第9回アジア連帯会議報告
聞いたものの責任として、今を生きる大人の責任として


 2008年11月23日から25日にかけて東京在日本韓国YMCAにて第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が開催され、関西フォーラムメンバーをはじめ、大阪、関西地域からも多数参加しました。
 <世界と連帯し、日本政府に即時釈放を要求する!>と題して開催された会議には世界各国から10人の被害者と支援団体、そして韓国からは郭貞淑国会議員が参加しました。23日はアジア連帯会議、24日は公開集会、25日には国会行動が行われました。



―23日(日)―
 非公開会議にもかかわらず、150名以上の人々が会場につめかけ、熱気の中で開会、最初に各国支援団体・個人より活動報告を受けました。

 韓国側からユン・ミヒャン挺対協共同代表が、18年間、回数にして840回を越える日本大使館前水曜デモの運動、アムネスティと連携して行った各国議会決議をあげるための国際活動、国連機関に対する働きかけなどについて報告、また、「戦争と女性の人権博物館」建設のための運動とその意義について話されました。名のり出た被害者の半数以上が亡くなり、生存者が100名を切る中、一刻も早い解決を訴えました。

 村山一兵さんは、「ナヌムの家」で暮らす被害者の状況、今年に入ってチ・ドリハルモニ、ムン・ピルギハルモニのお二人が相次いで亡くなられ、他のハルモニたちも病状が悪化するなど、心身ともに弱っておられることを訴えました。また、歴史館のリニューアルや「ピースロード」など、問題解決のための取り組みについて紹介しました。「挺身隊ハルモニと共に行動する市民のつどい」イ・インスン事務局長からも被害者の状況と支援活動報告を受けました。

 続いて、朝鮮民主主義人民共和国から届いた報告文章を在日本朝鮮民主女性同盟中央本部の李煕子副委員長が代読、これに先立ち、日本政府が4度目の共和国への制裁延長を行ったことで、来日が困難になったことなど、あらためて日本政府に対する抗議の意思を表しました。
 中国から参加した康健弁護士は92年から始まった被害者の証言、実態調査について報告、95年に19名の被害者が訴訟を起こしたこと、被害の実態を明らかにするために、全国の弁護士や中国法律援助基金による共同プロジェクトで実態調査に取り組んできたことについて報告しました。

 台湾では1992年以降、58人が被害を訴えました。台北市婦女救援社会福祉基金会が活動をすすめ、日本政府に対して、歴史の真相と向き合って戦争の責任をとり、被害者の尊厳と名誉の回復のための立法化を求めています。2008年11月には台湾の立法院で日本政府に謝罪と賠償を求める決議が採択されています。最近では「サイバーミュージアム・女性の人権と『慰安婦』」の年末の開設に向けての活動をすすめていることが紹介されました。

 フィリピンからは、リラ・フィリピーナ、ロラズ・カンパニエラ、ロラ・マシンネットが参加、各々より活動報告がされました。リラ・ピリピナのレチェルダ代表は174人の被害者が登録したが、すでにその3割が亡くなられたこと、性奴隷とされた被害女性の正義の回復のみならず、現在も外国軍隊による干渉や侵略の中で女性への性暴力に反対する活動をおこなっていることが報告されました。
 ロラズ・カンパニエラ代表は、2007年にフィリピン外交委でガブリエラ女性政党の議員が性奴隷被害の認知・謝罪・責任・被害者補償を求める決議案を提出し、今年3月に下院で採決されたが、日本政府の圧力によって差し戻されたことを報告しました。

 インドネシアから参加したエカ・ヒンドラディさんは日本軍「慰安婦」被害者の記録を「モモエ〜彼らは私をそう呼んだ」にまとめ、発刊、ベストセラーになっているそうです。また、日本統治下のインドネシア「慰安婦」についてのウェブサイトを立ちあげ、この問題を広く知らせ、また、各国と情報交換もしていると報告されました。彼女は社会運動が被害者たちの存在に目を瞑ってきたことを指摘、インドネシア政府も「国民基金」から老人施設として3億6千万円ものお金を受け取ってからは解決に関心を示さなくなり、被害者の多くは生涯貧しさの中で辛い人生を送っていく他ない状況だと訴えました。

 東ティモールでは、東ティモール人権協会(HAK)による調査・支援活動が取り組まれています。同会の正義実現担者で、自らの祖母が日本軍「慰安婦」であったというエディオサルダニャさんが参加しました。2005年より調査、公聴会やスピーキング・ツワー、パネル展示などの活動が報告されました。

