# トピックス


「沖縄戦から72年 上映会とお話し」は終了いたしました。
ありがとうございました。




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沖縄戦から72年 上映会とお話

忘れられない体験にこそ真実がある

ー日本軍「慰安婦」を記憶する意味とはー


ドキュメンタリー番組 上映

Born Again

画家 正子・R・サマーズの人生
(琉球放送制作 2016年12月3日放送)


お話 栗原佳子さん (うずみ火記者)
「32軍司令部壕の歴史改ざん問題を問う」



# お知らせ



【追悼文】本岡昭次先生のご冥福を祈ります

戸塚悦朗




 長い間人権擁護活動の指導者として尊敬し、頼りにしていました本岡昭次先生が2017年4月10日急逝されたとのニュースをうかがい、衝撃を受けました。3月末には電話でお話しできました。お疲れの様子ではありましたが、この次に三田でお目にかかれることを期待して電話を切りました。埋めがたい喪失感は、表現のしようもありません。

 想い返してみますと、1980年代初め頃、私は第2東京弁護士会の人権擁護委員会の委員(副委員長)として、精神医療による人権侵害の実態についての調査に専念しました。その当時のことです。私は、精神衛生法の欠陥から起こされた重大人権侵害は、国際人権(自由権)規約違反であるという研究成果を発表し、法改正を提案しました。しかし、弁護士会だけでは政治を動かすことはできませんでした。
  野党第1党社会党(社労部会)の本岡昭次先生ほか数名の参議院議員は、被害者の声を聴き、私たち法律家や精神医療従事者と協力して宇都宮病院の人権侵害事件(虐待死、違法拘禁など)の調査に取り組み、1984年3月参議院予算委員会で問題提起しました。それまでほとんど注目されなかった精神医療による人権侵害が社会問題として主要メディア に大きく報道され、内外の注目を浴びることになったのです。この問題は、1984年8月国連NGO・国際人権連盟(ILHR)の支援を得るという幸運に恵まれ、国連人権会議でも論議されました。国際法律家委員会(ICJ)など3つの国連NGOによる人権実情調査団の日本派遣が実現し、日本政府への調査団勧告が出されたのです。このような内外の運動の流れは、日本政府を動かし、1987年9月精神衛生法を精神保健法として改正するという成果につながったのです。

 これを契機に、本岡議員などの社会党議員団も国連欧州本部を訪問し、人権小委員会に参加するなどして国際人権法政策の調査・研究を始めました。これは、超党派の国連人権活動協力議連(初代会長羽田孜衆議院議員=後の首相)の創設など、国会議員が国連人権活動支援のためのリーダーシップをとるまでに発展しました。

 その後本岡議員は、私たちの要請に応え国際人権法の日本への実効的な導入のために、人権条約、とりわけ個人通報権条約批准運動を精力的に続けました 。そのような本岡議員による国会活動と私たち法律家による国連人権活動という内外の国際人権活動は、日本軍「慰安婦」問題への取り組みに発展したのです。

  1990年6月6日の参議院予算委員会で、本岡議員は社会党を代表して質問に立ち、朝鮮人強制連行問題を詳細にただしていくなかで、「強制連行の中に従軍慰安婦という形で連行されたという事実もありますが、その通りですか」と質問したのです。ところが、答弁にたった清水労働省職業安定局長は、「従軍慰安婦なるものにつきましては、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、というような状況のようでして、こうした実態について調査し結果を出すことは、率直に申してできかねると思っている」と、民間の業者の問題であり、国は関与していないので、調査はできないと突っぱねたのです。本岡議員は、この事態を明らかにしないで日本と韓国の信頼関係が築けるのか、と海部総理に厳しく迫りました。結局、「政府は早急に報告する」との海部総理の答弁を得て、調査結果を待つことになったのです。この時の国会での質疑を知った韓国女性団体は、「日本政府は嘘をついている。軍隊の関与で行われたことである」と激しい抗議の声をあげました。「慰安婦」にされた金学順さんは、このままでは死んでも死にきれないと、1991年8月に名乗り出ることになり、名誉回復と日本政府の補償を求めて裁判所に提訴することになったのです。そのような流れのなかで、1992年1月には宮沢喜一首相が韓国国会で、「慰安婦」問題について軍の関与を認めて謝罪しました。本岡議員の厳しい追及を受け、内閣外政審議室は、1993年8月4日に「いわゆる従軍慰安婦問題について」の調査結果を発表し、この調査結果をもとに河野洋平内閣官房長官談話が発表されたのです。河野官房長官は、慰安所の設置は日本軍が直接・間接に関与したこと、慰安婦の募集については軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったこと、慰安所の生活は強制的な状況の下での痛ましいものであったことなどを認め、被害者に謝罪しました。問題解決のための重要な一歩前進でした。

 ところが、日本政府は、国の法的責任を回避するため、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」を設立し、国民の募金による償い金を国に代わって被害者に支給する事業を推進するという民間基金政策を推進しました。本岡議員は、これを真の謝罪とは認めないという被害者の声を支持して、これを基本的な誤りと判断したのです。もはや日本政府が「慰安婦」問題解決の方針を変更しない限り、解決への歩みは、一歩も前進しないのです。被害者が誠意ある謝罪と認めて受け容れる「慰安婦」問題の解決を促進していく新しい法律案を国会で審議し、これを成立させる以外に道はない状況となりました。

 本岡議員は、議員立法案として、「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を立案し、韓国を含む各国の被害者側から謝罪として歓迎する意向を事前に確認するという誠実な手順を踏みました。そのうえで、民主党(鳩山由紀夫代表)の影の内閣を説得し、野党共同法案として継続的に提出される状況を作り出しました。この法案が成立すれば「慰安婦」問題の解決が促進されることは、間違いなかったのです。「本岡法案」と呼ばれたこの法案が10回にわたり国会に上程されたことは、日本の多数の国会議員が謝罪のために誠実な活動をした事実を歴史に残しました。しかし、この法案は、メディアに注目されず、自公の反対を突破できず、法律として成立しなかったことは、残念でした。

 本岡議員は、金学順さんから直接「本岡さん、あなたは国会議員でしょう。日本の国会議員が問題を解決してくれないから、私たちが意を決して裁判に訴えたのだ。」と涙ながらに訴えられました。2004年政界から引退した後も国際人権法政策研究所を創設してこの法案の推進などの努力を継続し、最後まで「慰安婦」問題の国の責任による法的な解決に執念を燃やして闘い続けた本岡議員の原点は、この金学順さんの訴えだったということです。

 被害者の人権実現のための本岡先生の苦闘に思いをはせ、ご冥福をお祈りいたします。



2006年5月15日(月)国際人権法政策研究所第13回研究会より
右:故本岡昭次氏  左:投稿者戸塚悦朗氏




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