since August 2008
【集会報告・その他】
私たちは問い続ける 日本軍「慰安婦」問題と安倍・橋本の歴史認識 〜西野瑠美子さんをお迎えして〜(2014年5月)
 5月10日、東成区民センター小ホールにて「私たちは問い続ける〜日本軍『慰安婦』問題と安倍・橋下の歴史認識〜」と題して講演集会を開催しました。
 1年前、日本軍「慰安婦」被害者を踏みつけにし、女性の性を道具とするとんでもない橋下市長の発言に国内はもとより、国際社会からも激しい非難の声が湧きおこりました。その橋下発言1年を機に、西野瑠美子さんをお招きして集会を開催しました。
 西野さんは、橋下市長の女性を二分化する「性の防波堤」発言や、日本人の集団買春事件を「ODAだ」と言ってはばからない言動について、その女性差別性を一層明らかにしました。
 また、安倍政権下で進行している「河野談話」撤回、否定の動きのなかでいかに加害の事実が隠ぺいされ、歴史的事実が歪曲されてきたかを様々な側面から明らかにしていきました。
 加害兵士の聞き取り調査や、アジア各地を訪問して被害者に寄り添い、聞き取りを継続して来られた西野さんの、北朝鮮におられた故朴永心さんのお話はそのあまりの過酷さに胸がつまりました。 
渡辺美奈さん講演会 「軍隊は女性を守らない〜沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力(2014年3月)
 2014年3月16日、大阪PLP会館において、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク主催の集会「軍隊は女性を守らない〜沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力」が開催されました。
 この集会は6月21日、22日に大正区コミュニティセンターで関西沖縄文庫と日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークの共催で開催される同じタイトルのパネル展(以下「沖縄展」)のプレイベントとして開かれたものです。
 渡辺さんには展示の内容そのものの紹介や、そこに至る議論など、多岐にわたってお話ししていただきましたが、ここではパネル展の中味そのものにはふれず、その製作過程において明らかになった沖縄の「慰安婦」問題や、沖縄と「日本」の関係性などについて取り上げたいと思います。
河野談話の見直しを許さず、加害責任の明確化を!(2014年3月)
 3月15日(土)豊中市において、(公社)アムネスティ・インターナショナル日本と「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク・豊中の主催による学習会「日本軍『慰安婦』問題 世界の人たちはこの問題をどう見ているんだろう?」が開催されました。アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の事務局長であり、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の共同代表もある渡辺美奈さんを講師に迎え、20人ほどの参加を得て、現在、日本軍「慰安婦」問題がおかれている現状や今後の課題についても話し合う、内容の濃い勉強会となりました。
奈良の朝鮮人連行と「慰安所」跡を訪ねて〜天理「柳本飛行場」跡地フィールドワーク報告(2014年1月)
 日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークは、天理高校元教諭で「奈良県での朝鮮人強制連行等に関わる資料を発掘する会」(略称・発掘する会)事務局次長の高野眞幸さんの案内で、2014年1月19日、天理市にある通称「柳本飛行場」跡地を訪れました。
 「柳本飛行場」、正式には「大和海軍航空隊大和基地」は、1943年秋頃から建設が始まり、多くの朝鮮人労働者が強制的に連行され就労させられたところです。
 当時は慰安所もあり、植民地朝鮮の女性が‘性奴隷’とされた悲しい歴史の跡地でもあります。
維新・橋下市長の歴史認識を問い 辞任を求める(2013年12月)
 2013年12月1日、大阪PLP会館において、シンポジウム「維新・橋下市長の歴史認識を問い辞任を求める 〜吉見義明さんは、なぜ桜内文城衆院議員を訴えたか〜」を、日本軍「慰安婦」関西ネットワーク主催で開催しました。シンポジストとして、裁判の原告であり中央大学の教授である吉見義明さんと、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の共同代表である梁澄子さんをお迎えして、橋下発言の歴史認識の醜悪さを、具体的に明らかにしました。当日は約190人の参加者を得て、まさしく橋下市長を批判する大集会となりました。
 吉見義明さんは、なぜ維新の会の桜内文城衆議院議員を訴えたのでしょうか?
