5月10日、東成区民センター小ホールにて「私たちは問い続ける〜日本軍『慰安婦』問題と安倍・橋下の歴史認識〜」と題して講演集会を開催しました。
 「戦場で兵士を休息させようと思ったら慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」
 「風俗業は必要だ。沖縄の米軍司令官に『もっと風俗業を活用して』と言った」
 1年前、こうした「慰安婦」被害者を踏みつけにし、女性の性を道具とするとんでもない橋下市長の発言に国内はもとより、国際社会からも激しい非難の声が湧きおこりました。
 集会では西野瑠美子さんをお招きしてお話を聞きました。
 橋下市長の女性を二分化する「性の防波堤」発言や、日本人の集団買春事件を「ODAだ」と言ってはばからない言動について、その女性差別性を一層明らかにしました。
 また、安倍政権下で進行している「河野談話」撤回、否定の動きのなかでいかに加害の事実が隠ぺいされ、歴史的事実が歪曲されてきたかを様々な側面から明らかにしていきました。
 その中でタブー視されてきた日本人「慰安婦」の存在に関する研究の一部が紹介されました。
 加害兵士の聞き取り調査や、アジア各地を訪問して被害者に寄り添い、聞き取りを継続して来られた西野さんの、北朝鮮におられた故朴永心さんのお話はそのあまりの過酷さに胸がつまりました。
 民間の研究者らによって、あるいは被害国で「河野談話」以降、500点を超える新たな資料が出てきたにも関わらず、資料収集はおろか、歴史の事実から目を背け、否定し続ける日本政府のあり方を厳しく批判しました。

 休憩をはさんで、会場からの質問にも時間いっぱい答えていただきました。
 最後に橋下市長の今も続く「慰安婦」歴史否定発言に対する抗議と、辞任を求めるアピールを参加者で確認しました。
 アピール文は発言から1年目を迎える5月13日に橋下市長に届ける予定です。
 これからも、橋下市長、安倍首相、NHK籾井会長ら、女性の人権を踏みにじり、歴史を歪曲する公人の暴言を許さず、辞任を求める声をあげ続けていきます!

【講演】
歴史認識を歪める橋下言説の複合差別と「国体護持」イデオロギー

―男性神話・女性蔑視・民族差別・階級差別・自民族優生思想の呪縛と弱者犠牲の不正義の呪縛を解く―

「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクションセンター 
西野瑠美子さん


はじめに
 今日は「歴史認識を歪める橋下言説の複合差別と『国体護持』イデオロギー」というタイトルをつけました。「慰安婦」問題に関して「あった、なかった」とか、「強制だ、強制ではない」というように、同じひとつの現象、あるいは同じひとつの証言・資料を見てもその評価が分かれることがあります。
 なぜ、同じ証言を聞き、同じ資料を見ても、それが「『慰安婦』は強制ではない」とか「商行為」ということになるのかというところをまず見ていきながら、「慰安婦」問題の実態と本質について考えていければと思います。

 2007年第一次安倍政権の時、「慰安婦」問題が大きな議論になりました。あの時も「軍・官憲の拉致による強制でなければ強制連行ではない。強制連行はなかった」「証拠を出せ」という今と同じような議論があったわけです。アメリカ下院が決議をあげ、安倍さんはアメリカに行って、日米首脳会談を開きましたが、「慰安婦」問題についてブッシュ大統領にお詫びをしたのを覚えていらっしゃいますか? あの時、「誰に詫びるんだ」「ブッシュ大統領は「慰安婦」ではない」と、たいへんな非難がありました。安倍さんは「辛酸をなめられた元『慰安婦』の方々に、人間として、また総理として心から同情する」と言いましたが、今回、第二次安倍政権下、同じようなことを言っています。「筆舌に尽くしがたいつらい思いをされた方々のことを思い、非常に心が痛む」韓国に行ったオバマ大統領が「慰安婦」問題について言及した時も、同じように「心が痛む」と言っているわけですね。
 橋下大阪市長もこういうことを言っています。「意に反して『慰安婦』になったのは戦争の悲劇の結果。戦争の責任は日本国にもある。『慰安婦』の方には優しい言葉をしっかりかけなければいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない」――これを見て、ムッとする方がいると思うんですが、私たちはなぜこの言葉に怒りがこみ上げ、バカにするなという気持ちに押しつぶされそうになるのかというところから考えてみたいと思います。

 「同情する」とか「優しい言葉をかけましょうね」というのは、自らを第三者に置いてそういう言葉をかけることで、責任を回避した立ち位置を確保した上での「同情発言」ということになります。
 女性たちに辛酸の思いをさせたのはいったい誰なのか、その犯罪を業者の責任にし、「戦争の悲劇の結果」として終わらせようというのかと、その態度に非常に困惑するわけです。「心が痛む」と言いつつも、日本人ではないアジアの女性の痛みに関心があるわけではなく、彼等が何としても守りたいのは国家の名誉、そして過去の戦争の正当性ではないか。戦争ができる国にするため、過去の戦争や軍隊、天皇の記憶を美化しようとする、国家ナショナリズムにのみこまれていく、そういう状況にいらだちと立ちすくむ思いがします。
 しかし、私たちがこの言葉に対して、腹が立つ、聞き逃せないと思う、怒りがこみ上げる、それは、今回だけではないと思うんですね。
 20数年間、被害者が正義の実現、尊厳の回復を要望し、声を上げてきた、そこに何があるのかと言えば、依然として正されない不正義がある。私たちの心に突き刺さってくるのは、彼等の発言の中にある不正義がむき出しだからですよね。私たちが問い続けるのは、そういう不正義は正されなければいけないんだという、真の意味での尊厳の回復、あるいは歴史の克服を求めるからだと思います。
橋下大阪市長の「性の防波堤」感謝論と、女性の二分化差別構造
 では、真の正義とは何なのか、橋下発言の不正義とは何なのかというところから考えてみたいと思います。
 昨年5月13日の「慰安所」必要論や風俗業活用の勧め等々、あの発言の後、橋下さんは「沖縄の女性が防波堤となり進駐軍のレイプを食い止めてくれていた」と言っています。これは沖縄慰霊の日に沖縄へ行った際の発言。たぶん彼は、自分はいいことを言ったと思っているんでしょうが、びっくりするような発言です。「沖縄の女性が防波堤となって、戦後米軍が上陸してきた時、進駐軍のレイプを食い止めてくれていた」「沖縄占領期に日本政府が米軍用にRAAを作ったことは歴史的事実だ」――これは歴史的事実じゃないんですけど、彼は言ったんです。「沖縄の女性が一生懸命頑張った」「そういう女性たちに感謝の念を表して、そこで悲惨な境遇を受けた場合にはお詫びや反省もしなければいけない」と。