 各国の運動報告として、アメリカで「慰安婦」決議案121を実現させた草の根運動のリーダーであり、関西フォーラムにも来ていただいたアナベル・パクさんが登場。今、世界はこの問題に関心を持っており、日本政府の対応に注目している、今が解決のためのチャンスであり、日本が永遠に非難される国となってはならない、そうさせないために日本の市民の力が鍵を握っている、奇跡は必ず起こると力強いエールを示してくれました。

 同じく、カナダから参加したトロント・アルファ(ALPHA・アジア第2次大戦史学習保存会)代表のフローラさんも、カナダ議会で奇跡的に決議が通った背景について語りました。誰も知らなかったこの問題が広がったのは新聞への全面広告だったり、コンサートだったり、署名運動にもとりくみ、5万筆を集めたことなど、様々な困難を乗り越えてきたことを語りました。また、他のグループと運動体を作り、07年5月にはカナダの全国紙に全面広告を掲載し、07年11月には、4人の被害者によるカナダ議会やトロント大学での証言会をもち、議会決議を実現させました。現在、社会的正義と世界平和の実現にむけ、共同作業をすすめています。

 報告の最後は日本です。実行委員会より一昨年の第8回アジア連帯会議以降の取り組みと成果について報告がされました。続けて今後の活動方針と獲得目標として国会での「公聴会」や「謝罪決議」とともに補償立法を実現させることが提示されました。

 討論では「謝罪」の中身について、あるいは謝罪と「賠償」の関係について言及されるなど、議論が逆戻りしている感もありましたが、あらためて「被害者が納得できる謝罪」であること、謝罪と賠償を分けて考えるべきではなく、賠償の中身として謝罪と再発防止、歴史教育が含まれなければならないという確認が概ね出来たのではないかと思います。
 各国の報告と討論を聞き、この問題の解決が一刻の猶予もない事態にあることが参加者の心に重く響いたことでしょう。


―24日(月)―
 同会場ホールにて午前10時より、400名が参加する中、公開集会が開催されました。

 開会あいさつ、追悼行事としてイトー・ターリさんによるパフォーマンスが行われました。続いて各国の被害者証言が行われました。
 中国の郭喜翠さんは、15歳のときに日本軍に連行され、血が出るほど殴られたあげく、監禁・強かん・輪かんを繰り返されました。まだ初潮もなかったため、兵士によって性器を切り裂かれ、その痛みと熱で動くこともできないほど衰弱し、家族がお金を積んでようやく取り戻したにもかかわらず再び連行されるということが三度も繰り返されました。あまりにも惨く辛い体験により現在もPTSDに苦しんでいます。死んでからもこの事実を子どもたちに話すと、やっとの思いで最後まで証言をされました。

 韓国大邱から参加された李秀山さんも、15歳のときに中国に行けば良い仕事があるとだまされ、大勢の女性たちと貨車で行くも、待っていたのは「慰安所」でした。あまりの辛さに逃げようとしてつかまり、焼きゴテを体のあちこちに当てられ、いまだにそのときの傷が痛むといいます。途中で「もう話したくない!」と号泣しながらも、最後まで被害の実態を訴えられました。妊娠したことがわかり、産みたいと言ったにもかかわらず、手術して知らぬ間に子宮ごと取られてしまったとのこと。2005年、ようやく故郷である韓国に帰り、今は大邱のアパートでひとり暮らしをしておられます。

 台湾の鄭陳桃さんは、勉強が大好きで、ようやくおばあちゃんに学校に行かせてもらえるようになったある日、警察にジープで送ってやるといわれ、監禁、強かんされたあげく、他の女性たちと一緒に軍艦でインド洋の島に連れて行かれ、日本軍の「慰安婦」とされました。解放後、家に帰ると大好きだったおばあちゃんが亡くなっていたことが大きなショックでした。叔父に「汚い女」とののしられ、放り出されました。最後に、死ぬまで性暴力を受けた人たちのために闘うと話されました。

 東チモールのエスペランサ・アメリア・フェルナンデスさん。まだ幼かった時期に日本軍が東チモールにやってきました。まだ処女の若い女たちを連れて行き、エスペランサさんも3年間もの間、日本軍によって牛や馬のような扱いを受け、レイプされ、そしてあるとき、突然日本軍は帰ってしまったのです。私は日本に対して謝罪を求めたいと話されました。