 2013年5月13日以降、橋下市長が日本軍「慰安婦」問題についての暴言を連発させ、国内的・国際的な批判にさらされました。窮地に追い込まれた橋下市長はこれに弁明するために、5月27日に外国特派員協会で記者会見を行ったのですが、その場になぜか同席していた桜内議員が、本音を封じられつつある橋下市長を代弁するかのように、吉見さんの著作に対し突然「これはすでに捏造であるということが、いろんな証拠によって明らかになっている」と侮辱したのです。
韓国水曜デモを主管する旅(2013年9月)
 9月11日、私たち関西ネットは、被害者とともに日本政府に解決を迫るために、ソウルの1091回目の「水曜デモ」に参加して来ました。その日はあいにく、朝から雨降りの一日でした。しかし、「水曜デモ」が行われた1時間の間は、なんと、雨があがっていたのです。84歳の吉元玉ハルモニが、日本大使館に向かって、座られました。少女像「平和の碑」を取り囲むように、300名もの市民が集まり、多くの人がハルモニに挨拶をしていました。過酷な「慰安婦」制度の被害者のハルモニが勇気を持って立ちあがられ、このようなことが二度と繰り返されないようにと闘い続けておられることに対し、多くの人々が暖かい尊敬の念を持っていることがよく伺えました。
「私はフィリピンで、日本軍に性奴隷にされました」(2013年8月)
 8月14日は日本軍「慰安婦」メモリアル・デーです。
 8月14日とは、22年前の1991年に金学順さんが名乗り出られた日です。この日を契機に、韓国だけではなく、日本軍が支配したあらゆる国々から被害者が名乗りを上げ、日本政府に謝罪と賠償を求めたのです。その拡がりは日本軍「慰安婦」問題に留まらず、世界中にいる戦時性暴力被害者に勇気と希望を与え、戦時性暴力が犯罪であることが世界中での共通認識となっています。
 橋下市長が日本軍「慰安婦」被害者を傷つけ、沖縄の女性たちを傷つける発言を連発し、謝罪さえしないこの大阪の地での、最初の日本軍「慰安婦」メモリアル・デーは、フィリピンのリラ・ピリピーナから日本軍「慰安婦」被害者のエステリータ・ディさんとコーディネーターのレチェルダ・エクストレマドゥーラさん、そして沖縄から高里鈴代さんをお招きしての集会となりました。会場は満員の330人の参加者を得て、みんながフィリピンと沖縄からの訴えに、しっかりと耳を傾けました。
「何度でも語る 歴史の真実はこれです」(2013年5月)
 橋下市長は5月13日、記者会見の場において、日本軍「慰安婦」被害者を傷つける発言をおこないました。その後、私たちも含めた各方面からの批判を受けながらも、橋下市長は発言を撤回することなく、ウソ・ゴマカシ・スリカエを続けました。
 そんな中、金福童ハルモニと吉元玉ハルモニは5月25日に橋下市長と面会する予定だったのですが、急遽面会を拒絶し、翌25日には大阪で、26日には奈良で集会を開催しました。
 ふたりのハルモニは、面会拒絶という苦しい結論を出して、まるで憑き物が落ちたかのように晴れ晴れしたお顔になり、元気に証言されました。
大阪府警による日本軍「慰安婦」問題解決運動への弾圧に抗議します!(2013年2月)
  私たちはかつて日本軍によって戦場で性奴隷とされた被害者の訴えに応えるよう、日本政府の誠実な対応を求めて運動を行ってきました。数年前より「在日特権を許さない市民の会」(在特会)をはじめとする右翼市民団体が出現し、在日朝鮮人への攻撃をはじめ「慰安婦」問題についても歴史を全否定し、被害者を侮蔑するヘイトスピーチを繰り返しており、その手口は暴力や恐喝など犯罪化してきていることはご存知の通りです。
 私たちは、「慰安婦」問題と関連して被害者を貶める発言を行った橋下大阪市長の「証拠があるなら(韓国側に)出してもらいたい」との暴言を受けて来日した、日本軍「慰安婦」被害者の金福童さんを迎えて昨年の9月23日、証言集会を開催しました。この日も、在特会メンバーらが集会妨害のため会場にやってきましたが、多数の仲間が場内整理にあたり、集会は混乱もなく無事に開催されました。
