の長女の代わりに連れていかれたのが、軍需工場ではない中国吉林にある民家さえない軍部隊でした。
 その後、吉林や満州などで日本軍性奴隷としての苦しみを味わいました。
 1945年に解放を迎えましたが、戦場に捨てられたファン・グムジュハルモニは服や靴を拾って身にまとい、食べものを乞いながら歩いてチュンチョンまでたどり着き、その後、石炭車に載せてもらいチョンニャンニで降りてソウルで暮らし始めました。

 ファン・グムジュハルモニは、1992年に挺対協へ被害者申告し、それからは誰よりも積極的な人権運動家として活動しました。1992年8月には国連人権小委員会が開かれるスイス・ジュネーブへ挺対協代表団と訪問し、日本軍「慰安婦」として経た凄まじい経験を暴露、国際人権専門家たちに衝撃を与えました。その後、米ワシントン・NY・アトランタ、カナダ、日本など世界各地を廻り日本帝国主義が女性に犯した蛮行を告発しました。

 日本大使館前では「謝罪せよ!」「私の青春を返せ!」と身をよじって絶叫し、時には水曜デモを妨害する韓国警察に向かって「おまえたちはどこの国の警察だ!」と激怒しました。

 そんなハルモニも2005年から認知症を患い、釜山にいる娘さんのもと近隣の療養院で治療を受けていましたが、2013年1月3日午後1時45分頃亡くなられました。
 1月5日に葬儀が行われ、天安望郷の丘に眠る故キム・ハクスンハルモニのお墓の隣に埋葬されます。

 ハルモニが晴らせなかった無念、私たちが晴らせるよう、挺対協は屈せず活動していきます。故人の冥福をお祈りくださり、家族と知人に平和を願い、ハルモニが果たせなかった夢を私たちが力をあわせ成し遂げられるようご協力願います。
共同代表
ユン・ミヒャン ハン・グギョム


 2012年12月31日


 安倍首相の詐術に騙されるな!
    
  ~閣議決定で河野談話は否定できない~

 安倍首相は12月30日、産経新聞の単独インタビューで、河野談話について「専門家の意見などを聞き、官房長官レベルで検討したい」と語り、村山談話については「戦後50年を記念して出された談話だが、あれから時を経て21世紀を迎えた。21世紀にふさわしい未来志向の安倍内閣としての談話を発出したい」と語り、新しい談話を出すことで事実上、村山談話と河野談話を見直す姿勢を示しました。
 また河野談話について、ことさら「閣議決定を経ていない」と強調し、第1次安倍政権の2007年の時に「(河野談話の元となった)政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接指示するような記述は見当たらなかった」という閣議決定をしたから、河野談話には意味がないようなことをのたまいました。

 しかし、この理屈は詐術そのものです。
 ここでいう2007年の閣議決定とはなんなのでしょう? そもそもそれは河野談話を否定するような、重みのあるものなのでしょうか?

 安倍首相のいう閣議決定とは、辻元議員の質問主意書に対する首相の答弁書のことです。
 当時実現直前だった米下院決議案について、安倍首相が「米決議があったから、我々が謝罪するということはない。決議案は客観的な事実に基づいていない」「当初、定義されていた強制性を裏付けるものはなかった。その証拠はなかったのは事実ではないかと思う」「定義が変わったということを前提に考えなければならないと思う」と述べたことに対して、
 「①定義とは何か、②証拠がなかったのは事実とどう確認したのか、③どのような資料があれば「当初、定義されていた強制性を裏付ける証拠」になるという認識か」
 などと辻元議員は質問主意書を提出しました。これに対し、首相はこう答弁書を出しました。

 「お尋ねは、「強制性」の定義に関連するものであるが、慰安婦問題については、政府において、平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の内閣官房長官談話(以下「官房長官談話」という。)のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」

 この答弁書を出したということが、安倍のいう閣議決定です。
 素直に読んで、これが河野談話を否定する根拠になりうると、あなたは思えますか?
 こんな答弁書など、世間に広く示したわけでもなければ、国際的に約束されたものでもありません。河野談話は官房長官の談話ではありますが、安倍首相がほのめかすように官房長官が勝手に出したわけではありません。当時の宮沢首相も含め、内閣の責任で出した談話であり、事実上外交公約としての役割を果たしてきました。
 そしてこの閣議決定とやらは、事実の追認に過ぎません。河野談話の調査段階で、公的な文書の中で「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」というのは事実です。公的文書がないということを認めた上で、被害者の証言や状況証拠等をもって旧日本軍の直接的・間接的関与を認めたのが河野談話であって、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述」は見当たらなかったという事実をただ再確認しただけのものが、閣議決定なのです。
 実際、河野談話は、歴代政権に踏襲されています。第1次、第2次安倍政権においてもそれは同様です。安倍首相は「新しい談話を出す」とは言えても、絶対に「河野談話を見直す」とは言えませんし、所管大臣である菅官房長官も同じです。
 それでも安倍首相は、そこに問題があるかのような言動をあえて行い、人々を騙しているのです。

 河野談話の事実認定の箇所にはこう書かれています。

 「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。」

 読めば分かるように、河野談話の要は、軍や官憲が直接的暴力的な、つまり安倍のいう「狭義の」強制連行を行ったか否かにあるのではありません。旧日本軍の直接的・間接的関与を認め。そして日本軍が直接的・間接的に関与した「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めているところに意義があるのです。」
 「狭義の強制連行」がないからといって、日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度であるという事実は何も揺らぎません。
 安倍首相の詐術に、騙されないようにしましょう!



 2012年12月26日

 今年最後のソウル日本大使館前水曜デモ(1054回)が12月26日開催され、小学生を含む多くの人々が参加しました。日本からも私たちを含め10名ほど(?)参加していました。例年のように、今年亡くなられた韓国の被害者の追悼のための水曜デモでした。
 はじめに亡くなられた被害者5名が紹介され、追悼辞を朗読、続いて、追悼公演として舞踊「サルプリ」、「アリラン」独唱などが行われました。全員で献花し、冥福を祈りました。
 尹美香さんは報告を通じて、21年もの歳月を経ていまだ被害者の納得のいく解決ができていないばかりか、安倍政権の再登場と韓国でも政権交代に失敗し、保守勢力が勝利したことを受けて、厳しい現実に立ち向かう決意が明らかにされました。
 また韓国「女性新聞」の「今年の人物」に日本軍「慰安婦」被害者が選ばれたことが報告されました。
 連帯発言では梨花女子大ナビサークルのメンバーや、李美卿国会議員らが発言しました。
 最後に声明を朗読、
①日本政府の公式謝罪と法的賠償要求
②未来世代への正しい歴史教育と平和の実現
③韓国政府は「慰安婦」問題解決のために国家責任を尽くすこと
④被害者に名誉と正義を!
を求め、参加者全員で日本大使館に向けてスローガンをあげました。
 いつものようにみんなで「パウィチョロン」を歌って終了しました。

