2009年4月24日〜26日、関西での3集会報告

韓国挺対協・梁路子さん講演

***これから私たちがハルモニたちの声を世界に広めよう***


 2009年4月24〜26日、大阪市・尼崎市・吹田市で日本軍「慰安婦」問題を考える連続集会が開催されました。
 当初の予定では韓国よりキル・ウォノクハルモニに来日していただきお話しを伺う予定でしたが、急な体調不良で来日できなくなりました。代わりというわけではないのですが、韓国挺身隊問題対策協議会から梁路子(ヤン・ノジャ)さんに来日していただき、韓国の被害者の状況や今後の運動について講演していただきました。「ハルモニが来られなかった」という現実が重たく、とても緊張感に満ちたものになりました。
 3集会では梁路子さんの講演の他、演劇や歌、舞踊などが披露され、被害者への思いが共有できました。梁路子さんのお話は、ハルモニの証言とはまた違い、いつもハルモニたちのそばにいる者だからこそ語れる真実に満ちていました。
 みなさん、梁路子さんの講演録を読んで、今後、私たちが何をどうやっていくべきか、是非考えてください。
 改めてこの運動は時間との闘いだと痛感させられます。



 アンニョンハシムニカ。韓国挺身隊問題対策協議会から来ました梁路子と申します。韓国から来ましたが、実は京都出身の在日朝鮮人です。学校も日本の学校に通っていまして、大学生の時に自分の民族に向き合うようになり、当時90年代に「慰安婦」被害者が名乗り出られるようになったこともあり、この問題に関わっています。
 当初キル・ウォノクハルモニがこの場におられる予定でしたが、急な体調不良で来られなくなりました。お腹が痛いと言うことなんですが、のたうち回るくらいの激痛が走るそうです。検査入院も2回受けたのですが、原因がよく分からないまま、大事をとって今回の来日は見送ることにしました。
 みなさまの前では元気なハルモニですが、今回でなくとも、例えば海外に行って韓国に帰ってからだと、いつもぐったりと横になり続けています。
 これまで日本や海外でハルモニが証言されることにより運動が進んできましたが、これからはハルモニが海外で証言する事は難しいということを肝に銘じなければいけませんし、これから先は私たちの口で周囲の人にハルモニの体験を伝えていかなければならなくなったのだと痛感します。


 少しキル・ウォノクハルモご自身のことについて紹介します。
 ハルモニは98年に「慰安婦」の申告をされました。比較的遅めの申告といえます。そこには事情がありました。
 98年のある日、キル・ウォノクハルモニがテレビを見ていると、他の「慰安婦」被害者がテレビに出ていたそうです。それを観ていると自分の過去の体験が重なって、「本当なら自分がそこにいてしゃべらなければいけないのに」と知らず知らずのうちに涙と声が出ていたそうです。それをお嫁さんがそばで聞いていて、「お義母さんそれは一体どういう事なの?」と訊きだして初めて、それまで誰にも明かせなかった胸の内を息子さん夫婦の前で涙ながらに話されたそうです。
 その後息子さん夫婦の理解もあって申告されるんですけれども、キル・ウォノクハルモニは他人の前で自分の体験を語られるようなことはされませんでした。ハルモニがみなさんの前で体験を話されるようになったのはここ2、3年の間のことです。以前は他にも体験を証言するハルモニがおられたのですが、近年次々と亡くなっておられます。そういう今になって、せめて生きている自分が語らなければならないのではないかと思うようになられ、辛い身体を振り絞って精力的な活動を続けてこられているのです。
 ハルモニの故郷はピョンヤンで、戦争が終わったときには故郷に帰る道もあったのですが、思い惑っているうちに朝鮮戦争が起こり南北が分断され、肉親や親戚に会えないまま64年過ごしてこられました。ハルモニは「慰安婦」生活の中で子宮と卵管を取られ、子どもを産むことができません。「女としての幸せは何もなかった」と時々仰られます。先ほどから出てくる息子さんは32歳の時に養子にとられた方なのですが、それからは息子さんを育てるため、過去を忘れるために必死に働いてこられました。それでも当然過去は忘れられず、自分の過去を誰かに知られるのではないかとビクビクしながら生きてこられました。ハルモニは歌が大好きでとてもお上手なのですが、以前は人前では決して歌わなかったそうです。人前で歌うと「これだけ上手いのであれば昔「慰安婦」であったのではないか?」と思われるのではないかと……一般的にはそんなことは思いもつかないことですが、人に過去を知られるのが怖くて歌も歌えなかったのです。人前で証言することによってある程度昔被った傷を癒やすことができるのですが、日本政府がまだまだこの問題を認めず解決しようとしない社会に暮らしているが故に、どうしても全てが解消したという気持ちにはなることができないんです。
 少し話は変わりますが、パク・スニハルモニという方がいらっしゃいます。去年9月に宮古島のアリランの碑の除幕式で初めて証言された方なのですが、それまで韓国では決して証言をしようとしなかったし、水曜デモにも来られませんでした。それはなぜかというと、息子さんに知られたくないからなんです。この息子さんも自分で産んだ息子さんじゃなくてダンナさんの連れ子です。パク・スニハルモニはそのダンナさんから「子どもが産めない」とひどい暴力を受けるのですが、「それは自分が昔「慰安婦」だったからだ」と自分を責めるんですね。本当に悪いのは自分じゃないのに。自分を責めて、堪えて、息子さんの成長だけを心の支えに生きてこられて、「息子だけには知られたくない、迷惑をかけたくない」と。まだまだそんなふうに考えて暮らしてらっしゃるハルモニは多くいらっしゃいます。
 ハルモニたちの解放は、今でも深刻な問題なのです。