 つまり、性暴力を防ぐために、進駐軍のレイプを食い止めるために「性の防波堤」になった沖縄の女性たちをほめたたえているわけです。「よく一生懸命がんばってくれたなあ」と、上の方から頭をなでているような光景が浮かんでくるんですが、そういう中で彼の「『慰安所』制度は必要だった、風俗業を活用するように」という発言が出てくる。「性の防波堤」論というものが彼の根底にあって、強かんには強かんで食い止める、目には目を、歯には歯をというようなものが見えるわけです。
 「沖縄の海兵隊の性的エネルギーを解消するために、風俗業を活用するよう言った」とサンフランシスコ市議会への公開書簡の中にも書いてある。つまり「慰安所」やRAAのようなものは、橋下さんの発想そのものだということが分かります。この発言の意図は、「沖縄の女性やこどもの安全や人権や守らなければいけない」「さらなる綱紀粛正の徹底を要請し、女性の尊厳と人権の保護・向上だ」と橋下さんは言うけれども、いったいこの場合の女性とは誰なのと思っちゃうわけですよね。
 そこで私たちは「一般住民女性の貞操を守るために『性の防波堤』になった女性に感謝する」「一生懸命やってくれたなあ、本当によくやってくれたと感謝する」という言葉に立ち止まらなければいけないんじゃないか。
 彼は沖縄にRAAを出したと言いますが、沖縄は当時占領期にあってRAAはやってないんです。RAAというのは東京中心に作った組織です。RAAを結成する宣誓式では「『昭和のお吉』幾千人の人柱の上に、狂瀾を阻む防波堤を築き、民族の純潔を百年の彼方に護持培養すると共に、戦後社会の根本に、見えざる地下の柱たらんとする」と述べられています。これを「慰安婦」のことを想定しながら読みますと、当時、「性の防波堤」というのは性暴力を阻むための「人柱」であって、民族の純潔を守るということを宣誓式で言っているわけです。そして、守ろうとした「民族の純潔」とは何か。この文章の中では「全日本女性の純潔」という言い方をしています。一般女性の純潔とか貞操とか、いろんな言い方がありますが、この文章を読んでみると、それは「民族の純潔」である。そして「民族の純潔」とは、日本にはアイヌ民族もいれば、琉球民族もいる、単一民族国家ではないわけですが、そういう意味では「大和民族の純潔」と言えるのではないか。しかも、その「大和民族の純潔」というのは国体護持であるということが分かるのです。
 米軍が上陸してくるので、日本の女性たちが強かんされたら大変だ、早くしないといけないという議論の時に大蔵省主税局長になったばかりの池田勇人が、当時のお金で、「一億円まで出そう。『大和民族の純潔』を守るのに一億円は安い」と言っています。
 一方、逆の見方からすると、「日本女性の純潔」を守るために必死になった人たちが、女性たちが強かんされたらどうなるかというと、小林よしのりさんの言葉は非常に象徴的です。敗戦時、ソ連が1945年8月に参戦してきて、強かんが多かった時の話です。「ソ連兵に強かんされ身ごもった日本人女性は自決したり、博多の引き揚げ者収容所で中絶したりしたらしい。しかし、これらの日本女性はその後、貝のように口を閉じ、決して語らず胸に秘め、その事実すらなかったかのようになっている。日本の女はすごい。ワシはこのような日本の女を誇りに思う」小林よしのりさんの感覚は、「『慰安婦』は商行為だ」とか、「『慰安所』は必要だ」とか言っている橋下さんと、本音として共通するのではないかと思います。とすると「民族の純潔」とは、人権とか人間の尊厳とはかけ離れたものであるということが想像できるわけです。
「人柱」とされたのは誰か
 では「人柱」として「性の防波堤」として誰が選ばれたのかということですね。
 この選ばれたというところには女性の二分化があるわけです。純潔・貞操を守られるべき女性、つまり一般女性や良家の子女の純潔を守るためとか、RAAに出てきますが、純潔、貞操を守られるべき女性、つまり強かんされてはいけない女性と、良家の子女の純潔を守る側に立たされる、つまりその枠から外された女性、かつてであれば、公娼制度下の女性たちがそうなるわけですが、そういった強かんされてもいい女性と、女性の二分化が前提となっているわけです。
 そしてこの「人柱」ということが、巧妙にカムフラージュされました。暴力性あるいは差別性あるいは、いけにえ的、犠牲的な側面がどうカムフラージュされたかというと、戦時下であれば「慰安婦」とか「特殊婦人」、RAAでは、「日米親善」という言葉が使われたんです。あるいは「お国のため」と。「良家の子女の防波堤」の文章を書いた坂信弥という警視総監は、米兵の強かん防止にあたるRAAに入り込んでいく彼女たちに「身を持って日米親善にあたってもらいたい」と言っています。
 そして「人柱」としてどういう女性が募集されたかといえば、芸妓であったり、公娼あるいは私娼の女性たちであったり、あるいは女給であったり、酌婦であったり、あるいは常習の密売淫の法を犯した女性たちであったり、戦火で焼け出されて食べていくことができなくなった、貧困の底辺に焼け出された女たちがここに吸収されていくわけです。「愛国的義務として集められ、そして進駐軍を迎えるための、彼女たちは特殊女性である」と通訳はRAAの女性たちをサムス大佐に紹介しているんですが、こういった美辞麗句で日本の貞操を守るための女性たちにカムフラージュをつけたわけですね。
「慰安所必要論」と男性神話&強かん神話
 『慰安所』必要論を正当化するのはいったい何なのか。
 軍隊は強かんするもの。強かんには強かんを満足させるような強かんで対処しなければいけない。こういう発想が、橋下さんの中にもあるわけです。
 強かんというのは、単なる処女性とか貞操とか家父長制イデオロギーの下で作られた女性の価値観の下で議論することではなく、人間の尊厳に対する攻撃という形で見ていかなくてはいけないと思うんです。
 今も世界ではたくさんの戦争、内戦、民族紛争、宗教戦争等々がありますが、1990年代の旧ユーゴの紛争あるいはボスニア・ヘルツェゴビナの紛争、あるいはルワンダの紛争でも、性暴力が戦術として使われました。ルワンダの場合は民族を絶滅するための手段として性暴力が使われ、それが推奨されていったわけですが、旧ユーゴの戦争では、敵方の女性を強かんして妊娠させ子どもを産ませる。民族浄化だといって、女性たちを監禁して妊娠するまでレイプして子どもを産ませた、恐るべき戦争手段としての性暴力、強かんにつながっていったのです。
「買春はODA」橋下発言に見えるアジア蔑視
 橋下さんは2003年にもすごい発言をしているんです。