 終了後、参加していられたキル・ウォノクハルモニとキム・ポクトンハルモニから参加者全員に靴下のプレゼントが配られました。零下10度を超える寒さの中、1時間に渡る水曜デモに参加されたハルモニたちは、スタッフが靴下を配布したあとも、残りの靴下を警備のおじさんに配るなど、優しい配慮を忘れませんでした。

 今回、引越しして間もないウリチプを訪問しました。「戦争と女性人権博物館」から徒歩15分ぐらいの住宅地に位置する端正な家屋です。広い庭には池もあり、ハルモニたちは元気に過ごされていました。

 ナヌムの家も訪問しました。今年に入って入居された3名のハルモニを含む9名のハルモニがいらっしゃいます。全員のハルモニにお目にかかることができました。お元気にされているハルモニもおられましたが、目に見えて体力が衰え、体調がお悪そうなハルモニもおられて、あらためて残された時間がないことを痛感させられました。

 今回の安倍政権登場で、ともすればこれまで積み上げた成果が崩れ落ちるような気さえしますが、決してそうではないと思います。彼にとっても「慰安婦」問題の否定は命とりになりかねない課題であることを思い知らせる必要があります。

 引き続きがんばりましょう。
 来年もよろしくお願いします。(P)

 2012年12月12日


 大変残念で辛いお知らせです。
 ソウルの療養病院に長期入院しておられたキム・ポクソンハルモニが今朝亡くなられたとのことです。
 86歳でした。
 心よりご冥福をお祈りいたします。

 以下韓国挺隊協からのお知らせです。

 皆さま
 韓国挺身隊問題対策協議会の梁路子です。

 年末に近づき、今年はハルモニたちの訃報も例年に比べて少ないと話していた矢先、悲しい知らせが入ってきました。

 12月12日午前7時20分ごろ、ソウルの療養病院に入院していたキム・ボクソンハルモニが亡くなられました。

 1926年全羅南道カンジンで生まれたハルモニは、18歳のときに就職させてやるとの言葉に騙され慰安所に連れて行かれました。釜山収容所から大阪、サイゴンをへてビルマの慰安所まで、、、

 苦難の歳月を経たハルモニは、療養病院に長期入院していました。先日状況が悪化し重患者室へ移り、今朝旅立たれました。金曜午前に天安の望郷の丘に埋葬される予定です。

 韓国の生存者は 59名となりました。
 日本からもハルモニのご冥福をお祈りください。


 2012年11月11日


 10月下旬から始まった国連人権委員会UPR14次実務グループ会議に、韓国から3人のスタッフが参加し、この間ロビー活動を行ってきたそうです。
 これに関する挺対協の報道資料です。


挺対協報道資料/2012.11.11
国連人権理事会 日本人権審議(UPR)
日本軍「慰安婦」問題解決を求める各国の勧告
南北コリア、中国、オランダ、コスタリカ、東ティモール、ベラルーシ、マレーシアなど政府代表
日本政府に日本軍「慰安婦」被害者に対する謝罪と賠償および関連教育などを要求!
 国連人権委員会の定期的国家別人権検討制度であるUPR(Universal Periodic Review 以下、UPR審議)14次実務グループ会議がスイスのジュネーブ人権本部で10月22日から開催される中、現地時間31日午後3時(韓国時間午後10時)から行われた日本の審議では、各国政府から日本軍「慰安婦」問題の解決を求める多様な質疑と勧告が出された。
 特にコスタリカは、今回UPR審議で初めて日本軍「慰安婦」問題について言及し、第二次世界大戦時の「慰安婦」制度に対し日本政府が責任を認め被害者の名誉を回復するための措置をとることを勧告している。公式謝罪と正義回復、賠償を求めた。
 オランダはすでに事前質疑で日本軍「慰安婦」と関連した質疑を伝えており、審議中にも日本の教科書から「慰安婦」問題が消えていることを指摘した。これは現在も有効な基本的人権についての論議であるだけでなく、第二次世界大戦時に日本が行った残虐行為の重大さを深く認識させる手段を排除するものであると強調した。よって、教科書にこの問題を記述する措置を通じ、未来世代が歴史の全側面を学べるよう保障することを勧告した。
 大韓民国は、日本軍「慰安婦」問題に対する誠意ある措置をとらずにいる日本政府について人権条約機構などが憂慮していることを指摘し、国連人権高等弁務官だけでなく多くの国連人権機構が日本政府に法的責任を受け入れ、被害者に対する賠償、責任者起訴を勧告したにもかかわらず、今もなおこの問題が解決していないことを強調した。よって、日本政府が国際社会の勧告通り法的責任を認め、被害者が受け入れうる適切な措置を取ることを要求した。
 中国もやはり、いつにもまして強い語調で日本軍「慰安婦」問題解決を要求した。日本政府が日本軍「慰安婦」問題の謝罪・賠償をしていない点を指摘し、この問題は多くの国家と国連人権高等弁務官、人権委員会、女性差別撤廃委員会(CEDAW)および多くのNGOが憂慮していることを強調した。そして日本政府がUPRの勧告に誠意を持って即刻履行することを要求し、両性平等推進のための法的措置をとること、女性および児童の権利を効果的に保護すること、ひいては「慰安婦」問題に対する謝罪と賠償を通じ過去と現在を反省することで、国際社会に責任ある姿を見せるよう勧告した。
 朝鮮民主主義人民共和国は、時効がない反人道的犯罪中でも代表的であるといえる日本軍性奴隷問題をはじめ、日本が過去の犯罪に対する法的責任を持続的に否認する現在の状況について深刻な憂慮を表明した。また、女性暴力特別報告者が20万人の女性と少女に行った日本軍性奴隷問題に対する法的責任認定と加害者処罰、被害者賠償を求めたにもかかわらず、今だ解決していない問題として残っていることを想起させ、このような過去の侵害に対する未解決は未来の侵害を引き起こす源泉になることを強調した。これとともに、継続する日本の歴史歪曲は過去の侵害を解決することを拒否し再発の危険を生むものであると憂慮を表明した。よって、日本軍性奴隷問題などコリアを含めたアジア国家で過去行った侵害に対し法的責任を受け入れ、完全解決と歴史歪曲の中断、そして歴史的事実を反映する教育課程の修正を通じ認識を高めることを要求した。
 ベラルーシは、コスタリカとともに初めて日本軍「慰安婦」問題について言及し、「慰安婦」問題に対する人権条約機構の勧告履行についての日本政府の措置について質問した。
 東ティモールは、過去に日本が行った残虐行為の被害者と関連し、人権委員会が表明した憂慮に言及、相互理解に到達するため国際社会との対話増進の努力を勧告し、ここには被害者との直接的で誠意ある対話が伴うべきだと指摘した。
 最後に、マレーシアは日本政府が若い世代に過去の歴史を教えることを望むと発言した。
 このような各国の質疑と勧告に対し日本政府は、戦後条約と二国間協定で日本軍「慰安婦」問題の法的解決は完了しており、河野談話とアジア女性平和国民基金でお詫びを表明し補償金を支給したと、今までと変わりない答弁で一貫した。
 しかし、今回のUPR審議で国際社会から出された勧告と質疑、憂慮の表明は、日本政府が日本軍「慰安婦」問題に対する完全で明確な解決に失敗したということを再度確認させたといえる。特に、2008年の初審議で韓国政府だけでなくフランス、オランダ、朝鮮民主主義人民共和国などから日本軍「慰安婦」問題と関連した質疑と勧告を受けたが、その後4年間、日本政府が日本軍「慰安婦」問題解決のために取った措置はむしろこのような勧告と被害者の期待を裏切るものであり、国際社会は再び日本軍「慰安婦」問題を緊急で重大な人権問題として認識し、日本政府の責任ある措置を求めるだろう。
 日本のUPR審議に対する実務グループ報告書は11月2日に採択され、その後人権理事会定期会議で正式採択される。
 今後挺対協は、今回のUPR審議で出された勧告を日本政府が履行するよう国内外市民社会と協力し、持続的な活動を繰り広げていく予定であり、特に国連内の関連人権条約機構審議と人権陳情手続きおよび国連人権理事会との対話を通じ、日本軍「慰安婦」問題解決のため持続的でより積極的な努力を傾ける。
韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 ユン・ミヒャン ハン・グギョム

