シンポジウム
維新・橋下市長の歴史認識を問い
辞任を求める
吉見義明さんは、なぜ桜内文城衆院議員を訴えたか



 2013年12月1日、大阪PLP会館において、シンポジウム「維新・橋下市長の歴史認識を問い辞任を求める 〜吉見義明さんは、なぜ桜内文城衆院議員を訴えたか〜」を、日本軍「慰安婦」関西ネットワーク主催で開催しました。シンポジストとして、裁判の原告であり中央大学の教授である吉見義明さんと、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の共同代表である梁澄子さんをお迎えして、橋下発言の歴史認識の醜悪さを、具体的に明らかにしました。当日は約190人の参加者を得て、まさしく橋下市長を批判する大集会となりました。
 吉見義明さんは、なぜ維新の会の桜内文城衆議院議員を訴えたのでしょうか?
 2013年5月13日以降、橋下市長が日本軍「慰安婦」問題についての暴言を連発させ、国内的・国際的な批判にさらされました。窮地に追い込まれた橋下市長はこれに弁明するために、5月27日に外国特派員協会で記者会見を行ったのですが、その場になぜか同席していた桜内議員が、本音を封じられつつある橋下市長を代弁するかのように、吉見さんの著作に対し突然「これはすでに捏造であるということが、いろんな証拠によって明らかになっている」と侮辱したのです。
 研究に基づいて書いた文章を捏造よばわりされることほど、研究者にとって名誉を傷つけられることはありません。学者生命を絶たれるような仕打ちです。
 そこで吉見さんは7月26日に、桜内議員に対して、名誉毀損の訴えをおこしたのです。


吉見義明さん語る
「日本軍「慰安婦」制度は性奴隷制度である」
 シンポジウムの最初に、吉見義明さんから、提訴に至った経過と橋下市長の歴史認識のいい加減さについて、お話しされました。
 吉見さんはまず、橋下市長の発言の変遷を指摘しました。
 橋下市長は最初、「強制の事実はなかった」「公的な管理は必要」「同情と謝罪は違う」「河野談話は最悪」などと述べていたものが、幾段階の変節を経て最終的には「『慰安婦』の方々には誠実な謝罪とお詫びを行わなければならない」「日本兵による慰安所利用は女性の尊厳と人権を蹂躙するもの」とまで言うようになりました。橋下市長は発言の変節を認めませんが、ここまで言うことがコロコロ変われば、それは誰の目から見ても明らかでした。
 しかし、橋下市長が幾多の変節を重ねながらも、絶対に認めないことがあります。それは軍や政府の責任を認めないこと、そして性奴隷制度であるということ。そこは絶対に変えません。「国家の意思として女性を拉致・売買したことはない」と言葉をすり替え、一兵士に責任を転嫁しても、国家の責任とは認めません。
 そして、国内向けと国外向けの言葉を使い分けます。国際社会には「最初から河野談話と同じ認識」などと、最初の主張とは正反対のことを口にしながら、国内向けには「正当化するつもりはないが、世界各国で戦場の性の問題はあった。韓国が謝罪を求めてきても『あなたたちもやっていたようなことでもあるから、あなたたちも反省しながら我々も反省する』というスタンスで望めばいい」と、正当化します。これは国家(日本)と国家(韓国)の関係の話ではなく、国家(日本)と個人(日本軍「慰安婦」被害者)の関係の話であるのに、そこをすりかえ、加害の立場を相対化することによって、責任の所在を曖昧化させようとしています。

 日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度だということは、この問題の焦点となっています。橋下市長の記者会見に理由もなく同席していた桜内議員が、吉見さんの研究・著作を「捏造である」と決めつけた目的も、まさしくこの一点でした。
 もちろん裁判でも、ここが焦点となっています。桜内議員は、「日本軍『慰安婦』制度は性奴隷制度ではない。これは日本国家の名誉を毀損するヘイトクライムである」と、信じ難い主張までしているのです。

 日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度であるということは、今更言うまでもありません。吉見さんはそのことも丁寧に説明しました。日本軍「慰安婦」制度は軍が作り、維持し、拡大していったものであり、女性たちはそのほとんどが略取・誘拐・人身売買などの犯罪行為で集められて慰安所に入れられ、戦地・占領地では軍が直接略取することもあったということ。慰安所に入れられた女性たちは居住・外出・廃業の自由もなく、暴力と借金によってがんじがらめに支配されていました。性奴隷制度であるということは、否定しようがありません。

 「この裁判を通じて、日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度であったということを、世間に知らしめていきたい」と吉見さんは表明し、裁判への支援を呼びかけました。


梁澄子さん語る
「事実認定のない謝罪は、被害者に対する侮辱」
 梁澄子さんは、宋神道裁判などの被害者支援を続けていた立場から、被害者の立場からみた橋下発言を検証しました。
 梁さんはまず、被害者の望む解決とは何かと言うことを問題にしました。被害者の望む解決、それは@事実認定、A公式謝罪、B国家賠償です。しかも順序もとても大切で、謝罪なき賠償はあり得ないし、事実認定なき謝罪もあり得ません。どこの国の被害者の声を聞いても、それは共通することです。
 しかし、2012年8月24日の記者会見で、橋下市長はこう言いました。
 「強制的に連れてきたのではないという前提で、そういうしんどい仕事に就いて大変でしたね、という気持ちを表すのは否定しないけど、しかし強制的に連れてきたのではないということをはっきりさせた上で、そういう気持ちを表さないと。かわいそうですねという同情と、謝罪は別です」
 つまり事実は認めないけれど、同情はします、と。しかし被害者にとってみれば、加害者に「かわいそうですね」と言われることほど耐え難いことはないでしょう。
 2013年5月13日には「『慰安婦』の方に対しては優しい言葉をしっかりかけなければいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない。意に反してそういう職業に就いたということであれば、そのことについては配慮しなければいけません」とも言っています。――事実認定なく配慮? 本当にこういう言葉は被害者を傷つけて止みません。
 その後、橋下市長は、「謝罪すべき」と言うようになりました。しかし軍と政府の責任は認めず、性奴隷制であったということも認めずにです。一体何を謝罪するというのでしょうか?
 事実認定のない下での謝罪など、被害者は喜ばないし、心の底から嫌なのです。