 宋神道さんは、いつもながらの明るさで、会場を沸かせながらも、戦争は一番いけない、戦争でどれだけ中国人、朝鮮人がいじめられたかわからないと発言。16歳で連れていかれ、殴られて両方の耳が聞こえず、言葉も通じない。妊娠、出産、死産を繰り返し、解放後も軍人にだまされ、夫婦に成りすまして日本についたとたん置き去りにされたこと。絶望して自殺を図ろうとしたところ助けてくれた在日男性と暮らすようになったと話し、最後に今日はみなさんの顔を見られて生きた甲斐があったと閉めくくりました。

 昼食後、午後の部はミュージカル「ロラ・マシン物語」で幕を開けました。
 全国で10年以上にわたって公演、多くの人を感動させた作品で、今回短縮されたものでしたが、出演者の熱い思いが伝わる、すばらしい公演に涙が止まりませんでした。

 続いて今回招請を予定していたカナダのオリビア・チャウ議員、EU決議にかかわった議員、フイリピン議会決議にかかわったリサ・マサ議員らからの映像によるメッセージが紹介されました。また、米下院ペロシ議長やマイク・ホンダ議員らからは文章によるメッセージが寄せられ、朗読されました。

 シンポジウムではアナベルさん、郭議員と並んで大阪からも田中ひろみさんが登壇、宝塚で決議をあげるまでの歴史と経過について話したほか、総選挙に向けて独自の議員対象アンケートを行うという話に多くの人から注目を浴びました。

 最後に決議文を朗読、全体で確認して集会を終えました。


―25日(火)―
参議院議員会館前のスタンディング・デモ
シュプレヒコールをあげるキル・ウォノクハルモニとイ・ヨンスハルモニ
 
 院内集会での李秀山ハルモニの証言に涙する人も
 午前中は各国運動団体と被害者らによる議会要請行動、13時より参議院会館前でスタンディングデモが開催されました。
 私たちの隣では右翼メンバーら数名がスピーカーの音量を最大に、被害者らを侮辱する汚い言葉や差別用語を羅列、まくし立てていました。
 幸い、スタンディングデモが始まるとまもなく立ち去りました。

 3時から始まった院内集会は人数制限していたものの、会場いっぱいの人々が参加、国会議員10名他、議員秘書ら多数参加されました。また、カナダ、オランダ、EU、インドネシア各国の大使がこの場に参加しました。
 中原道子さんは開会あいさつで18年という歳月、運動を中心になって担ってきたのは被害者たちだったと発言、早急な課題として立法化、選挙に向けたアクション、各地域議会から意見書を上げる運動を全国に広げることをあらためて提起しました。続いて、参加された各党議員全員から発言を受けました。福島瑞穂議員は河野談話が出されたときの思いを語りながら、この談話にもとづいて一日も早い解決を、野党共闘で参議院に立法案を提出し、これを実現させるために全力を尽くすと力強くあいさつしました。
 岡崎トミ子議員も立法についての取り組みを振り返り、これまで8回提出してきたこと、公式謝罪と補償、歴史を教科書に、これらを核とする立法を、必ず実現させると意気込みを見せてくれました。
 続いて今回唯一参加した海外国会議員である郭貞淑議員がスピーチを行いました。「慰安婦」問題は国家が組織的に行った犯罪であり、国家として責任を取って謝罪・賠償することは未来の世代のためになさなければならないことで、いつまでもフタをしたままでいることはできないとし、きちんと責任を取って被疑者の許しを得ることは人類の和合のために必要なことで、自信を持って進めてほしいと語りました。

 このあと、被害証言が韓国・中国・東チモールと続きました。また、海外からのメッセージとして昨日と同様、アメリカ下院議会ペロシ議長とマイク・ホンダ議員からのメッセージが紹介されました。いづれも昨年のアメリカ議会121号決議にもとづき、日本政府が責任をとること、公式謝罪を行い、過去をのりこえるよう求める内容でした。 映像によるビデオメッセージも紹介されました。
 引き続き、各国支援団体からの発言がありました。

 最後に東海林路津子さんがまとめ報告を行いました。
 午前中の議会行動を振り返りながら、新ためて政府の壁の厚いこと、アジア女性基金では解決にならないということがなかなか受け入れられない現実、「人権」とはなにか、分かっていないのではないかと指摘しながらも、政府に対し圧力ではなく、どの立場、誰の立場に立って行動するのか、しっかり問うていきたいとまとめました。