 2012年11月3日


 阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会より、呉秀妹阿媽の訃報が届きました。合掌。

 11月3日、午後1 時頃、呉秀妹(ウ・シュウメイ)さんが静かに息をひきとりました。
 呉秀妹さんは1917年生まれ、満95歳、台湾の被害者の中では最高齢の方でした。
 この夏、腸の調子が悪いので検査などをしたあと、体力が落ち、回復することなく、だんだん弱ってきていました。それでも9月半ばには退院することができ、自宅へ帰ってきました。私たちは、それを奇跡が起きたと喜びました。振り返ってみてもそれは奇跡だったと思います。
 9月末、その奇跡を逃さず、私たちは秀妹さん宅で誕生日を祝う会をしました。京都からも3人かけつけ、婦援会のスタッフたちと大勢の人が集まり阿媽の退院と誕生日を祝いました。しかしこの時部屋から車椅子に乗って現れた阿媽は驚くほど痩せ細っていたことに、私は衝撃を受けました。いつものうれしそうな笑顔も消えていました。それでも日本語で会話をし、みんなに「ありがとう」と何度もいうのです。いつも阿媽は周囲の人たちを気遣い、そして感謝の言葉をかけるのを忘れない人でしたが、このときもそうでした。95歳になる直前、入院するまでは一人暮らしで自活していた阿媽でしたが、もうそれは不可能でした。それまでは95歳には見えない元気さでしたが、まるで一瞬で魔法がとけたかのように95歳の老いた女性になっていました。再度10月に入院し、12日、危篤の報を受け、台湾へ飛びました。ベッドの上の秀妹さんは意識ははっきりしていて私たちをちょっと安心させました。婦援会のスタッフたちや私に、「ありがとう、ありがとう、謝謝、謝謝、多謝、多謝」と日本語、北京語、台湾語で礼をいいます。阿媽はお別れをしているのだと感じました。私が帰る前日、「私はもうすぐ死ぬよ」といい、「もう一度元気になって家へ帰ろうよ」という私に静かに首を横に振りました。その後、少しずつ弱っていく阿媽の様子が台湾から届きました。誰でもそうかもしれませんが、もうお別れの時が近付いていることを覚悟していても、その日は、今日ではなく明日でもないことを願ってしまいます。
 11月2日、「一度止まった息を医師の緊急手当てでとりもどしましたが、家族はその時点で阿媽を自宅につれて帰りました。台湾では自宅で息を引き取るのが最善と考えられていることに従ったのだそうです。11月3日、午後1時5分、とうとう阿媽は旅立ちました。
 秀妹阿媽は好奇心が強く、なんでもトライしてみる人でした。カムアウトしたばかりの頃の阿媽は声も小さく、おどおどしていたそうですが、日ごとに強くたくましく変わっていったそうです。私が知った阿媽は明るくお茶目なかわいい女性でした。たくさんの思い出を残してくれた阿媽、頑張って生きてくれた阿媽に心をこめて感謝したいと思います。

●阿媽の被害
 19歳、養母により接客業に売られ、23歳の時、中国広東省に連れていかれました。兵隊たちが「早く、早く」とせかしては上からのぞき込んでいたと証言していました。


 2012年9月3日

9月3日、国会本会議外交通商統一委員会で「日本政府の日本軍慰安婦被害者に対する公式謝罪および被害賠償要求決議案」が可決されました。

日本政府の日本軍慰安婦被害者に対する公式謝罪及び被害賠償を求める決議
主文
 大韓民国の国会は、第2次世界大戦の期間中に日本政府が当時の朝鮮人女性をはじめアジア諸国の女性たちを慰安婦という名の下で性奴隷化したことに対し深い怒りを示しつつ、これまで大韓民国の国会のみならず米国や欧州の議会など様々な国において慰安婦問題の解決を求める決議案が採択されたにもかかわらず、依然として日本政府が日本軍慰安婦問題に対する歴史的責任を避けていることに対し厳重に警告し、また、日本軍慰安婦被害者らの高齢化により生存者数が段々減少していることから、被害賠償と真の名誉回復における時限が迫ってきている事実を強調しつつ、日本政府が東アジアの安定と平和及び未来志向の韓日関係の発展に向けて自ら責任を認めた上で早期に日本軍慰安婦被害者たちに心から謝罪し、法的に被害を賠償するよう求めながら、以下決議する。