 広東省の珠海市で日本企業が買春ツアーに行っているというのでたいへん問題になったことがありました。約300人の日本人男性が500人の中国人女性を相手に乱交を行った。舞台になったのは国際会議センターのホテルで、この事件が発覚して営業停止になったんですが、インターネットでその光景を見た中国の方が告発したのが、発覚した原因でした。従業員の表彰式では参加した20代から30代前半の日本人社員が大声でスピーチをし、宴会になると中国人女性を招く様子に中国人の方は日本軍の「慰安所」を連想し、その場で抗議したけれども取り合われなかった。この団体はホテルに日の丸を掲げるように要求し、宴会では軍隊調の音楽を流したと伝えられている。
 本当にとんでもない恥ずかしいことを日本の企業が珠海市で行ったということで、国内でも大問題になった。ところが、それを取り上げた「サンデージャポン」というテレビ番組に出ていた橋下さんは、当時弁護士の肩書きでしたが、「これは女性の自由意志でしょう。これは日本のODA。日本の観光客が中国でお金を落としている。これは経済貢献じゃないか」と。そこに同席していたデープ・スペクターさんが、「だから、日本は『慰安婦』問題をちゃんと反省しなきゃいけないんだ」と激昂したんですが、賛同する人が誰もいなくて浮いてしまったというんですね。
 こういうODA発言が、「風俗活用論」や「『慰安婦』必要論」として、同一線上にある彼の意識であり、そこにはアジア差別やアジア蔑視構造の連続性が見えてくるのです。
「強制連行否定論」の裏側にあるもの
 「強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」と、安倍さんも国会で何度も言うし、橋下さんも「強制連行を直接示す資料がないから、強制連行があったとは言えない」という議論を繰り返しています。
 これは、第一次安倍政権の時に、当時社民党の辻元清美議員が、質問主意書を出した時に書いてあった文言です。その質問主意書の答弁書として来たもので、答弁書はだいたい閣議決定されますが、その答弁書に書いてあった文言です。
 「関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い、これらを全体として判断した結果、同月四日の」、これは1993年8月4日ですね。「内閣官房長官談話のとおりとなったものである。また、同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見あたらなかった」
 これは全体の中の一部分ですが、ここをとって「閣議決定で強制連行を直接示す記述は見つからなかった」とさかんに言うんですが、ここにはたいへんなからくりがあるんです。
 どういうことかというと、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見あたらなかったけれども全体として判断した結果」――全体というのは、「河野談話」を発表するときに、軍関係の資料、警察資料も内務省資料、政府資料、あるいは『慰安婦』の女性の証言、あるいは朝鮮総督府や業者、元日本兵や関係者の証言等を合わせて、全体として判断した結果、「同月4日の河野官房長官談話の通りになった」という脈略です。
 「河野談話」になったけど、実際は見つかっていないんだからあれはおかしいという脈略の文章ではないんです。
 「河野談話」を踏襲しているということ、そして政府の立場を踏襲しているというのは、先月も安倍首相は辻元さんの主意説明書に答弁しました。「河野談話」をあれだけ否定しておきながら、「『河野談話』は政府として継承することが、政府の統一見解で、日本政府として謝罪している、それは『河野談話』によって謝罪した」と閣議決定までされているんです。でもそういうことは出さないで、都合のいいところだけ出すので、新聞報道では分からないんですが、実は逆の脈略なんですね。
 「いわゆる従軍『慰安婦』問題に関する政府調査においては、発見された公文書等には、軍や官憲による『慰安婦』の強制連行を直接的に示すような記述は見られなかった。他方、調査にあたっては、各種の証言集における記述、大韓民国におけるもと『慰安婦』にたいする証言聴取の結果等も参考としており、これらを総合的に判断した結果、政府調査結果の内容となったものである」と。
 直接的に示す資料はなかったけれど、総合的に見て「河野談話」になった。これが政府見解であり、閣議決定の答弁書だったんです。それを安倍さんが逆に書いたので、あたかも「河野談話」を否定するかのように取り上げていますが、実はこれは全くのからくりなんですね。
「全体として判断した結果」だった「河野談話」
 国会でも招致され、問い詰められていますが、当時河野官房長官の下にいた内閣服官房長官の石原さんは言っています。
 「当時の内閣としては、総合判断して、強制性を裏付ける文章はなかったけれども、その意に反して『慰安婦』にさせられた女性たちがいることは間違いないということになって、『河野談話』にした」
 「何べんも検討し」「全体としてこれでいこう」と決めたのは河野さんだけではないんです。内閣、総理、官房長官、副長官、外政審議室、各省庁、外務省、関係省も全部、いまは河野さん一人が悪者にされていますが、政府も各省庁も含めた統一的な総合的な判断で生まれた談話だったことがわかります。
 それを前提に、橋下さんの証拠資料が見つかっていないという言説に対しての反論をするとしたら、当時見つかってたんですね。
 見つかってたということは、関わっている人は分かっていたんですが、安倍さんは分かっていないので、共産党の赤嶺議員が質問主意書に出したんです。インドネシアで行われていたBC級戦犯資料の中に入ってるじゃないかと、BC級戦犯資料というのは、スマラン所在「慰安所」関係者の事件ともうひとつの事件の判決と概要があるのですが、ここに売春を強制したことが書いてあるわけです。判決文ですから、そのことを言ったところ、安倍さんは、答弁書に自分の名前を書くのが嫌だったのか、麻生さんが臨時代理ということで、答弁してきましたけど、確かにそういう文書ありますと確認して、認める答弁書を出しました。
 これも全然意に介してないんですよね。メディアが書いてくれないから「強制連行を示す資料はなかった」「河野談話が韓国の政治的な力でやらされた」と、いつまでたっても通用しているんですが、実はそうではなく、政府は認めている。安倍さんも。
 そして更には、強制連行については、1993年の河野官房長官談話の発表以降も、調査はどんどん進んで、たくさんの資料が発見されています。BC級戦犯資料や、強制性を認める判断、「『慰安婦』のことは言うな」と、BC級戦犯にかけられないように、軍がお金で黙らせたという証拠資料まで出ているんです。当時は強制性を示す資料が出ていなくても、今はたくさん出ていて、いまさら、何で当時に戻る必要があるのかと思うんですが、何よりも日本の司法が強制連行を認めたわけです。
強制連行は「慰安婦」裁判判決で事実認定済