 ハルモニたちの現在置かれている状況をお話しします。
 韓国政府に申告されている被害者は234名いらっしゃって、そのうち現在生存されている被害者は93名しかおられません。平均年齢は85歳から90歳くらいでしょうか。ここ5年ほどの間は1年間に15人前後の方がなくなっている状況です。今ハルモニたちに対する一番の問題は健康です。
 ただ単に歳をとったからというわけではなく、過去に受けた傷が健康に大きく影響を及ぼしています。生きていく気力もかなり低下していますし、身体を動かす事もままならず、精神的にもしんどい状況で、過去の体験からか認知症になられるハルモニも多いです。昔の悪夢と現在の区別がつかず夢にうなされています。
 ファン・クムジュハルモニという、日本でも裁判を起こされ何度も証言しているみなさんにおなじみのハルモニがおられます。以前はとてもかくしゃくとしたハルモニでしたが、彼女も現在重たい認知症で、私たちが挨拶に行っても何も反応がありません。ただ「水曜デモで日本政府に謝罪を求めているんだよ」と話をすると、思いがよみがえるのかわずかに反応を示されます。ファン・クムジュハルモニだけではなく、そんなハルモニは多くいらっしゃいます。
 ナヌムの家のハルモニは現在8名、挺対協の運営するウリチプには3名のハルモニが共同で暮らしていますが、その他家族で暮らしているハルモニもいらっしゃいますが、圧倒的多数のハルモニは独りで暮らしておられます。ハルモニたちは過去を知られたくないために人を避けようという傾向があります。結婚されてもうまくいかない事も多く、多くのハルモニが独りで何十年間も暮らしてこられています。そのため例えば介護や入院となっても、他者との関係がうまくいかず、どうしても独居に戻ってしまいます。食事さえままならず、窓や扉を閉め切ったまま寝たきりのハルモニが大勢おられるのです。これからどういうふうにケアするかが問題なのですが、挺対協も人が不足していて、なかなかうまく行かない状況です。


 挺対協としては今後当面次のような働きかけをしようかと予定しています。
 6月にはILO総会があるので、「慰安婦」制度が29号強制労働禁止違反であるとして勧告をだすよう働きかけます。
 7月は、アメリカの下院決議が上がって2周年です。しかしこの2年間日本政府は無視し続けています。そこでこの決議のことを世界にアピールし、日本政府に圧力をかけるよう働きかけたいと考えています。
 また今月4月9日に韓国憲法裁判所で公開弁論がありました。
 この裁判が何かと言うことから少し説明しますと、これまでハルモニたちは日本の裁判所に幾つも訴えを起こしましたが、その判決は現在進行中の海南島裁判を残して結果的にいずれも敗訴しています。その大きな理由は「1965年の日韓協定にて解決済み」というものでした。この協定自体は朴正煕軍事独裁政権が結んだもので、軍事独裁ですから国民の人権よりも国家の論理を優先させ、それ故に個人の被害が正しく認識されないまま結ばれた協定でした。
 前段として2002年に情報公開請求し、05年に公開されました。その公開された内容から、韓国政府は被害者支援を決定し、「この協定によって個人の請求権が放棄されたわけではなく日本の法的責任は残されている」という立場を表明しています。しかしだからといって韓国政府は日本政府に対して積極的に行動を起こしているわけではありません。当然国家は国民を守る義務があり、それに違反していると現在憲法裁判所に訴訟を起こしています。
 この訴訟は決して簡単ではありませんが、ハルモニたちはがんばっておられます。当初請求人のハルモニは109人でしたが、現在は89人になってしまいました。


 韓国の国会でも決議が上がりましたが、ハルモニたちが求めているのは決議そのものではなく、日本政府が謝罪することです。そのためにハルモニたちは身体が辛い中、一生懸命動いておられるのです。
 日本でも市町村議会から都道府県議会、最終的には国会へと働きかけて行かなければならないのですが、それはやはり日本にいるみなさまで実現していく運動です。このことはハルモニたちも注視しておられます。先日の福岡市議会意見書可決でも、ハルモニたちはその日のうちにニュースを知り、喜んでおられました。こうしたニュースがハルモニたちに元気を与えるし、明日の活力になっています。
 ハルモニたちも草の根で韓国社会でがんばっておられますので、みなさまも日本社会でがんばって、ハルモニたちに元気と勇気を与えてください。

 最後にもう一つお願いがあります。
 現在挺対協で戦争と女性の人権博物館の建設を推進中です。2004年から本格的に動き出したのですが、その頃はすでにハルモニたちが名乗り出られて15年経っており、なかなか解決が進まないハルモニたちの間にも絶望感が広がってきた頃でした。亡くなられる方も増えてきて「自分たちが死ねばこの問題は終わるのではないか、日本政府はそれを待っているのではないか」という不安感を持たれて、自分たちを記憶する博物館が必要になりました。
 もちろんハルモニたちのことを記録するのですが、それだけではなく、世界ではハルモニたちのことが記憶されないのと同じように、戦争による女性への暴力・蹂躙が絶えません。それに立ち向かっていく場所としても、博物館建設が必要です。みなさま是非ともご協力下さい。