 ところが、集会から半年近くたった2月13日早朝、大阪府警(公安三課)は、昨年9月のその集会に参加していた4名の仲間を在特会メンバーからの「被害届」にしたがって「傷害事件」の「被疑者」としてでっちあげ、個人宅及び関係事務所など5ヶ所の家宅捜索を強行しました。集会の主催者である私たち関西ネットに対しても、連絡先としている「Cafeナビ」に、同時に強制捜査が行われたのです。
橋下市長に反論! 吉見義明さん語る〜「強制連行」はあった(2012年10月)
 橋下市長が8月21日の記者会見で「(吉見さんが)強制連行の事実までは認められないと発言している」と述べたことについて、吉見義明さんは「事実無根」として、市長との面談を求め10月23日、大阪市役所を訪ずれました。しかし、市長は前もって訪問の意思を伝えたにもかかわらず、その場には現れませんでした。担当者との面談で吉見さんは抗議声明を提出、文書による回答と、公開の場での謝罪を求めました。そしてその後、市政記者クラブにて記者会見を行いました。
 夜には<日本軍「慰安婦問題・関西ネット>主催で緊急講演会『橋下市長に反論!吉見さん語る〜「強制連行」はあった〜』で講演をされました。市長が強制連行の有無を問題としながら、被害者が性奴隷として使役された点について触れず、「管理した」と述べている点など、ひとつひとつ明確に反論しました。大変わかりやすいお話で、吉見さんの誠実さが伝わりました。
橋下市長! 「慰安婦」問題の真実はこれです(2012年10月)
 橋下市長による8月21日の「慰安婦」問題関連発言――「慰安婦という人たちが、軍に、暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない」「あったというのであれば、韓国の人たちにも出してもらいたい」―― 橋下市長の暴言は韓国でも報道され、非難の声が起こる中、韓国の被害者、金福童さんは「証拠を出せというなら私が行く」と大阪を訪れました。
 9月23日(日)、大阪市住まい情報センターホールを埋め尽くした人々を前に金福童さんは自らの身に起こった出来事を語られました。
 「根拠がないというけれど、ここに証人が生きています。本人が生きているのに、根拠がないなんてあまりにも悔しくて、直接会おうと思ってやってきたのです」
 そして、戦争と植民地支配のもうひとりの被害当事者である在日朝鮮人に対する差別にも言及しながら、次の世代のためにも過ちはきちんと謝罪し、法的賠償をして、互いに仲良く暮らせるようにしていただきたいと訴えました。
ハルモニの道こそ平和への道(2012年6月)
 2012年6月10日、関西ネットと日本軍『慰安婦』問題を考える会・尼崎との共催で、「『戦争と女性の人権博物館』オープンを記念して『ハルモニの希望こそ平和への道』」を開催しました。ゲストは尹美香さんと、朝鮮史の研究者として知られ、朝鮮学校の支援にもご尽力されている藤永壯さんです。
 この集会が感動的だったのは、わたしたちが取り組んでいる日本軍「慰安婦」問題と、今わたしたちの住んでいるこの地で現実に存在する朝鮮学校問題、在日朝鮮人への差別の問題を結びつけるものだったからです。
 日本軍「慰安婦」被害に今も苦しんでいるハルモニたちが、なぜ日本に住む子どもたちの境遇を憂い、心を痛めているのか――それがとても心に伝わる集会でした。吉元玉ハルモニのビデオレターの訴えには、涙を抑えることができませんでした。
「平和の碑」の少女が問いかけるもの」尹美香さん講演(2012年3月)
 2012年3月2日、11時半から約1時間、参議院議員会館会議室にて、韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香(ユン・ミヒャン)代表をお迎えして院内集会が開催され、夜は水道橋の韓国YMCAにて同趣旨の市民集会が開催されました。「『平和の碑』の少女が問いかけるもの 韓国−日本軍『慰安婦』問題をめぐる現状」と題して、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010の主催、戦時性暴力問題連絡協議会の協力で行われました。