 日本では「慰安婦」裁判がたくさん行われました。最高裁では、棄却されたものの、高裁判決は有効なわけですね。高裁判決では、事実認定というのがあります。たとえば、李秀梅さんの判決で事実認定された判決の文言はこうなっています。
 「自宅から日本軍の駐屯地のあった進圭村に、拉致、連行され、劉面換さんは無理矢理自宅から連れ出され、周喜香さんは後ろ手に縛られ、陳林桃さんは強制的に拉致、連行され」と。
 司法も認めている。それをいまさら蒸し返す意味も根拠もないわけです。
 そもそも軍、官憲による拉致、連行等という定義は、誰もしてないんです。日本政府も、あるいは国連も、強制連行の「慰安婦」問題の問題はここにあるという定義を一度もしたことがない。
 彼らが勝手に軍、官憲による拉致、連行があったかなかったかだけで、「慰安婦」問題の核心議論をそれですまそうとするのは、全く意味がないわけです。
 「慰安婦」問題で議論している強制性は、連行だけではないんですね。
 当時、移送時、軍のトラックや船は、全部軍が接収しており、個人が自由に船を出すことはなかった。身分証明書の発給なしには、業者もましてや「慰安婦」の女性たちも、軍の船には乗せてもらえなかった。女性たちが船に乗ると、憲兵等々の監視の下で、逃げることは出来なかった。
 また「慰安所」で、自由が制限され、監禁、拘束状態で、強要されるという状態に置かれていた。拒否すれば殴られたり蹴られたり、場合によっては、斬りつけられたり、死に至った女性たちもいた。
 そして、敗戦時日本軍は逃げてしまったけど、「慰安婦」の女性たちは、そこに置き去りになったわけですね。「慰安婦」のある女性たちは、連合軍の捕虜になって、国に帰ることが出来たというケ−スもありましたが、帰還責任も取ってはいない。強制性というものを議論する時は、全体的に見て行かなければいけないということ。
 そして、とりわけ重要なのは、「慰安所」で一体どういう状況だったのかということを考えることなくして、軍、官憲の強制連行を、拉致、連行だけで、議論することは出来ないわけです。
NHK改ざん事件と歴史歪曲
 軍の関与の否定派の人たちも認め、橋下さんも当然認めていると思いますが、今まで「慰安婦」を否定していた人たちは、軍が関与した事は認めていても、「軍は『いい関与』をした」という言い方をするんです。つまり、業者が強制連行した、その業者の強制連行を軍はやめさせようとしたというのが、強制否定をする人たちの主張でした。
 「2000年女性国際戦犯法廷」の番組をNHKが改ざんしたことがあります。NHKの番組改ざん事件の、政治圧力をかけた張本人が安倍さんです。安倍さんは当時、「日本の前途と歴史教育を考える会」の事務局長で、亡くなりました中川昭一さんが代表で、あのグル−プが中心になってNHKに圧力をかけました。NHKの判決文でも安倍さんの個人名は出ています。この時に、被害者の証言場面や日本兵の証言場面が消され、誰が起訴され、どうした法廷があったとか、誰が主催したとか全部消されてしまって、わけのわからない番組になったんですが、その中でこういう改ざんもあったんです。
資料(1)
 最初のナレ−ションで吉見義明さんが、「女性国際戦犯法廷」に専門家証人として出廷して、「軍慰安所従業婦と募集に関する件」という資料を提示して、これは軍の関与を示す資料ですと説明しました。そしたら放映当日改ざんされました。「これは民間の手で『慰安婦』を集める時のトラブルをなくすことを目的に軍が関与したことを示す資料です」とナレ−ションが言い換え、否定派の人たちと同じ見解をNHKで改ざんされ、放送されました。吉見さんはこんなこと言ってない、正反対のことを言っているので、この時も提訴してもいいくらいひどいことがあったんです。この文書は、現在まで延々と軍の「いい関与」の証拠資料として使われています。それがこの資料(1)で、今村均や梅津義弘の大きな決算印が押してあります。副官より、北支方面軍、中支派遣軍参謀長宛通牒案とあります。
 軍の威信を傷つけたり、乱暴な集め方をしたり、誘拐まがいの集め方をしたりする業者がいるから、「『慰安婦』の募集に当たっては、派遣軍において統制しなさい」そして、「募集を任せる業者の選定を周到、適切にして、実施に当たっては、関係地方の憲兵、警察と当局と連携を密にして行いなさい」そして最後に「遺漏なきようやりなさい」と言っています。

 ところが、誘拐まがいの業者がいるから、ちゃんと統制しなさい、「いい関与」だと、読み換えて言うんですが、実はそうではないんですね。この資料が出たのは、1992年、軍による関与をはじめて第1次政府調査発表で認めた頃です。当時はその前後に一体何があったのかを示す資料は見つかってなかったんですが、その後、これに関係する前後の資料が警察資料から見つかりました。
 「慰安婦」を集めることを上海派遣軍の中で決定し、軍の命令で業者は日本と朝鮮半島に行って「慰安婦」を集めます。ところが、その集め方が誘拐まがいだといって、日本の警察が検挙するんです。当時刑法や国際就業条約では、売春や「慰安婦」に関しては、未成年を連行してはいけないし、人身売買もいけない、拉致だけではなくて、だましたりしてもいけないと厳しく制限していたんです。なので、警察はそういう業者を検挙したところ、業者は軍の命令で集めているという。警察はそんなはずないと納得しないで、陸軍省に、問い合わせたと、そういう文書のやりとりがたくさん出てきました。
 「皇軍将兵『慰安婦女』渡来につき便宜供与方依頼の件」というのがありますが、上海にある日本総領事館の警察署から出たものです。上海の総領事館と陸軍武官室、憲兵隊の三者で相談して、「慰安所」を設置することを決め、それぞれの役割も決めた。そして、すでに内地、日本国内と朝鮮半島には「慰安婦」を集めに行ってるから、身分証明書を発給しないと船に乗せて上海に連れて来られないので、乗船やその他の便宜を図りなさいと言ってるんです。日本全国の各警察が混乱したから、こういう資料が出されてきたのです。
和歌山県資料から見えること
 混乱のひとつの事例として和歌山県の警察を見てみたいと思います。
 変なことをして女性たちを集めている業者がいるので検挙したら、その業者がおかしなことを言っているというんですね。
 日中戦争が全面戦争になったのは1937年7月ですね、盧溝橋事件があって、南京大虐殺があって、年明けの1938年1月6日、和歌山県田辺町の飲食店街に3人の挙動不審な男が徘徊しているというので、警察官が注意をしたところ、その内の2人の男が「自分たちは怪しいものではない。陸軍の命令で、上海の皇軍『慰安所』におくる酌婦・『慰安婦』を募集に来た」「軍からは3千名集めるように要求されている。70人は1月3日に、陸軍の御用船で長崎港から憲兵の護衛つきで上海へ送った」と言う。