 被害者を、また遠い日本までお呼びして証言をさせてしまったことに心は重くなりますが、一方で、被害者であると同時に、解決のために立ち上がり声を上げ続ける彼女たちに頼もしさ、畏敬の念すら沸き起こってきます。
 聞いたものの責任として、今を生きる大人の責任として、必ずこの困難を乗り越え、あるべき地域、社会、世界をつくるために、「慰安婦」問題の解決は私たち一人一人に与えられた課題なのだと思います。
 ともに解決に向けて闘いましょう。


第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議 決議

 2008年11月23日から25日まで東京において、私たちは日本軍「慰安婦」問題の一刻も早い解決を目指して第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議を開催した。「世界と連帯して日本軍『慰安婦』問題の即時解決を日本政府に求める」というテーマで開かれたこの会議には、韓国(北朝鮮はレポート参加)、台湾、フィリピン、中国、東ティモール、インドネシア、日本に加え、アメリカ、カナダからも被害者と国会議員、活動家などが参加した。
 昨年の米下院・オランダ議会・EU議会・カナダ議会に続き、今年も国連自由権規約委員会報告書で日本政府に対する勧告がなされた。この秋には韓国国会と台湾立法院でも日本に公式の謝罪と国家賠償を求める決議が採択されるなど、「慰安婦」問題の真の解決を求める国際世論はいっそう高まっている。
 一方、日本でも世界各国議会の決議採択を受けて、3月には宝塚市議会で、6月には清瀬市議会で決議が採択され、11月7日には政令指定都市である札幌市議会で、被害者の尊厳回復のための真相究明・謝罪と賠償のための閣議決定、歴史教育などを求める決議が採択された。
 しかし、日本政府は一向にこうした声に耳を傾けようとせず、93年の河野官房長官談話で謝罪は行っており、女性のためのアジア平和国民基金で道義的責任は果たしたと、日本軍「慰安婦」問題は終ったかのような主張を続けている。
 こうしたなか、被害女性たちは高齢化し、日本軍「慰安婦」にされた後遺症により未だに苦しみの日々を送っており、日本政府が謝罪と賠償をしていないために、その傷はさらに深まっている。そのような厳しい状況にもかかわらず、被害者らは日本政府に正義の実現を求めて活動している。
 第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議に参加した私たちは、こうした状況を踏まえ、被害女性たちの長年のたゆまぬ闘いに敬意を表する。そして、一刻も早く日本軍「慰安婦」問題が解決されるよう、強固な連帯を通して運動を推し進めることを確認し、以下のように日本政府と日本の国会に要求する。

―――日本政府と日本の国会に対する要求―――

 1、日本政府は、日本軍が1930年代から日本の敗戦までの間、アジア太平洋地域の女性を連行、性奴隷化した事実に対し、公式に認め謝罪すること。

 2、日本政府は、日本軍「慰安婦」被害者の状況に鑑みて、被害者が生きている間に謝罪と賠償を実現するため、直ちに行政的、立法的制度を整えること。

 3、日本政府は、日本軍「慰安婦」問題を否定するいかなる暴言も許さず、これに対し毅然として、公式に反論すること。

 4、日本政府は、日本軍「慰安婦」のような類似犯罪の再発を防ぐため、日本の歴史教科書にこの問題を正しく記述し、現在と未来の世代を教育すること。

 5、日本の国会は、日本軍「慰安婦」問題に対する事実認定と公式謝罪および法的賠償を実現するための特別法を一日も早く制定すること。


 さらに私たちは、世界各地の議会決議および日本の地方議会決議と国連自由権規約委員会の勧告を積極的に支持し、このような勧告が実行されて、日本軍「慰安婦」被害者の人権と尊厳が回復されるよう、いっそう力強く運動を展開していく。そのため、次のように行動することを決議する。

―――行動綱領―――

 1、私たちは、日本政府が被害者と国際社会の声に真正面から向き合い、一刻も早く公式謝罪と補償のための法律を制定するよう、あらゆる方法を駆使して日本政府に強く働きかける。

 2、私たちは、日本軍「慰安婦」問題の真の解決に向けて国際連帯を一層強化し、2009年夏の第44回女性差別撤廃委員会やILO総会で勧告がなされるよう、国際連帯行動を推進する。

 3、私たちは各国の「慰安婦」問題に取り組む運動や各国の被害回復プロジェクトを支援し、その運動と連帯し、歴史認識を育て、記憶を継承し、女性に対するいかなる暴力も人権侵害も許さない運動を推進する。

 2008年11月24日
  第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議参加者一同