1. 大韓民国の国会は、日本政府が第2次世界大戦の期間中に韓国を始めとするアジア諸国の女性たちを強圧等により本人たちの意思に反して性奴隷として搾取したことは、人類における普遍的価値に反する犯罪行為であることを改めて強調する。
2. 大韓民国の国会は、日本政府が日本軍慰安婦問題の解決に消極的な態度を取ることは日本政府の没歴史的な認識と形態を裏付けるものであり、東アジアの安定と平和を脅かすだけでなく未来志向の韓日関係の形成をも妨げることを厳重に警告する。また、責任の認定及び真実の究明と共に真の反省と懺悔の土台の下、被害者らに公式に謝罪し、法的に被害を賠償することを強く求める。
3. 大韓民国の国会は、日本政府が日本軍慰安婦のような反人倫的な犯罪に対する歴史的責任を受け入れ、過去の不幸な歴史を繰り返さぬよう正しい歴史教育を行うことを強く求める。
4. 大韓民国の国会は、韓国政府が日本軍慰安婦被害者らに対する日本政府の公式的な責任の認定と謝罪及び法的な被害賠償、そして正しい歴史教育がなされるよう韓日間の協議や国際社会への問題提起など全ての外交的努力を果たすことを求める。


 2012年8月31日


 またしても韓国挺対協より訃報が届いています。
 これで被害登録されていた236名の被害者は、60名になりました。
 (被害申告された方が増えたそうです。)

 皆さま
 
 韓国挺身隊問題対策協議会、梁路子です。
 
 大変遅れての連絡になりましたが、韓国の日本軍「慰安婦」被害者がまた一人この世を去られました。
 
 ソウルに暮らし、時々は挺対協の事務所にマッコリを手土産に訪れるなど健康だった方ですが、昨年転んで腰を痛めた後は健康が悪化し入院生活を送っていました。
 
 誰よりもしゃっきりとした方でしたが、入院してからは突然記憶をなくすことも増え、心配しながらも好転の気運も見せていました。
 しかし、8月31日の午前0時ごろに亡くなられました。
 
 生前、ハルモニが望まれず、家族も望まれないため名前は伏せさせていただきます。

 日本からもハルモニのご冥福をお祈りください。


 2012年6月14日


 またしても韓国挺対協より訃報が届いています。
 これで被害登録されていた234名の被害者は、60名になりました。

 皆さま

 韓国挺身隊問題対策協議会、梁路子です。
 訃報をお伝えします。

 ナヌムの家に暮らしていたキム・ファソンハルモニが亡くなられました。

 キム・ファソンハルモニは、1926年に平安南道平壌で生まれ、16歳のときにシンガポールに連行され日本軍「慰安婦」にされ苦痛を味わいました。
 解放後に帰国し大田で一人暮らしののち、2008年からナヌムの家で暮らしました。
 そして昨日(13日)夜8時ごろに無念のまま目を閉じられました。

 日本からもハルモニのご冥福をお祈りください。



 2012年5月10日


<声明書>

日本軍「慰安婦」問題解決
知らずにできないのではなく知っていながら目をそむける
日本政府の狡猾な策略を糾弾する

 13日中国北京で開催予定の日中韓首脳会談を目前にし、日本政府が日本軍「慰安婦」問題解決策提示を見送ることにしたと朝日新聞が報道した。日韓両政府は今回の会談で日本軍「慰安婦」問題に対する解決策を示すことを目指していたが、事前調整で折り合えずこのような決定を下したとのことだ。

 ところでこれに関連し、日本政府が「現段階では『韓国が具体的に何を求めているかわからない』と判断し、今回は正式提案を断念した」としているが、知っていながら知らないと言い張るつもりなのか、その図々しさに呆れてものが言えない。

 昨年8月末の憲法裁判所の判決に従い、韓国政府は日本政府に日本軍「慰安婦」問題に対する二国間協議を2度にわたって提起した。しかし日本政府はこれまで公式的な答弁さえせず、1965年の日韓請求権協定で慰安婦問題は「完全かつ最終的に解決された」という主張を繰り返してきた。何よりも、過去20年間、在韓日本大使館前で被害者が最前列を守り数多くの人々が要求してきたことを日本政府が知らないはずはないだろう。国連をはじめとした国際機構と各国議会が勧告や決議採択を通じ求めてきた内容についても知らないふりをしてきた日本政府が、韓国政府の要求が何なのかわからず問題解決をできないというのは理にかなわない真っ赤なウソに過ぎない。

 世界史でも類例のない反人道的戦争犯罪である日本軍「慰安婦」に対し、日本政府が明白にその責任を認め、国際法と人権の原則によって公式謝罪と法的賠償、真相究明などのしかるべき措置を取ることが日本政府のやるべき仕事である。[アジア国民基金]で「道義的責任」と「人道的見地」をうんぬんし法的責任を回避するための姑息な手段をとるのは、結局日本政府自ら不利な立場に追い込むことになり、国際社会の非難を受けるだけである。最近黒い金でロビー活動を行いアメリカで建てられた「慰安婦」追悼碑を撤去させようとして逆に恥さらしとなったことは、このような現実を如実に表しているだけでない。日本政府が真の解決策を知らずにできないのではなく、しようとする意志がないことを満天下に現しているのである。日本軍「慰安婦」問題の真実を隠すことに汲々としているだけで、被害者が望む解決と正しい戦争犯罪の清算は眼中にもない日本政府を強く糾弾する。

 韓国政府にも、密室外交やあいまいな態度で一貫し、日本政府に新たな弁明の口実を与えるのではなく、より明白で断固とした姿勢で日本政府の法的責任履行を要求するよう求める。

 北京で開かれる今回の日韓首脳会談で、日韓両政府が見せる解決への意志と努力がどのようなものなのか、日本軍「慰安婦」被害者と国民の前が見守る中、再び試験台にあがるであろう。すでに日本軍「慰安婦」問題はこれ以上両国政府間の適当な妥協や密室外交で妥結し済まされる事案ではなく、世界の耳目が集中した正義と人権の問題であることを両政府は直視しなければならないだろう。

 日本政府は、韓国政府が提起した二国間協議に応じることはもちろん、被害者の人権回復と問題解決のための法的・行政的措置を即刻履行しなければならない。韓国政府には、そのためにはっきりとした要求と断固とした姿勢で日本政府に法的責任を要求し、問題解決を早めるよう再度求める。

2012年5月10日

韓国挺身隊問題対策協議会


(2012年5月9日 朝日新聞>

 2012年5月9日


<声明書>

日本軍「慰安婦」問題に対する密室外交と平和を脅かす軍事協定の締結を糾弾する!