 これに対して、巡査は「そんなことは信じられるわけがない」と、捜査をするのです。彼らがどうやって集めたかを捜査すると無知な「婦女子」に、「お金のもうかる仕事だ」と、また「軍隊だけを相手にして、食料は軍から支給される」という言葉で誘って、だまして、女性たちを集めることが取り調べで分かったが、本当ですかというのが、和歌山県警の資料です。
 和歌山県知事、警察部長が、内務省警保局長あてに質問したところ、長崎県警察課長から回答書が来ます。貸座敷業の人たちを、「婦女」誘拐のうたがいで取り調べ、皇軍将兵「慰安婦女」の渡航について調査したところ、前年の12月11日付けで上海の日本総領事館の警察署長から長崎県の水上警察署長に「慰安婦」を集めて送るように依頼があった。それにもとづいて身分証の許可証を出したというものです。
大阪も無関係ではなかったことをしめす資料
 この資料は大阪・九条警察署長から和歌山県田辺警察署長あての文書です。大阪も無関係ではありませんでした。
 上海派遣軍の「慰安婦」募集に関して内務省から非公式ながら大阪府警察部長に、「慰安婦」を集めるようにという依頼があり、渡航を認めるようにという指示があったことが書いてあります。大阪府では相当便宜を与えすでに、第1回の「慰安婦」は、1月3日に送り出したとあります。これは長崎港から上海に送られた70人の女性と合致するわけです。和歌山県田辺市で取り調べをされている業者は、大阪九条署管轄の住民で、和歌山まで女性を集めに行っていた。警察につかまって、取り調べられて、問い合せた結果、大阪九条署は「彼らは怪しい者ではないから、便宜をはかってくれ」と、大阪でも「慰安婦」集めに便宜をはかったということ。しかも内務省じきじきに指示があって1937年の段階から「慰安婦」供出に関わっていたことが分かります。
 ほかにも、山形県、宮城県、群馬県、茨城県、高知県、神戸、福島、大阪、長崎、旭川でも警察資料が全国各地で出ており、警察がいかに混乱したかが分かります。その混乱を何とかしないといけない、社会問題になったら、陸軍のメンツにかかわるわけです。そこで、陸軍が「慰安所」を作るために、業者に集めさせているけれど「軍に頼まれてやっている」などという業者は、軍の威信を傷つけたり、社会問題を引き起こしたりするからもっと口のかたい、ちゃんとした業者を選定しろと、そして「くれぐれも、漏れないように」というのが先の文書です。
 2月23日、内務省警保局通牒、第5号「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」という資料では、「慰安所」開設は国家の方針であることを全国の警察に周知徹底し、警察の意思統一を図りました。警察が混乱して、検挙したりしないようにちゃんと身分証明書を発給するようにというのがこの文書です。そしてこれを機に「慰安婦」供出を国家総ぐるみでやった。ですから、日本軍だけが悪いのではなく内務省、外務省も警察も、国家ぐるみの「慰安所」制度だったということになります。
被害女性の証言つぶしと「河野談話」撤回の動き
 昨年『産経新聞』に不可解な記事が出ました。
 「河野談話」のもとになった韓国人女性16人の証言というのを入手したが、それを見ると信ぴょう性がない。こんなものをもとに「河野談話」を発表しただなんてとんでもない。すぐに「河野談話」を見直し、撤回すべきという世論の発火点となる記事を出しました。
 続いて『産経新聞』の出している月刊『正論』に、16人の証言そのものが掲載されました。ところが「そのもの」というのはカッコ付きで、悲惨な部分は一部カットしたと書いてあって、悲惨な部分が大事じゃないかと思うのですが、そこはカットされて全文掲載されました。『産経新聞』も『正論』もどこで資料を入手したかを明らかにしていませんが、これは重要な問題なんです。この間どういう資料をもとに「河野談話」を出したかというのは、彼らだけではなしに、私たちもそれを知りたくて、情報公開を求めてきた経緯があります。ところがこの16人の証言については、日本政府は歴代、被害女性との約束で、名前も公開しないし、この報告書は公開しないことを前提に聞いたものだから、公開しないということを終始徹底してきました。
 ところがその資料がなぜ、『産経』だけに漏れるのか。私たちは安倍さん宛てに公開質問状を出したんです。秘密保護法では秘密対象になるものは漏れてはいけないと言っているのに、都合の良いものはこんなに大事なことが漏れても全然追究しようともしないのは、あまりにもおかしいわけです。返事もくれませんが、そういう不可解がありました。
 これはまだどこの政党も質問していないんです。なぜかというと、政府は漏れたということを認めていないからです。誰かが漏らしたに決まっているけれど、漏れたなんてことになったら大事件になるので、漏れていないということが前提になっています。
 こういう不可解な『産経』スクープ報道のあと、16人の証言つぶしを根拠に、「河野談話」を見直し、撤回しろという動きや、さらには検証しろという動きが高まり、日本維新の会が中山斉彬を座長に「10万人署名運動」をし、つい先月、菅官房長官に提出したと報道されましたが、そんな動きを彼らは、ある意味「超党派」でやってきました。
 16人の証言だけにこだわるわけではないですが、「ひどい、ひどい」と言うが本当にそんなにひどいのか。「強制連行の人なんか半分しかいないじゃないか」と西岡努さんが言うのですが、半分はいると認めているのかなとも思うんですが、「あまりにもひどい」と言うけれど、ほとんどが中身を読んでいないのですね。
証言にどう向き合うか
 16人はどうなったのか。
 『正論』に掲載された16人の証言で年齢と連行先を見ると、12歳から19歳までがほとんどで、連行された年齢が分からない人が3人です。ほとんど未成年で「慰安所」に行っている、これは当時の刑法違反であり国際就業条約違反です。内務省局長通牒5号には「当分の間これを黙認する」と書いてあります。「違法行為だけども黙認する」、悪いことだと分かっているんです。16人を見てもサイパンだパラオと国外移送されていますが、すべて刑法違反です。
 刑法では、「第224条 未成年者を略取、誘拐してはいけない」――略取とは拉致、連行です、誘拐は詐欺や甘言も入ります。「第225号 営利、わいせつ、結婚の目的で(これは「慰安婦」が入ります)略取、誘拐をしてはいけません」と。略取とは、暴行・脅迫、誘拐、偽もう――だましたり、おいしいものが食べられるよ、いい着物が着られるよ、お金が儲かるよという誘惑も入ります。ですから強制連行は軍、官憲による拉致だけと決めつける法的根拠もないんですね。誘拐も強制連行のひとつだと考えてもいいと思います。「第226条1項 国外に移送する目的をもって『慰安婦』に(たとえば中国の上海の「慰安所」に送る目的で)略取したり、だましたり、誘拐したりしてはいけない」。そしてそういう目的で人を売買してもいけないし、売買したり、あるいは略取したり、誘拐したり、国外に移送してもいけない。つまり「慰安婦」を目的にだましてもいけない、甘言してもいけない、誘惑してもいけない、未成年でもいけない、人身売買もいけないと詳細に書いてあるのがこの刑法です。だからこそ全国の警察があんなに混乱したわけですね。