 この日のお話は、日本で、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める人にとって、とても勇気と感動を与える内容でした。
韓国水曜デモ1000回を受けて(2011年12月)
 12月14日、韓国ソウル日本大使館前。1992年より毎週行われてきた水曜デモはついに1000回を迎えました。雨の日も雪の日も、体調が悪くても、日本大使館前の狭い路地にハルモニたちは立ち続け、日本政府の謝罪と賠償、責任者処罰、そして自分たちが受けた被害を後世に受け継がれることを要求し続けました。
 初めて日本大使館前の街頭に立ったとき、まさか1000回も続けることになるとは思いもよらなかったに違いありません。
 1000回も!!!!!
 ハルモニたちの勇気と努力と忍耐に喝采を贈るととともに、高齢のハルモニたちに1000回もそれをさせてきた日本政府に怒りを覚え、日本政府の頑なな態度を結果的に許してきた私たちの責任を感じずにはおれません。
キャンドルナイト☆コンサート(韓国水曜デモ1000回in大阪)報告(2011年12月)
 韓国水曜デモが1000回を迎える2011年12月14日に「1000回の運動の重みを振り返りたい」「被害者たちが生存しているうちに解決をみる最後のチャンスだという思いをひとつにしたい」と、極寒のソウルでデモを続けるハルモニたちに思いを寄せる人々が多く集い、みんなで「1000」の人文字を作りました。
宋神道さん証言集会(2011年11月)
 11月26日、福島区民センターにて、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークとアムネスティ・インターナショナル日本「慰安婦」問題チームの共催で、宋神道さんをお迎えして映画とお話の集いを開催しました。
 参加者180人が、映画「オレの心は負けてない」を観て、宋神道さんの10年に及ぶ裁判闘争、そして宋さん自身の尊厳を回復する姿を学び、気持ちを万全にして宋さんのお話をうかがいました。
 またこの日の午前、やはり関西ネットの企画で大阪・十三の第七藝術劇場にて「オレの心は負けてない」上映会を開催し、満員の第七藝術劇場で舞台挨拶を行いました。
『20年間の水曜日』出版記念集会(2011年7月)
 今年は金学順さんが日本軍「慰安婦」被害者として、初めて証言されてから20年を迎えます。
 金学順さんに続いて、韓国で、フィリピンで、中国で、アジア各地で被害者が50年に及ぶ沈黙を破り、正義を求めて立ち上がりました。しかし、金学順さんを含め、多くの被害者がこの20年の間に、解決の日を見ることなく亡くなられました。
 私たちはこの20年間の運動を振り返り、被害者の死を悼み、解決のためにあらたな一歩を踏み出す契機として関西で集会を持ちました。
東日本大震災と日本軍「慰安婦」被害者たち(2011年3月)
 3月11日に起こった地震は、震災被害に遭わなかった人の心も大きく揺さぶりました。とりわけ日本軍「慰安婦」問題に関わる私たちにとっては、宮城県在住の宋神道さんの安否が何よりも大きくのしかかり、まんじりともしない夜を幾つも過ごしました。テレビでは津波被害によって壊滅した街を映し、原子力発電所の危機的状況を映し、多くの被災された方々の声を伝えていました。しかし私たちにとってなにもりもかけがえのない宋神道さんの安否は報道されることはありません。それは当たり前のことなのかもしれません。しかし被災した親しい人が心配でたまらないのと同じように、在日朝鮮人であり、身よりもなく宮城県に独り住む88歳のハルモニの安否が、私たちにとってはなによりも重要だったのです。
韋紹蘭さん証言集会(2010年12月)