 韓国と日本の間で「軍事情報包括保護協定」と「物品役務相互提供協定」が間もなく締結されるというニュースが流れている。両国は今後、締結が実現したら軍事情報包括保護協定によって朝鮮民主主義人民共和国の核と大量殺戮兵器に関する情報などを共有し、物品役務相互提供協定によって国連平和維持活動や災難救助等で物資や食糧、燃料等を相互に支援することになる。

 韓日両国間で正式に軍事協定が締結されるのは、1945年の光復(独立)以来初めてのことで、これはわが国民の情緒から見ても、政府が非常に重視している「安保」の側面から見ても、慎重に慎重を期すべきことと言わざるをえない。ところが、下手をしたら日本の自衛隊の朝鮮半島進出の道を開き、南北間の緊張を高めるだけでなく、中国やロシアにも当然ながら影響を及ぼし、軍事的な脅威と対立をもたらす韓日軍事協定の締結を目前に控えているというのだから、憂慮を越えて怒りがこみ上げる。解放と分断から67年に至る今日まで、日本軍国主義とアメリカをはじめとする覇権国帝国主義の影をきちんと払いのけることもできずにいる韓国政府が、今度は自衛隊と手を結んで北との対立をあおろうとする現実は、またもや国民の声と安全に背いて空虚な安保ばかり叫んでいることを確認させるものだ。

 これと関連して、より深刻な懸念を生んでいるのは、日本軍「慰安婦」問題をめぐる最近の両国政府の動向だ。昨年8月末に憲法裁判所が下した判決に沿って、それが自らの意志か否かにかかわらず、日本軍「慰安婦」問題について日本政府に圧力を加える姿勢を見せていた韓国政府だったが、最近になって李明博大統領は「法律よりも人道解決」を云々し、かつて日本が法的解決を回避しようとして設立した「国民基金」を連想させる発言で再び物議をかもした。これを逃すまいと、日本のメディアも日本軍「慰安婦」問題を「謝罪の手紙」で解決しようと歩調を合わせ、被害者たちの怒りをかったのはつい最近のことだ。ところが今回の韓日軍事協定締結の背後に隠された真実には、日本軍「慰安婦」問題をめぐる両国政府間の「姑息な取引」があったことは明らかで、あきれてものも言えない。

 4月21日付『朝日新聞』は、これまでの韓日間の防衛協力をめぐっては、米軍が締結の必要性を唱え、日本側も積極的に呼びかけてきたが、たびたび浮上する韓日の歴史認識問題が水を差す形で政府間の話し合いは進まなかったと報道している。また、その1日前の4月20日付『北海道新聞』は、日本政府が日本軍「慰安婦」問題について防衛協力の交渉再開と包括的解決を打診したと報じた。そして最近、大使館関係者は日本軍「慰安婦」問題についてボールは日本側が握っていると認め、何をするか考えているところで、「李明博大統領の任期中にプレゼントを贈る」という立場を明らかにしたというのだから、一体、日本軍「慰安婦」問題をめぐっておこなわれている韓日間の密室外交と姑息なやり口の交換はどの程度のものなのか計り知れないくらいだ。大統領府は否認しているが、先月、野田首相が李明博大統領に伝達したという「慰安婦」関連の親書の真実についても疑念を持たざるをえない。

 世界史上、類例のない反人道的な戦争犯罪である日本軍「慰安婦」問題の解決をめぐり、姑息なやり口があってはならない。最後の瞬間まで正義の回復を待って目を閉じた被害者たちと、残りわずかの余生に問題解決を成し遂げようと街頭闘争をやめない被害者たちを前にして交わされる両国政府の欺瞞的な外交術はもう要らない。

 5月13、14の両日にかけて北京で開催される予定の韓中日首脳会談で、韓国政府は明確な態度で日本軍「慰安婦」問題の法的解決を求めなければならない。アメリカに設置された「慰安婦」の碑の撤去を求め、臆面もない言動をとっている日本政府を相手に、二度にわたり二国間協議を提案したと言って、ただ座して待っている余裕と油断は、日本の姑息なやり口にうかうかと騙されている、または日本と姑息な取引を交わしているという事実をさらけ出すものになるだろう。もしやと政府の努力を高く評価していた被害者たちと国民の期待を裏切るならば、容赦の余地がないことを直視しなければならない。

 日本政府も人道的解決や基金構想といった子供だましの問題解決を再び試み、あるいは黒い金をばらまいて日本軍「慰安婦」問題の解決を求める国際社会の声を沈めようとする低レベルな外交を中断し、速やかに法的責任を尽くすよう強く要求する。

 われわれは韓国と日本の両政府に次のように要求する。
 ―李明博大統領と韓国政府は政権末の姑息なやり口で日本軍「慰安婦」問題を打開しようという計算は捨てて、明確に、断固として、日本政府の法的責任履行を要求せよ!
 ―日本政府は正しい法的責任を履行することのみが日本軍「慰安婦」問題の明確な解決であることを直視し、一日も早く公式謝罪と法的賠償をおこなえ!
 ―韓日両政府は、朝鮮半島と周辺の対立をあおる軍事協定の締結を即時中断し、人権と人間の安保を保障する平和協定を推進せよ!

2012年5月9日

第1021回日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜デモ
および日本軍「慰安婦」問題に対する密室外交と平和を脅かす軍事協定締結を推進する韓日両国政府糾弾集会参加者一同


(2012年4月21日 朝日新聞夕刊>

 2012年3月27日


<声明書>

日韓の正しい未来志向的関係に水を差す
野田総理の日本軍「慰安婦」制度に対する歴史認識を糾弾し
真相究明と法的責任履行などを早急に履行することを求める

 日本での報道によると、3月26日に参議院予算委員会で野田佳彦総理は日本大使館前の「平和碑」の「日本軍性奴隷」という表現について「正確なことが記されているかというと大きく乖離(かいり)している」と答弁した。日本軍「慰安婦」問題解決を求める世論が高揚している韓国訪問直前の野田総理のこの言葉は、再び日本軍「慰安婦」被害者の痛みと名誉を著しく傷つけた。

 野田総理が言及した平和の文句は正確には次のとおりである。
 “1992年1月8日、 日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモが、ここ日本大使館前ではじまった。2011年12月14日、1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する。”

 日本政府が問題とする「慰安婦」という単語は、英語では「Sexual Slavery(性奴隷)」と翻訳され碑に刻まれた。すでに国連とILOの報告書など国際社会ではこの問題を性奴隷制度として認識し、日本政府に対し数次にわたり勧告を下している。これは世界中が認める事実である。
 1998年8月に国連人権委員会差別防止・少数者保護小委員会で採択されたゲイ・マクドゥーガル戦時性奴隷制特別報告者の「武力紛争下の組織的強かん・性奴隷制および奴隷制類似慣行に関する最終報告書」では、慰安所を「強かん所」と呼び、日本軍の慰安婦制度に関して「性奴隷制度」、 慰安婦は強かん・性暴力を受けた「性奴隷」であると規定した。そして、女性の人権への著しい侵害の戦争犯罪に対する責任者の処罰と被害者への補償を日本政府に求めた。また、2007年に米下院は日本軍が女性たちを「性奴隷」に強制した事実を明白に承認し、謝罪することを日本政府に勧告する決議を採択した。各国での決議は、オランダ・カナダ・EU・台湾議会へと続いた。