 ところがこの16人の連行の方法を見ると16人中9人が略取(暴行・脅迫)にあたり、7人が誘拐(欺もう・誘惑)にあたるわけです。そうすると少なくとも「河野談話」にある「本人の意思に反する連行」ということでいえばそれにあたるわけです。
「人身売買」と「金学順攻撃」
 では「人身販売」をどう見るか。
 『正論』で16人の証言を攻撃している西岡さんは、1番の金さん、2番の黄さん、9番の石さんのケースは「人身売買」だった可能性があって、被害者ではないと言っている。「人身売買」は今の刑法でももちろん、犯罪です。
 たとえば「金学順攻撃」というのがあります。金学順さんは「キーセン」で養女になって北京に連れて行かれたので被害者ではないというものですが、彼女が「キーセン」であろうが、公娼制度下の女性であろうが、彼女の職業には関係ないんですね。その時どう連れて行かれたかを見なければならない。
 金学順さんの場合は、北京の食堂で養父たちと食べている時に軍人が来て、養父とバラバラにされて養父は連れて行かれ、金学順さんたちはトラックに無理やり乗せられ連れて行かれるんです。これに関しては養父が売ったんだろうと言う人がいるんですが、もし万が一養父が売ったという「人身売買」だったら、もっと重大ですね。つまり軍が「人身売買」の買う側になったこと、買って「慰安婦」にしたということはさらに問題で、「金学順攻撃」というのはまったく当たらない。
 「人身売買」に関する見方というのが非常にゆがんでいると感じるわけです。
 移送は軍のトラックや船で、チェックがあるはずなので、軍が黙認して移送したという点についても責任を問われなければならないのです。
日本人「慰安婦」に見られる「人身売買」
 いま、日本人「慰安婦」について調査・研究をしている中で、いろんなことが見えてきます。
 日本軍「慰安婦」制度というのは公娼制度の遊郭の女たちではないかと思っている方がたくさんいらっしゃると思うんですけれども、そういう女性たちもたくさんいましたが、詐欺によって「慰安婦」にされた女性たちもいたんです。
 遊郭にいた女性を「慰安婦」にするときに業者が芸娼妓たちに「慰安所」に行かないかと、誘って声をかけるんです。前借金を出してやるからいまの借金を全部返して、向こうに行けば借金を返せるからとかと、もうひとつは「お国のため」という大義名分ナショナリズムを女性たちにぶつけます。それは遊郭などで自由を奪われて、自由に生きられない、逃げ出すこともできない女性たちにとっては「自分もお国のためになれる」という言葉は強烈な響きで、勧誘に有効に機能したと思います。「国家のため」あるいは「死んだら靖国神社に祀る」と言って「慰安婦」を集めたんですね。戦争ナショナリズム、「お国のため」というのは、さまざまに日本人「慰安婦」を動員していった。この言葉によって日本人女性は鼓舞されもしたけれども、もう一方では「威嚇装置」にもなりました。
 どういう女性が日本人として「慰安婦」になったかというとひとつは遊郭にいた女性です。2つ目が軍の要請で割り当てられた頭数をそろえるため、前借金でかりだした、つまり遊郭にはいないけど、貧しい農山村から娘身売りで売られていく「人身売買」の犠牲者。3つ目が就業詐欺です。「特殊看護婦募集」「従軍看護婦募集」「女性事務員募集」「女中・女給にする」等々、新聞などに広告が出て、日本人女性が応募していったということです。
 トラック島にいた方に聞き取りをしているんですが、トラック島の「慰安所」に連れて行かれた日本人「慰安婦」の人が、当時トラック島の夏島という所では年1回運動会があり、出会った「慰安婦」だった女性と、タイピストの人が会って、「あなたがタイピスト募集で行ってきて良かったというので私も応募したら『慰安婦』にされてしまった」とすごい抗議を受けたという話を聞いたという話をしてくれました。『戦友会誌』にも出ているんですが、こういうケースもあったんです。なおかつ日本人「慰安婦」の中には未成年もいました。
 就業条約、刑法以外に国際条約がありました。日本の文書の中に就業条約を禁止している文言も出てくるんですけれども、何人(なんびと)たるを問わず未成年の女性を勧誘、誘因、誘拐してはいけない。たとえ本人が承諾していても「慰安婦」に連れて行ってはいけませんというのが1番、未成年というのは満21歳未満です。
 成年だったらいいのかというと、成年であっても「慰安婦」にするために詐欺、暴行、脅迫、権力濫用その他一切の強制手段で勧誘、誘因、拐去してはいけない。だからだましたり、脅迫したり、甘言したり全部がひっかかるわけですね。こういう条約に日本政府は加入していました。
強制は「慰安所」での状況が重要
 ここから何が言えるかというと先ほどの16人の証言だけではなく、日本で出ている証言すべてを検証した結果と重なるんですが、未成年の連行も国外の「慰安所」への移送も当時の刑法に違反する、未成年の連行あるいは詐欺、暴行、脅迫、権力濫用等々、あるいは国外移送目的の略取、誘拐、あるいは国外移送目的の売買のような、どれかに当てはまらないケースを探すのが難しい。
 拉致、監禁による強制連行だけが問題じゃなくて、「慰安所」で何があったのかこそが問題なんですね。 
 では、16人がどういう証言をされたかと、『正論』に載っているのは悲惨なところはカットしたと書いてあるのに、カットしたら全部カットしてしまうことになるんですね。
 残っていただけでもこういう文章があります。
 「薬を飲まされ無理やり性行為をさせられた」「軍人が絶えず逃げないように見張りをしていた」「将校は、抵抗する私を何度も殴りつけ、服を無理やり脱がせ、下着をナイフで切り裂いた」「部屋から外に出られなかった」「逃げ出そうとすると、殴る蹴るの暴行を受けた」「やらないと軍人に銃剣で殴られ、背中を刀の方で切られた」「断ったら腕を捻じ曲げられ骨が折れた」とか、「抵抗すれば刀でももを切りつけられた」り、「いうことを聞かなければ殺すと脅された」り、実際に殺された人もいたとか。
 そういう悲惨な証言が出てくるわけで、強制性以外にどう表現すればいいのか、「河野談話」の表現では足りないくらい悲惨な状況が出てくるわけです。
朴永心さん、自ら記憶を取り戻す営み 〜写真を見ながら〜
写真(2)
 そこで、一つ例をあげてみたいと思います。
 私は、朴永心さんという朝鮮人女性と一緒に、彼女が連行された地に行ってきました。この写真(2)の一番右側の女性、お腹が大きくてとても苦しそうな顔をしていて、ほかの女性が心配そうに見ています。『毎日グラフ』に出ていた写真なんですが、「慰安婦」問題が出た1990年代の初頭にも、これが話題になったことがありました。