 2010年12月11日、大阪府豊中市で中国桂林から「慰安婦」被害者の韋紹蘭(ウェイ・シャオラン)さんと、その息子さんの羅善学(ルォ・シャンシュエ)さんをお招きして、日本軍「慰安婦」問題関西ネットワークの主催で証言集会が開催されました。
 韋紹蘭さんは86歳。そして「慰安所」で身ごもり生まれた羅善学さんは65歳。二人の証言は会場にいる者の胸をも引き裂かんばかりの衝撃でした。
 韋紹蘭さんの声はか細く、マイクを通してやっと聞こえるほどでしたが、その証言の辛さと彼女の涙はまるで私たちに突きつけられた刃のようでした。そして母の前には息子の羅善学さんがいたのですが、羅善学さんは母の被害証言に耐えられず、苦しそうに頭を抱えていました。
林貞子ハルモニの証言(2010年11月)
 2010年11月27日、大阪の日本キリスト教団淡路教会で「大阪市会で『慰安婦』意見書実現!報告集会」が開催されました。これは10月13日に大阪市会(大阪市は市議会のことを市会と呼びます)で日本軍「慰安婦」問題の早期解決に関する意見書が可決されたことを受け、この意見書運動に携わった市民団体(大阪市会で慰安婦「意見書」をもとめる会)が企画したものです。
 この集会に慶尚南道から3人の被害者が来日され、証言されました。
11・25国際署名提出行動(2010年11月)
 女性に対する暴力撤廃国際デーである2010年11月25日午後、国会衆議院第一議員会館にて、私たちがこの間取り組んできた「日本軍『慰安婦』問題の立法解決を求める緊急120万人署名」の提出行動を行いました。これまで「緊急120万人署名」にご協力いただいた皆様、本当にありがとうございます。
 おかげさまで「緊急120万人署名」は155,651筆を集約することができました。
 この「緊急120万人署名」は日本の人口の1%という趣旨で名付けられました。残念ながら人口の1%には遠く及びませんでしたが、それが0.1%であっても十分な数であったと思います。また多くの方の気持ちがこもった署名です。とても意味のある署名です。
5・13院内集会報告(2010年5月)
 5月13日、参議院議員会館にて「被害者は待てない、償いの時を逃すな! 5・13院内集会」が開催されました。日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010と、戦時性暴力問題連絡協議会の共催です。
 韓国では今年3月、超党派で「日本軍「慰安婦」問題解決国会議員の会」が結成されました。韓国ではこのところ地方自治体議会で次々と「慰安婦」問題の早期解決を求める決議が採択されるなど、この問題への関心が高まっており、日本の政権交代、そして韓国「併合」100年を機に問題を解決するため「議員の会」が必要だと考えられるようになったからです。
 またこの院内集会の主催団体のひとつ、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010も、この春にスタートしました。全国行動2010も、日本の政権交代、そして高齢化する被害女性に残された時間がもうごくわずかであることから、全国の市民と運動団体が手を結び、なんとしてでも早期に謝罪と補償を実現させたいという熱い思いから結成されました。
吉元玉ハルモニ証言集会(2010年4月)
 2010年4月10日に尼崎市にて、吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニと韓国挺身隊問題対策協議会の梁路子さんをお招きしての「4・10尼崎証言集会」がありました。主催は日本軍「慰安婦」問題を考える会・尼崎と、日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会の2者共催です。