 このような世界の見解と違い、日本政府が「性奴隷」という表現を「大きく剥離」した記述だと歴史の真実に水を差す理由は何か。

 1993年に発表された河野談話では、 慰安所の設置は日本軍が要請し、直接・間接に関与したこと、慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと、慰安所の生活は強制的な状況の下で痛ましいものであったとし、「慰安婦」の存在を認めている。
 それにもかかわらず、野田総理と玄葉外務大臣は、日本軍「慰安婦」の強制連行に証拠も根拠もないと厚顔無恥にも主張した。真に日韓の未来志向的関係を築いていかなければならない日本の総理が、自ら障壁となるつもりだろうか。犯罪の加害国である日本が徹底した真相究明を通し、日本軍「慰安婦」制度で犠牲となった被害女性の規模・連行過程・慰安所での生活・戦後処理過程など、女性たちに行った戦争犯罪および人道に反する犯罪の真相を徹底的に明らかにすべきである。このような過程を通じ、日本社会の日本軍「慰安婦」に対する強制性否認と被害者の傷に再び加害を与える妄言を中断することができるだろう。しかし日本政府はその責任を回避し、むしろ総理から政府要職にいる者たちが前に立って証拠がないと被害者たちの被害を矮小化し、右翼の反歴史的・反人道的行動を煽っている。日本政府は、政府や公的機関が持っているすべての日本軍「慰安婦」制度と関連した資料を公開しなければならない。

 1965年の日韓協定で「法的に解決済み」であるとし、人道的支援として行われたアジア女性平和基金で一部被害者のみに送られた首相のおわびの手紙には、「お詫びと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」と記されていた。しかし、その後歴史教科書から「慰安婦」記述は消え去り、右翼議員からの妄言が続いた。法にとらわれない歴代日本総理たちは、時々に「慰安婦」問題を否認したり妄言を繰り返してきた。国会決議を通さないおわび、民間から集めた基金など、法的責任を避けるための言い訳でしかなかった「人道的解決」は結局真の解決となりえないことを立証している。

 私たちは日本政府に強力に要求する。
 多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた主体が日本軍であり、彼女たちを性奴隷にし、人権を蹂躙した犯罪認め、一日も速く日本軍「慰安婦」制度に対する全貌を調査・公開し、被害者たちの前に公式謝罪と賠償責任を履行しなければならない!
 韓国の李明博大統領も日本政府の妄言を重大な問題として受け止め、「人道支援」ではなく、「法的解決」求めなければならない!
 外交通商部は、大きな忍耐で日本の顔色ばかりをうかがうのではなく、一日も早く憲法裁判所決定に基づく仲裁付託など次の段階の措置を通じて日本軍「慰安婦」被害者に対する日本政府の法的賠償を要求しなければならない!

 26日付の朝日新聞コラムでは、先週国内外マスコミ共同記者会見での李大統領の「法律より人道的な問題として解決すべきだ」との発言に対し、慰安婦団体からの反発は覚悟のうえに違いないと指摘した。憲法裁判所違憲決定を守るどころか、日本政府に配慮し反発を予想しながらも被害者の期待を裏切る李明博大統領の発言は、全韓国国民からの批判を免れないだろう。

 今年は米下院決議をはじめ各国議会が日本政府に対し日本軍「慰安婦」問題を解決することを求めた決議採択から5周年を迎える。世界が求めれば日本が解決するだろうと期待した被害者はすべて85歳以上の高齢となり、今では61名のみが生存している状況だ。私たちは、日本軍「慰安婦」被害者が生きている間に、名誉と人権が回復されるよう、再び世界各国議会決議を引き出した世界中の平和を求める市民たちと連帯するだろう。

2012年3月27日

韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 ユン・ミヒャン(常任) ハン・グギョム


 2012年3月23日


<声明書>

李明博大統領は日本政府が主張する「人道的解決」に同調せず
公式に日本政府へ法的責任履行を求めよ!

 3月21日、李大統領はソウルで開催される第2次核保安サミットを前に国内外マスコミ6社と共同会見を開き、日本軍「慰安婦」問題について「法より人道的に解決」しなければならないと発言した。
 私たちは被害者の気持ちを無視し本質から離れたこのような発言に強く抗議する。

 これまで日本軍「慰安婦」被害者と挺対協は日本政府に対し、日本軍「慰安婦」問題に対する罪を明らかにし、罪に対する反省を土台に被害者たちの名誉と人権を回復するため、公式謝罪と法的賠償を求めてきた。日本軍「慰安婦」問題は当時日本が国家として管理し行った制度的犯罪であり、日本政府が国家としての責任を認めた上で法的に解決すべき問題であるがためだ。
 そして、日本政府が今もなお誇らしげに広報しているアジア国民基金が結局は失敗に終わったことを見ても、国家でなく民間の責任にすりかえた「人道的支援」では問題解決を困難にするだけであるからにほかならない。

 日韓両国の懸案であった日本軍「慰安婦」問題に対し、昨年8月30日に韓国憲法裁判所は画期的な決定を下した。
 「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」において日韓間に紛争があると判断し、協定3条が定めた紛争解決手続きを行わないでいる外交通商部の態度は違憲であると決定した。
 これにより韓国政府は、日本政府に日本軍「慰安婦」問題解決のための二国間協議を2度にわたり提議し、12月18日に京都で開かれた日韓首脳会談では李明博大統領が野田総理に日本軍「慰安婦」問題解決を強く求めた。また、3・1記念辞で李明博大統領は、就任後初めて日本軍「慰安婦」問題について言及し、「日本軍『慰安婦』問題こそは、さまざまな懸案の中でも早急に解決しなければならない」問題であり、「この方々が心に抱いた無念を生きている間に解くことができずこの世を去ったとしても、すべての問題が解決するのではなく、日本はこの問題を解決する機会を永遠に逃すことになるだろう」と指摘した。

 私たちは憲法裁判所の決定を歓迎し、韓国政府の足早な対応を見守ってきたが、今回の李大統領の発言は自らの無知をあらわにすると同時に、憲法裁判所決定後、政府の日韓協定タスクフォースチームの対応に冷や水を浴びせ、過去の過ちを再び繰り返すことになると判断した。
 李明博大統領は加えて、「日本は1965年の合意(日韓協定)で解決済みという立場を固守しているが、もともと65年には日本軍『慰安婦』問題は明らかになっていなかった。合意して約20年経ってから『慰安婦』問題がわかったため、法律にとらわれるのではなく人道的に解決しなければならない」と日本政府に求めた。これは、最後まで法的賠償責任を回避しようとする日本政府の立場に加担するものであり、被害者側に立たなければならない韓国政府が絶対に行ってはいけない発言である。「法律ではなく人道的解決」をうんぬんするのは、被害者の最後の希望となった憲法裁判所決定に対する認識不足であると言う他なく、被害者たちに大きな失望を与えるものだ。

