日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク * 活動報告

訃報



《オンデオンデ(お菓子)を持つチンダさん 2022年》

大野です。悲しいお知らせです。

インドネシア・スラウェシのチンダさんが8月1日の朝に亡くなりました。

これまでも、お知らせしてきたとおり、腎不全で入退院をくりかえしておられましたが、昨夜からまた入院され血圧が70と低く呼吸もかなり苦しそうだと、付き添ってくれていた大家のアニさんから鈴木さんが連絡をうけて、私たちにお知らせをしてくれていました。

今朝早く、チンダさんが苦しい息をしていると連絡があり、祈るしかない絶望的な気持ちでしたが悲しいことに、8時30分に息を引き取られたと連絡がありました。

インドネシアの慣習に従い、今日中には埋葬されるそうです。

実は、残された時間が短いことが分かって9月にスラウェシに行く計画をしていました。
だから、会えると信じていただけに早すぎます。

チンダさんの得意なお菓子のオンデオンデをモチーフにした缶バッチを見てもらって、「また、食べたいから元気になって」と言いたかったです。

お腹が痛いと苦しむチンダさんが痛みから解放されたと思わなくてはならないけど、手を握って「がんばって」と言いたかったです。

いまは、6月に交わしたチンダさんの笑顔を思い浮かべながら、チンダさんが安らかに旅立たれたと信じて、被害者の苦しみ、悲しみ、辛さを、忘れない、そして伝えることを続けていきたいです。


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チンダさんはスラウェシ島西海岸のパレパレという街に暮らしていました。
13歳の時、日本軍によって母親と一緒に綿繰工場で仕事をさせられます。

その後チンダさんだけが残され、昼間は綿繰り工場で働き、夜は工場の敷地内にある建物で日本軍の性奴隷として過酷な生活を強いられました。

解放後、ようやく家に戻るも両親は亡くなり家もなくなっており、周囲から「日本兵の女」「シリ(恥)」と蔑まれるなど、孤独で辛い生活が待っていました。

15歳でお菓子作りを覚え、行商をしながら販売し、生きのびてきました。

2016年全国行動主催の集会で来日、証言をされたのを機に、2019年には全国行動メンバーと次世代メンバーがスラウェシ島を訪問しました。


2016年 大阪集会
「チンダさん(右から3人目)、フィリピンのロラ・エステリータ・ディ(左から3人目)」


2016年 東京集会
「支援者のダルマイさん、チンダさん、川田文子さん」

2021年、コロナ下で仕事ができず、困窮と病に瀕するチンダさんたちを支援しようと、2019年に訪問メンバーで「インドネシア・南スラウェシの日本軍「慰安婦」被害者緊急支援プロジェクトチーム」を立ち上げました。

以降毎月、みなさまからの募金をもとに定期的に支援金を送り続けてきました。

インドネシアの支援者とも連絡を取りながら寄り添ってきましたが、とうとうお別れの日を迎えてしまいました。

人生の最後に日本の支援者ら多くの仲間と出会い、心を通わせたこと、自らの被害を語り伝え、歴史に刻むことで大きな仕事をされたチンダさん。

苦しかった闘病生活を終えて今は安らかであることを心より祈ります。


《2023年6月、支援金で魚を買ったと見せてくれた》
2026年08月01日(土) No.255 (訃報)

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