 橋下市長の発言と安倍政権の行動は、リンクしていると、梁さんは指摘します。
 第24回国連人権理事会会期中の9月11日、挺対協とアムネスティ主催のサイドイベントに日本政府は参加せず、書簡を送ってきました。そこには「安倍総理と内閣は『慰安婦』に深い同情と配慮を感じている」と書いてありました。同情と配慮――橋下市長と同じ言葉です。これほど侮辱的なことがあるでしょうか。
 そういう認識の下で、安倍首相は9月26日に国連の場で、「21世紀の今なお、武力紛争の下、女性に対する性的暴力が止まない現実が嘆かわしい。そのような被害者に対して物心両面で支援する」と発言しました。現在の他国での戦時性暴力の被害者を支援することで、自国の戦時性暴力被害者の問題を曖昧にしようと目論んでいるのです。そのような動きを支援しているのが、橋下市長の発言です。
 橋下市長が国際的な批判を浴びると、当の安倍首相からは「安倍政権の考えとは全く違う」と切り捨てられてしまったのですが。

 産経新聞は河野談話批判を展開し、維新の会もこれに歩調を合わせた動きを見せています。
 このような状況下で、被害者の望む解決は何かと考えると、河野談話をただ守るだけではダメだと、梁さんは主張します。河野談話は日本軍・日本政府の責任をはっきりとは明記していません。河野談話は責任の主体を曖昧にした談話であったし、それをフォローする施策が市民の募金に基づいた国民基金でした。つまり、河野談話では、被害者の望む解決へとは結びつかないのです。
 梁さんは最後に、「河野談話を守るのではなく発展させて、被害者の望む解決を実現しましょう!」と元気よく主張されました。



 日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク共同代表でシンポジウムのコーディネーターを務める方清子からは、この間の橋下発言に対する私たちの抗議運動について、家宅捜索されたことや、特に金福童ハルモニ・吉元玉ハルモニの面会拒否などの経過について説明しました。また私たちは日々在特会からの嫌がらせを受けていますが、ベトナム戦争下の韓国軍の性暴力問題を引き合いに出すなど、橋下市長が在特会から学んでいる現実を指摘しました。
 吉見裁判の弁護団長の大森弁護士からは、裁判の経過と意義について語られました。桜内被告は、「『慰安婦』が性奴隷であることが捏造である」と主張し、裁判を通じて自分の歴史認識を日本社会に定着させるとまで言っています。原告側も受けて立ち、歴史認識を問う裁判として闘っていくと、表明されました。
 藤永壮さん(大阪産業大学教授)から、「吉見義明教授の裁判等を支持し、『慰安婦』問題の根本的解決を求める研究者の声明」の署名を取り組み、866筆が集まったことのアピールがありました。
 中国人強制連行受難者追悼会の冠木克彦弁護士から、特定秘密保護法についての特別アピールがありました。安全保障の問題にとどまらず、戦争責任を追及する者にとっても事実が隠蔽されるということ、そして市民運動の活動が制限され、また密告社会になる危険を指摘しました。集会後まもなくして、特定秘密保護法は成立しましたが、日本軍「慰安婦」問題と同様、闘いはまだ終わっているわけではありません。

被害者の望む解決を実現しよう!
 梁澄子さんが質疑応答で紹介した宋神道さんの発言には、聞く人は涙を抑えられませんでした。その言葉は本シンポジウムの最も大切なところ、つまり被害者が何を求めているのかというところを的確に表していると思うので、紹介します。
 それは1994年8月18日の、国民基金に関する言葉です。国民基金のことを知って、予備知識も何もないまま、直後に発した言葉です。 
 この言葉は、被害者が何を求めているか、端的に表しているのではないでしょうか?
「俺は反対だ。そんなだら、かえって黙ってやめたほうがいいや。今、国民がね、我々の税金で食ってんのなんのって言う世の中に(宋さんは生活保護で生活していました)、見舞金として払って貰ったからって、どのようなことを言われるか。また白い目で見られるんじゃないの? とにかく国民からカネ取るよりも、政府でやるべきなんだよ。はした金持ってきて見舞金で出すなんて言って、誰がもらえるか。子どもが考えても分かることだっちゃ。白い目で見られても、俺は自分の頭で生きてるんだよ。どういうことしてカネ集めるんだかよく分かんないけど、本当に誠意あるように、カネ払うにしても謝罪するにしても、ちゃんとしたこと謝罪しないと、いい加減なことしたら、俺はとっても受けられないもの。本人が納得いくようにしなければ、とってもダメだ。人間てのは、バカにしてもほどほどにしなきゃなんねんだよ。政府であろうが国民であろうが、俺はバカにされないよ。」