 吉元玉ハルモニは昨年4月にも関西にお呼びする予定だったのですが、その時には体調不良で来日できませんでした。1年経って改めてお呼びすることが出来たのですが、1年前には93名おられたハルモニは現在85名にまで減ってしまいました。吉元玉ハルモニも、決して健康なわけではありません。それはお話の中からも、切実にと伝わってきました。
村山一兵さん講演報告(2010年2月)
 2010年2月14日に堺市にて、堺市議会で意見書可決を求める市民団体の主催で、日本軍「慰安婦」被害者に寄り添っている日本人男性支援者をお呼びしたつどいがありました。韓国「ナヌムの家」のスタッフであり、併設されている日本軍「慰安婦」歴史館の研究員でもある村山一兵さんです。
 「ナヌムの家」には年間日本人が2000人ほど来ているらしいのですが、ハルモニはそれはそれで喜んではいるのですが、「それでも未だに声高に叫ばなくてはいけないのか」という痛切な思いを聞くと、私たち日本人は何をやっているのかと痛烈に自問自答せざるをえませんでした。
姜日出ハルモニ証言集会(2009年11月)
 2009年11月28日、大阪北区民センターにて、日本軍「慰安婦」被害者をお招きしての証言集会が開催されました。ゲストは、韓国ナヌムの家より姜日出(カン・イルチュル)ハルモニと、同歴史館の研究員として唯一の日本人男性スタッフとして働く村山一兵さんです。姜日出ハルモニは16歳の時「慰安婦」として連行され、解放後も中国に留まり苦労をされた後、2000年になってやっと韓国に帰国されたという方です。
 400人を超える集会参加者はみな、ハルモニの話しに心を打たれ、今後私たちは彼女たちのために、そして私たち自身のためにも、何をしなければならないのか考えさせられました。
10・28院内集会報告(2009年10月)
 10月28日12時から衆議院第2議員会館において、戦時性暴力問題連絡協議会の主催による院内集会が開かれました。韓国・台湾からゲストをお招きし、市議会で意見書をあげた三鷹市、小金井市、国分寺市からも市議が参加しました。全国から市民74人もが集まり、狭い会場は熱気に包まれました。
 特に民主党を中心に11人の国会議員と12人の秘書が参加したことは特筆すべきです。国会議員の中にも「慰安婦」問題の解決に意欲を持つ議員が少なからずいることに確信が持てました。
韓国挺対協・梁路子さん講演報告(2009年4月)
 2009年4月24〜26日、大阪市・尼崎市・吹田市で日本軍「慰安婦」問題を考える連続集会が開催されました。
 当初の予定では韓国よりキル・ウォノクハルモニに来日していただきお話しを伺う予定でしたが、急な体調不良で来日できなくなりました。代わりというわけではないのですが、韓国挺身隊問題対策協議会から梁路子(ヤン・ノジャ)さんに来日していただき、韓国の被害者の状況や今後の運動について講演していただきました。「ハルモニが来られなかった」という現実が重たく、とても緊張感に満ちたものになりました。
 3集会では梁路子さんの講演の他、演劇や歌、舞踊などが披露され、被害者への思いが共有できました。梁路子さんのお話は、ハルモニの証言とはまた違い、いつもハルモニたちのそばにいる者だからこそ語れる真実に満ちていました。
第9回アジア連帯会議報告(2008年11月)
 2008年11月23日から25日にかけて東京在日本韓国YMCAにて第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が開催され、関西フォーラムメンバーをはじめ、大阪、関西地域からも多数参加しました。
 <世界と連帯し、日本政府に即時釈放を要求する!>と題して開催された会議には世界各国から10人の被害者と支援団体、そして韓国からは郭貞淑国会議員が参加しました。23日はアジア連帯会議、24日は公開集会、25日には国会行動が行われました。
「慰安婦」決議に応え今こそ真の解決を!(2008年8月)