 ところが、この人たちが誰なのか、ここがどこなのか、分からなくて、探しようがなかったんですね。まさかその人が見つかるとは思わなかったんですが、右端のお腹の大きい女性、朴永心さんを見つけることができました。
 この場所は中国雲南省拉猛(らもう)という所で、標高3000メートルの高い所を、日本軍は雲南の援蒋(えんしょう)ルートの要衝地として陣地を張っていました。その山のてっぺんの「慰安所」に、朝鮮女性たちが連れて行かれていました。最後、日本軍は中国の拉猛守備隊と騰越(とうえつ)守備隊2カ所で全滅します。拉猛守備隊が全滅したときに、兵隊たちは「玉砕」という言葉を使いますが、彼女たちは昇汞錠(しょうこうじょう)という毒薬を配られて日本兵と一緒に死ぬはずだった所を逃げ出して助かったという経緯もあります。

 朴永心さんはもう亡くなってしまったんですが「2000年女性国際戦犯法廷」の時に、韓国と北朝鮮は南北コリア検事団を結成したので、打合せやどういう被害者の方にお話を聞くかということで、平壌に行きました。その時に聞き取りをさせていただいた女性の1人が朴永心さんでした。「松山の部隊にいた」とか「自分は若春と呼ばれていた」とか、何か聞いたことがある話だったんですね。日本に帰ってたまたま高田馬場の書籍市で、偶然にも引きつけられるようにして、朴永心さんの実名やエピソードがたくさん出てくる『羅猛』という本を見つけたんです。
 何より驚いたのは、1993年に私は『従軍慰安婦と15年戦争』という本を出していたんです。それは業者と軍人の聞き取りの本だったんですが、そこで聞き取った九州福岡56師団の人たちの話と同じでした。56師団の人たちから聞いたのと同じ単語を朴さんは話していたんです。びっくりして、すぐに元兵士の所に行って写真を見せると、お腹の大きい人を「若春だよ」と教えてくれたので、あわてて平壌に行って、朴さんに確認したんです。そしたら朴さんは最初黙りこくっちゃって何も言わないんですね。自分が日本兵の子を身ごもったなんてことは死んでも口にしたくなかったし、朝鮮戦争のあとで結婚したんですが、「慰安婦」だった女性たちは後遺症の中で妊娠出来なくなったりしたので、朴さんも養子を迎えて、家族と生活してきた。朴さんの夫は亡くなっていましたが、家族にも夫にも当時のことは誰にも話していなかったんです。だからましてや身ごもったなんてことは恥ずかしくて絶対誰にも言えない、墓場まで持って行くって言われていました。だけど、しばらくして、「じつは私です」と、いろんなことを話しはじめてくれたんです。
 朴さんが最初に連れて行かれたのは南京でした。1938年、日本軍が「慰安所」を拡大していく時期にあたりますが、南京市の一等地に「慰安所」群があり、朴さんが入れられた「キンスイ楼」は大きな建物でした。
 南京には何回も行って地元の新聞社に協力を得て、市民の人たちに情報提供を頼んで1週間記事を連載していただいて、たくさんの「慰安所」情報が集まったんです。それをもとに朴さんに確認していただくために、平壌に行って朴さんに相談したときに、朴さんは「日本では私たちがいくらその話をしてもでっちあげだとかいうけども、私は嘘は言っていない。だけど年をとってしまったから、細かいことはもう忘れてしまったので、覚えていないだけで嘘は言っていない」ってさかんに言って悔しがるんです。「信じてくれ」と。朴さんは自分を連行した所に行って自分で確かめるって言うので、一緒に行ってきました。
 朴さんと一緒に行った時、朴さんはもうそんなに歩けないので車イスで移動しました。市民から情報提供されたあちこちの「慰安所」の建物に行って、最後にここに来た時、朴さんが「ここだ」って泣き出したんです。ここをずっと行くと入口があるんだと。入口を入って、ドアをあけると半月のカウンターになっていてここで受付をして、階段を上って2階に行くようになっていました。「朴さんの入れられていた部屋に連れて行って」とお願いしたら、朴さんは「2階の19号室に入れられた」ということで、自分で階段を上がり始めました。
 ライトを付けているので明るく見えますが、建物の中は真っ暗でした。行った時ここはアパートで使われていたので、住民の方がまだ住んでいたんですけれども、4畳半位の狭い部屋でここがちょっと、へこんでるんですね。
 ここに行って私がびっくりしたのは、この間取りだったんですね。朴さんが話をしてくれた時、ベッドのところがへこんでいたという意味が全然分からなかったのです。中国で当時そんなに凝った作りのアパートがあったなんて自分で想像できなかったんです。ところが行ってみて分かったのですが、ここにベッドを置くスペースがあるんです。住民の方が家具を出してくれたら跡がこういう感じで、突き出たここには隣の部屋のベッドが置いてあるという間取りでした。
 本当に驚きましたけど、話していた通りだったんです。朴さんはここに入った瞬間に写真をとったあと、号泣して動けなくなっちゃったんですね。何で私はこんなところに連れてこられなきゃいけなかったといって、大変な状態になってしまって、ここで撮影できなかった。
 朴さんは、気が強くてはっきりものを言う女性だったそうなんです。歌が大好きで。最初いやで、猛烈に抵抗したんだけど、軍人が軍刀を抜いて「言うこと聞かないと切るぞ」と脅したんですね。ところが脅しているうちに、朴さんの首に刀が当たってしまって切れた傷跡がまだ残っています。
 最初は3階建てだと言っていたんです。法廷の頃の資料に3階建ての建物に入れられたと書いてしまったんですが、行ってみて分かったのは、2階建てなんです。なぜ3階建てと言ったのか理由が分かったんですが、朴さんが「あそこだあそこだ」って指さすんですね。自分が入れられた19号室の廊下をはさんだ向かいの部屋に入った時、上に屋根裏部屋に続く梯子があったんです。「ここに入れられたんだ」と朴さんが指を指しているところです。ここに梯子あって上に上がれます。朴さんは気が強くて抵抗したり暴れたりしたのでこの拷問部屋に閉じこめられて、言うこと聞くまで食べ物も水ももらえず閉じ込められた。その部屋が、朴さんの言うところの3階建てで、本当に狭い部屋でした。
 この後、アジア太平洋戦争が始まると陸軍は南方に「慰安所」を置くという指令を受けて、中国の「慰安所」業者たちは南方に流れていきます。朴さんたちがいたキンスイ楼も、「慰安婦」御用船という500人ぐらいの大型輸送船で、ビルマから拉孟に連れて行かれます。アメリカの情報心理局の資料にも出てきますが、南京からシンガポールを経由してビルマに入り、ラシオの「慰安所」に行き、そしてまた国境を越えて松山(拉孟)に行くという経路でした。
