SAMPLE COMPANY

TOPICSトピックス

■金福童平和センター&金福童ナビキル(蝶の道)が韓神大学にオープン‼


2024年11月4日、人権・平和運動家・金福童が若者たちに伝えたかった「平和」の贈り物、金福童平和センターと「金福童のナビキル」が韓神大学キャンパス、万寿館の裏庭にオープンしました。

金福童の希望は、日本軍「慰安婦」被害者である人権平和運動家・金福童の希望を実践し、継続するために活動する団体です。
セブランス病院労働組合のクォン・ミギョン委員長、平和の少女像作者であるキム・ソギョン作家、元国会議員の尹美香さんが共同代表です。
■金福童平和センター設立目的

日本軍性奴隷制被害者の痛ましい歴史とともに、人権と平和への切実な願いを全世界の人々とともに記憶し、人権と平和を実現するという金福童の希望を後世に伝え、この地で日本軍「慰安婦」のような苦しみが再び繰り返されないよう、世界中に金福童平和センターを設立したいと思います。

最初の金福童平和センターおよび金福童のナビキルは、烏山市にある韓神大学キャンパスに建てられました。

金福童のナビキルは「真実と正義」、「金福道の平和」から構成され、「真実」のセクションには日本軍の性奴隷制の歴史、「正義」のセクションには日本軍性奴隷問題を解決するための活動の歴史と、平和を達成するために闘った「金福童の平和」が展示されています。
また、アーティストの作品も展示され、平和の少女像が建てられています。

■世界中に金福童平和センターを建てよう!


「私たちの歴史を見て学び、戦争のない世の中をつくってください」

2024年11月16日は日本軍性奴隷制問題解決運動「韓国挺身隊問題対策協議会」の結成から34周年にあたります。

私たちはアジアの被害者と連帯して日本軍性奴隷被害者の人権回復と戦時性暴力の再発防止のための国際基準をつくるために活動してきました。
水曜デモ1000回を迎え、日本大使館前に平和の碑が建てられ、将来世代への平和の贈り物として、戦争と女性の人権博物館が韓国ソウルに設立されました。

2012年3月の国際女性デーを記念して設立された「ナビ基金」を通じて、世界中の武力紛争下における性暴力被害者の希望となりました。
戦時性暴力の再発防止のための活動家を養成する「金福童平和賞」を、韓国の女性人権活動家と平和活動家を養成する「吉元玉女性平和賞」を創設し、日本の若者世代に女性の人権と平和教育の機会を提供する「宋神道平和基金」で日本の市民団体を支援しています。

しかし、日本政府は国家の責任を否定し、世界中で平和を願う市民が建てた記念碑や平和記念碑の撤去に外交努力を集中させています。

金福童ハルモニが翼を羽ばたかせた世界各地に金福童平和センターを建設し、被害者が望んだ平和な世界がつくられることを訴えます。

■なぜ金福童ナビキルが韓神大学に設置されたのか?

韓神大学は、1940年に韓国初の神学大学として設立、1980年の開学以来、学問と良心の自由、人権と民主化、国家の独立と反軍事独裁闘争、朝鮮半島の平和統一など、韓国社会の変革をリードしてきました。

特に、韓神大学の女性たちは解放後の米軍基地村での性的搾取の被害者や、日本人によるキーセン観光を装った性的搾取の被害者、日本軍「慰安婦」被害者など、朝鮮の歴史において性暴力被害者であった女性たちの人権擁護に尽力し、民主化と統一を主導しました。

1990年11月16日、日本軍「慰安婦」問題解決に取り組む委員会が結成され、日本軍「慰安婦」問題解決運動の立ち上げに参加しました。
その後、金学順ハルモニや金福童ハルモニなど被害者が次々と証言し、被害者自身が人権・平和運動家になっています。

過去、韓神大学の女性たちが被害者の人生を名誉あるものとして明らかにしたように、今回金福童平和センターを通じて、被害者の歴史と人権・平和運動の歴史を諦めずに世界に伝えることができることは、さらに意義深いことです。

あなたも、金福童平和センター推進委員会の一員となり、金福童のナビキルが世界中に開かれるよう、ともに羽ばたきましょう。
金福童のナビキル(蝶の道)宣言文
「私たちのような被害者を再び生みだしてはならない」

満14歳の幼い歳で日本軍「慰安婦」として連行され、中国、香港、インドネシアと連れまわされた苦難の歳月。隠し続けるしかなかった記憶を世の中にさらけ出すことができたのは、再び私のような被害者を生み出してはならないという思いからだった。
金学順の勇気が金福童の勇気として立ち上がり、戦犯加害国日本政府に公式謝罪と法的賠償、正しい歴史教育を要求する被害者の人権と名誉回復のための堂々たる闘いだった。

また、金福童はナビ(蝶)になって世界各地を巡って平和の羽ばたきをはためかせた。
ナビ基金を作り、コンゴやウガンダ、コソボなど世界の紛争地域の性暴力被害女性と連帯した。
世界中の被害女性たちから「私たちの英雄、私たちのお母さん」と呼ばれ、その女性たちがこれ以上恐怖に震える被害者ではなく、堂々たる人権運動家として、平和運動家として生きられるようになった。
そして各地を連れまわされた被害者金福童は世界中に希望と勇気を伝える人権平和運動家・金福童となった。
また、ベトナム戦争時の韓国軍による性暴力被害に対しては「大韓民国国民として申し訳ありません」と謝罪する真の人権運動家だった。
「私たちの歴史を見て、学んで、再び戦争が起こらない世界をつくらなければなりません」



日本の差別と抑圧のなかで懸命に学ぶ在日同胞の子どもたちに「差別を受けたからとへこたれるな。
在日同胞たちにも祖国がある」と励まし、全財産を寄付して私の代わりに支援をするよう遺志を伝え、現在も在日朝鮮学校奨学事業としてその遺志は継承されている。
在日同胞の子どもたちに送られた金福童の希望、これは「差別のない世界、戦争のない世界、平和な世界」だ。

「戦争は記念することではない、なくさなければならないこと」として全ての戦争と、戦争につながる差別と暴力に反対した。そして「私たちの子どもたちは平和な世界で生きなければならない」と、この地に生きる青年たちに平和をプレゼントしたいと言った。
2024年11月4日、「学生の日」の翌日である今日がまさに金福童の平和をプレゼントする日、人権平和運動家・金福童が逝ってから5年の歳月が流れ、本日その約束を実現することができた。
「希望をつかみ取って生きよう、私についておいで」

最後の息を引き取る直前まで日本政府に向かって「被害者たちの声を聞け」と叫び、生命が尽きるその瞬間をともにする人たちに「希望をもって生きよう」と希望と勇気を忘れず最後まで闘えば私たちが必ず勝つという確信を伝えてくれた。
金福童自らその確信を強く大切にして人生を全うし、金福童の後ろについて私たちもまた「希望」になり「平和」をなしとげるナビになろうと、本日このナビキルでともに誓い、宣言しよう。

私たちが金福童だ!
私たちが平和だ!
希望を持って生きよう!

2024年11月4日
金福童のナビキル開館式で金福童の希望をともにつくっていく私たち