 2007年7月、アメリカ下院議会で日本軍「慰安婦」問題の解決を求める決議が採択されました。この決議に心血を注いだ人々がいます。その名も決議名にちなんだ「121連合」。高校生を含む普通の市民たちです。今回私たちはその中心となった草の根運動のリーダー、アナベル・パクさんと、2007年12月EU議会による緊急決議を引き出したアムネスティ国際事務局のキャサリン・バラクロウさんを招請することができました
【ニュースレター】
ニュースレター
No.9

(PDF 1243KB)
発行日:2015年10月16日
内容:アベ政治を許さない!/サンフランシスコにおける「慰安婦」碑建設をめぐる動き/[集会報告]8.14日本軍[慰安婦]メモリアル・デー、インドネシアの「慰安婦」問題学習会、韓国・中国スタディツアー報告/「戦後70年東アジアの未来へ!宣言する市民]報告/育鵬社教科書を許さない!/映画「“記憶”と生きる」紹介/他
ニュースレター
No.8

(PDF 2628KB)
発行日:2015年6月5日
内容:戦後70年「安倍談話」を許すな!/第13回アジア連帯会議報告/シンポジウム報告「慰安婦」問題、解決は可能だ!/NHK籾井会長の罷免、百田・長谷川両経営委員の辞任を求めて/他
ニュースレター
No.7

(PDF 3536KB)
発行日:2014年7月31日
内容:世界は「慰安婦」問題の解決を求めている!/アジア連帯会議に参加して/日本軍「慰安婦」問題とヘイト・スピーチ/橋下市長、籾井NHK会長が辞めるまで抗議を続けよう!/[パネル展]軍隊は女性を守らない/[西野瑠美子さん講演会]私たちは問い続ける/関西ネット1年間の活動報告/『終わらない戦争』大学の講義での鑑賞報告
ニュースレター
No.6

(PDF 1963KB)
発行日:2013年6月23日
内容:再び戦争への道を歩まないために〜集会・抗議行動へのご協力、ありがとうございました/橋下市長の暴言を許さない〜私たちの抗議行動と、面会拒絶に至る経過/「何度でも語る 歴史の真実はこれです」(集会報告)/木本茨木市長への抗議行動報告/他
ニュースレター
No.5

(PDF 1954KB)
発行日:2013年2月11日
内容:2013年初春〜私たちは新たな気持ちで日本軍「慰安婦」問題の解決をめざします/橋下市長に反論!3回の連続企画を開催(金福童ハルモニ集会〜吉見義明さん集会〜映画で知ろう日本軍「慰安婦」問題)/第11回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議報告 8月14日戦時性暴力撤廃国際デー(仮)に向け世論形成を実現しよう/映画「終わらない戦争」を観よう!
ニュースレター
No.4

(PDF 3056KB)
発行日:2012年7月15日
内容:67年目の夏に〜日本軍「慰安婦」被害者に正義を!希望はわたしたちの手にある!/「ハルモニの希望こそ平和への道」を開催して/「戦争と女性の人権博物館」がついに完成!/映画『終わらない戦争』貸出料金値下げ!
ニュースレター
No.3

(PDF 2667KB)
発行日:2012年1月27日
内容:日本政府の勇気ある決断をもとめます 一刻も早く被害者に公式謝罪と賠償を!/12・14キャンドルナイト☆コンサートをふりかえって/今の宋さんに、本当に日本政府の謝罪の言葉を届けたい/韓国水曜デモ1000回アクション1000人キルト報告/李政美×寿 チャリティコンサート報告/好評!映画「終わらない戦争」を観よう
ニュースレター
No.2

(PDF 2355KB)
発行日:2011年9月23日
内容:『20年間の水曜日』日本語版出版を記念して/被害者と共に「今」を生き、闘いをつなごう! 世界同時行動inおおさか/第10回アジア連帯会議報告/東大阪教委は育鵬社公民を採択! 「慰安婦」被害者の思いを踏みにじる教科書を許すな
ニュースレター
No.1

(PDF 1441KB)
発行日:2011年6月11日
内容:金学順さんのカミングアウトから20年 もう待てない! 今こそ「慰安婦」問題の解決を/「つくる会」系教科書を不採択に追い込もう/水曜集会に参加しましょう!