 すでに憲法裁判所決定が出てから6ヶ月以上が過ぎたが、日本政府の態度に変わりはなく、その間にも多くの被害者がこの世を去った。被害者と私たちの忍耐もそれほど長くは続かない。

 李大統領は無責任な発言を反省し、被害者たちが心から望んでいる解決が何なのかより深く考えてみる必要がある。現在、韓国政府が日本政府に要求すべきことは、日本軍「慰安婦」問題に対する公式謝罪と法的賠償を公式に明確に求めることである。韓国からの二国間協議に今もなお回答を避けている日本政府に、仲裁委員会設置を含めた次の段階の対策を積極的に求めなければならない。

2012年3月23日

韓国挺身隊問題対策協議会
常任代表 ユン・ミヒャン ハン・グギョム



(2012年3月22日 朝日新聞朝刊)

 2012年3月13日


 またしても韓国挺対協より訃報が届いています。
 これで被害登録されていた234名の被害者は、61名になりました。

 皆さま
 韓国挺身隊問題対策協議会 梁路子です。

 昨日悲しいお知らせを送ったあと、今日もハルモニの訃報が入ってきました。

 3月12日夜9時ごろ、慶尚南道のヤンサンにある療養病院に入院していたペ・ボンナムハルモニが亡くなられました。
 ハルモニは約2ヶ月前にがん宣告を受けていました。

 1923年慶南ハドンで生まれ、18歳の時に就労詐欺にあい中国へ連行され「慰安婦」生活を強いられました。その後、インドネシア・スマトラ島で苦痛を味わされました。

 解放後は捕虜収容所に入れられ、何とか故郷に帰ってきたハルモニはプサンで暮らした後、ヤンサンの療養病院に長期入院中でした。


 家族の意思により葬儀は行われません。
 明日火葬され遺灰はまかれます。何の跡形もなく逝きたいとおっしゃっていたそうです。
 苦しかった人生から離れ安らかにお眠りください。

 日本からも故ペ・ボンナムハルモニの冥福をお祈りください。


 2012年3月12日


 3ヶ月ぶりにハルモニの訃報が届きました。このところ訃報が届いていなかったのですが……やはり私たちには時間が残されていないのだと言うことを実感します。
 韓国の憲法裁判所の決定があり、韓国政府が何度も2国間協議に向けた申し入れをおこなっているにもかかわらず、日本政府は「解決済み」とし、相も変わらず「国民基金」を言い訳に使います。
 もう我慢がなりません。被害者の尊厳を踏みにじるような態度に終始するのではなく、被害者の傷みに向かい合い、被害者の名誉を回復する、そういう言葉を日本政府から発せられるように、取り組みをすすめたいと思います。

 皆さま
 韓国挺身隊問題対策協議会 梁路子です。

 昨年8月に発表された韓国憲法裁判所の決定と12月14日の1000回デモ開催は、韓国社会をして再び日本軍「慰安婦」問題解決への大きな気運を醸成し、被害者に希望を与えてくれました。
 それを反映するかのように12月13日を最後にこれまで被害者の訃報をお伝えすることもありませんでしたが、今日、先週亡くなったハルモニの訃報が入ってきました。

 3月9日
 韓国の年で91歳になるユン・グムネハルモニが老衰で亡くなられました。

 21歳で満州吉林に連行され、「慰安婦」という苦痛を味わったハルモニ。
 ハルモニは歳月の流れとともに記憶を失い再び子どもにもどってしまわれていました。
 すでに葬儀は終わり、ハルモニは天主教公園墓地に眠っています。

 現在の日本軍「慰安婦」生存者は62名になります。
 ハルモニの冥福をお祈りいたします。


 2012年3月8日


<報道資料>

日本軍「慰安婦」被害者、
将来日本政府からの法的賠償金を受け取れば
コンゴ内戦性暴力被害女性に全額寄付

― 3月8日国際女性デーに遺言を発表する記者会見開催 ―
― ハルモニの気持ちを汲んだ第一寄付者は歌手イ・ヒョリ氏 ―

 3月8日に「国際女性デー」104周年を迎え、日本軍「慰安婦」被害者キム・ボクトンとキル・ウォノクハルモニは日本政府に法的賠償を求めると同時に、将来法的賠償を受け取る場合その全額をコンゴ内戦で性暴力被害にあっている女性たちのために後援するという意志を公式遺言として発表する予定です。

 日本軍「慰安婦」被害者は、戦場に動員され性奴隷という苦痛を経なければなりませんでした。また、ようやく故郷に帰っても貧困と病、そして社会的冷遇に立ち向かい生きてこなければなりませんでした。しかし、今では勇気を持って被害事実を告発し、平和と人権を叫ぶ堂々とした運動家となりました。

 特に、キム・ボクトン、キル・ウォノクハルモニは日本軍性奴隷として経験した凄まじい記憶を韓国だけでなく、国連やヨーロッパなど世界各地に広く伝え、「恥ずかしいのは被害女性ではなく日本政府」であると堂々と叫びました。また、現在も日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモの最前列に立って「再び私のような女性が生まれてはならない」と訴えています。

 今回の記者会見は、「再び私のような女性が生まれてはならない」というすべての日本軍「慰安婦」被害者の意志を代弁するものであり、その意志を実現する第一歩となります。
 日ごろこのような意志を誰よりも前に立って伝えてきた二人のハルモニは、アフリカコンゴ民主共和国で長期にわたる内戦において数多くの女性と子どもたちが自分たちのように性暴力被害を受けている事実に接し、彼女らに手を差し伸べたいという意志を明らかにしました。その中でも自身が内戦中に軍人から性暴力を受けた被害者でありながら被害女性をサポートするために活動しているコンゴ女性 Rebecca Masika Katsuvaの話は、ハルモニたちに深い共感と痛みを呼びました。特に、キル・ウォノクハルモニは2010年のドイツ訪問時に在独コンゴ大使の招請を受けましたが、この時に大使からハルモニの闘いが多くのコンゴにいる性暴力被害女性の希望になっているとの激励を受けたという縁もあります。

 ここに、二人のハルモニは国際女性デーを迎え、再度日本政府に日本軍「慰安婦」問題に対する公式謝罪と法的賠償などの問題解決を求め、将来日本政府から必ず法的賠償を受けとり、その全額を Rebecca Masika Katsuvaが設立した団体に寄付するという意志を明らかにします。
 たとえ今すぐではなくともその意志を実現することを望むハルモニの気持ちは公式宣言であり遺言として発表され、今後「民主社会のための弁護士会」女性人権委員会の弁護士とともに必要となる法的公証手続きを行います。また、日本政府の法的賠償が当面は実現しないかもしれないという点を勘案し、挺対協はその時までハルモニの意志を汲んだ方々から「ナビ(蝶)基金」を集め、5月5日の「戦争と女性の人権博物館」オープン時にあわせ Rebecca Masika Katsuvaに第1回目の受け渡しを行う予定です。その後はこれを戦時性暴力被害女性のための支援基金として発展させる予定です。

 キム・ボクトンハルモニは、自ら最初に「ナビ基金」寄付を発表し、歌手イ・ヒョリ氏もハルモニの意志を汲んでその第一走者になると寄付を送ってくれました。

 日本政府の早急な法的責任履行を求める一方で、現在も至る所で続く戦争とその中で行われる性暴力犯罪に対するわが社会の関心を呼び起こすきっかけとなる今回の記者会見に、多くの取材と報道をお願いいたします。 

韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 ユン・ミヒャン ハン・グギョム


 2012年3月4日


<声明書>
日本政府は国家責任を否定しようとする姑息な行動を中断し
日本軍「慰安婦」犯罪に対する法的責任をとらなければならない!

 2月28、29日の両日、駐韓日本大使館が「女性のためのアジア平和基金」(以下、国民基金)フォローアップ事業の一環として、基金関係者および3人の日本軍「慰安婦」被害者との会合を持ったことが明らかになった。これまで日本政府は一部被害者を対象に個別的なフォローアップ事業を定期的に行ってきたものと見られる。2007年3月、国民基金が公式的に解散して以降、フォローアップ事業がこのように秘密裏に続けられていたことに私たちは驚きと怒りを禁じえない。
 日本政府は、2010年のILO条約適用勧告適用専門家委員会に提出した情報に、国民基金のフォローアップを引き続き行い、具体的には国民基金関係者等に委託し基金対象国(韓国・フィリピン)で被害者訪問ケア、集団カウンセリングなどを実施してきていると報告している。これにILO条約適用勧告専門家委員会は2011年に所見を発表し、「日本政府が責任ある地位の政府高官が元慰安婦と会い、直接日本政府の意見を伝え、彼女たちの現在の生活状況、過去の経験とその個人的な心証を注意深く聴取する機会を持つべく調整していると述べたことに注目する」と明らかにした。
 しかし、その後日本政府が準備した場に参加した4人の被害者の中の一人は、「解決してくれると言うからついていったのに、日本政府の態度に変わりはなかった」と失望した心境を私たちに伝えた。また、今後日本政府に利用されるか心配で、連絡が来ても行かないと付け加えた。私たちは、ごく一部の被害者に対し隠密に行われる日本政府の対応に少なくない疑心を持つのはもちろん、被害者の真の要求を受け入れるどころか見せかけのフォローアップ事業を続けていることに強く憤りを感じる。
 1995年に日本政府が日本軍「慰安婦」被害者に支給するとした国民基金は、日本政府自らの犯罪を反省した国家としての公式謝罪、それに基づく国家予算からの賠償金支給ではなく、民間からの基金を集め首相の手紙と一緒に渡すというものだった。それは言葉どおり「法的賠償」を回避した一種の「償い金」であり「補償に変わる措置」に過ぎなかった。これは政府が立案し行った「制度」としての日本軍「慰安婦」犯罪を民間責任に肩代わりさせるもので、日本政府および軍の役割と介入を否定し、ごく一部のみを認めて終わりにしようとした、この間の日本政府の姿勢を如実に表したものだった。
 日本政府は日本軍「慰安婦」問題に対する道義的責任で基金を設立したと説明してきたが、被害者が求めているのは日本が国家的に犯した犯罪に対する法的・歴史的責任をとることであり、よって大多数の被害者がむしろその基金に「侮辱」を感じ受け取りを拒否した。結局、国民基金は事実上失敗に終わり、当時一部被害者にのみ隠密に支給された。また、総理のお詫びの手紙も基金を受け取った被害者だけに渡すなど、支給過程においても多くの問題を生じさせた。
 被害者のため設立されたというこの基金が完全な解決策であったならば、高齢の被害者が今もなお街頭で20年にわたる闘争を続け、最後の瞬間まで回復できなかった人権を嘆きながら亡くなっていくという現実が続くことはなかっただろう。むしろ、被害者の期待は基金のせいで挫折し、より反復的で深い人権侵害を受けるという結果を生んでいるのだ。
 ちょうど日本大使館が一部被害者と会った次の日である3月1日は、93年前に日本植民地統治からの解放を求め、朝鮮半島各地で万歳の声が鳴り響いた日であった。3・1記念辞で李明博大統領は、就任後初めて日本軍「慰安婦」問題について言及した。昨年12月18日の日韓首脳会談に続き日本軍「慰安婦」問題解決を強く求めた李大統領は、「日本軍『慰安婦』問題こそは、さまざまな懸案の中でも早急に解決しなければならない」問題であり、「この方々が心に抱いた無念を生きている間に解くことができずこの世を去ったとしても、すべての問題が解決するのではなく、日本はこの問題を解決する機会を永遠に逃すことになるだろう」と指摘した。
 日本政府は、これに対し待ち構えていたように国民基金をあげて反論した。藤村官房長官は、1日午後の記者会見で「日韓関係には時折難しい問題が起こるが、未来志向の考えの下、関係全体に悪影響を及ぼさないよう大局的見地から協力することが必要だ」と述べ、 日本が解決済みの賠償請求権とは別に、「アジア女性基金」などを通じて支援に取り組んできたと強調した。
 日本政府はいつまで「賠償請求権は解決済み」という主張を繰り返し、法的責任を回避する手段に過ぎなかった国民基金を強調する恥ずかしい行動を続けていくのだろうか。現在日本政府がしなければならならいことは、すでに失敗した国民基金のフォローアップ事業を続けることではない。「人道的見地からの知恵」をうんぬんし国家責任を回避することでもない。日本政府は、日本軍「慰安婦」犯罪に対する国家の法的責任を即刻受け入れ、被害者への公式謝罪と賠償を行わなければならない。国民基金についてはすでに国連などの国際機構でも被害者の期待にそぐわない不十分な措置であることを何度も指摘しており、法的賠償を求めてきた。韓国政府が2度にわたり提起した二国協議にも応じず、秘密裏に国民基金のフォローアップを続けていくならば、今後日韓両国の関係が悪化する可能性を生じさせ、被害者の要求を無視する人権侵害の延長線をたどることになるだろう。
 63人のみが生存する被害者の前で、これ以上日本政府は「人道的見地」をうんぬんする言葉遊びと姑息な手段を中断し、一日も早く法的責任を履行することを強く要求する。

2012年3月4日
韓国挺身隊問題対策協議会
共同代表 ユン・ミヒャン ハン・グギョム

<2011年以前はこちら>