 拉孟っていうのは、あまりにも高くて急こう配なので有名ですけど、ここにいた113連隊56師団の連隊長が自ら書いた『波乱回顧』の中に「慰安所」開設、設置について詳述してるんです。しかも朝鮮人の「慰安婦」を何人も連れてきたとかいうことを書いています。連隊長クラスがここまで書くのは、他には見たことがないです。
 その中に朴さんの名前が山ほど出てくるんですが、たとえば、「朝鮮人『慰安婦』のうち若春という22歳の娘は本名を朴永心といい、歌のうまい勝気な感じの良い女であった」と、実名で収容所までのエピソードも全部出てきます。
 守備隊は、中国とアメリカ軍が一緒に砲爆撃したので、全滅するんですが、その写真はアメリカの公文書館に残っています。手りゅう弾で爆死しているので、バラバラになっているのもありますが、米軍のキャプションによると、「慰安婦」の死体も3人います。朴さんの話によると、ここに一緒にいたけれども、自決するということで逃げ出したということでした。

*会場からの質問に答えて
 では、いくつかの質問をいただきましたので、時間のある限り、お答えしていきたいと思います。
 一つは、冒頭に「同じひとつの現象、あるいは同じひとつの証言・資料を見てもその評価が分かれることがある」というお話があったけれど、安倍、橋下らの発言が歪曲しているということかというご質問です。「慰安婦」だった女性たちの証言で、「服を着る間もなく、裸のままで寝たままで、おにぎりを食べていた」という話が出てきますが、「慰安婦」にされた女性たちの側にも、もと日本兵だった人たちの話、あるいは『戦記』にも出てきます。「慰安婦」はだらしなくて、「慰安婦」になりきっていて、寝そべっておにぎりを食べて「娼婦」になりきっていたという脈絡です。
 同じ場面を見ても、兵士の見る姿と、「慰安婦」だった女性たちの側ではまったく違うものがある。そこにある齟齬というのを見ていかない限りは、同じものを見ても、同じ証言を聞いても、同じ資料を見ても、見え方が違うと思います。
 「否定先にありき」だと、否定の結論の中でそれが見えてくるということもあると思うのですが、「慰安婦」問題は、きわめて政治的な問題にされてしまっている。「慰安婦」問題は、朝鮮人「慰安婦」問題ではないんですよね。
 「慰安婦」にされたのは、朝鮮人女性はもとより、中国人、台湾人、フィリピン人、マレーシアの方、インドネシアの方、オランダの方、タイの方、ビルマの方、東ティモールの方、トラック島など日本軍が駐屯した諸島など、いろんな方がいらっしゃいますよね。朝鮮人「慰安婦」問題にしてしまったがために、議論が狭められて政治問題になってしまった。そこで何が起こったかというと、被害女性たちの尊厳の回復が後まわしにされてしまったことは、非常におかしいと思います。
*マスコミについて
 マスコミやなんかが、もうちょっとと追及したらどうなるのかというご意見もありました。
 私たちは、先月と先々月、2回記者会見を開きました。1回は、3月7日に衆議院議員会館でNHK発言もあって「河野談話」のことなどで緊急記者会見を開きました。また、先月の4月に、外国人特派員協会でも記者会見をひらきました。
 いくつか記者会見をやってきて思うのは、マスコミの方も、ひとつのことだけで記事を書いているわけではないんですね。私が、今まで出た資料の数を数えてみたら500点を超えていたんですね。BC級戦犯の資料も出ていますし、最近では中国でも資料が出てきて、正確な数をつかむことは出来ないけれど、500点も優に超える資料がすでに出てきているのに、中身に対して理解が追いついていかない。少なくとも今「慰安婦」問題でどこまで検証されているのかという所を押さえることが出来ないと、「慰安婦」問題の報道はすごく難しいと思います。
 先だって某新聞の方がメディアセミナーを開いた時に、なぜメディアは「慰安婦」問題を書かないのかということになって、そのひとつに「右翼」の問題が出てきたんですね。今も『朝日新聞』に街宣が行ってたいへんな状況も聞いていますが、デスクの段階でかなり自主規制をかけられてしまう本音も相当聞こえてきました。
 私たちはそういうのを聞くと、NHKの番組改編事件を経験があるので、政治圧力というのは首を絞めて「書くな」というのではなく「おまえ分かっているだろうな」というものなんですね。つまり自らが進んで意を忖度して、自らが自主規制するものです。今の日本は中心軸が保守的になって、戦争できる国になるのが普通の国だと信じて疑わないような状況の中で、「慰安婦」問題をどう解決することができるのかというのは真剣に考えたいですし、やはりメディアの力は大きいので、メディアの方に頑張ってほしいと思います。
*資料をどう見るか
 ビルマのミートキーナ関係では、アメリカ情報戦心理関係の資料なんかが出ているんですね。その中に「慰安婦」は「売春婦」(prostitute)だったという記述もあるが、どう見ればいいのかというご質問もいただきました。
 「慰安婦」問題を否定する人たちは、外形上のシステムからすれば「慰安婦」を「商売の女」と位置づけたいわけですよね。「慰安婦」という言葉自体が、ある意味では目眩まし的に使われたといえますし。
 日本軍が「慰安所」制度というものを作るために、陸軍が上海に作った「慰安所」は、理想形の「慰安所」であったわけです。軍慰安規定を作ったり、料金を決めたり、部屋の構造もモデルケースで作ったんですが、長くもたなくて閉鎖になりましたが。だけど「慰安所」がああいう形態を持っても、だからといって、あそこに投入された女性が、自ら「慰安婦」になろうと思ってそこに行っき、そういう行為に甘んじていたかと言えば、決してそうではない。「意に反して」ということの意味を考えなくてはならないのです。
 朴永心さんは7年間も「慰安所」にいたんですね。私は彼女と接する中で、当時身につけたものがいまだにあるという場面を何度も見ました。宋神道さんもそういう話を聞いたことがあります。
 女性たちがなぜ逃げないでそこにいたのか。私が朴さんからよく聞いたのは、「そんなに言うならなぜ逃げなかったのかという人がいるんだけど、あなただったら逃げられたか」という問い返し。つまり、逃げたくたっても逃げられない。ここがどこかも分からない。言葉も分からない。地理も分からない。知ってる人もいない。どうやったら帰れるのか分からない。中国でさえそうなのに、ましてビルマだとか、拉猛だとか連れて行かれたら逃げようがない。生き延びるために「慰安所」にいたんだという言葉は、ものすごい説得力があって、理解できたんですね。やはりそういう状況というのも、理解していかなければならないと思います。
 ビルマのミートキーナでは、日本人の業者の北村夫妻の供述もかなりあるんですけど、彼らは自分の立場で供述していますから、資料はひとつだけでは、読み解くことが出来ない。それに関わる複数の資料を見る中で、ビルマの状況はどうだったかを見ていくことではないかと思うんです。
 「慰安婦」の被害者の方々の証言も、一人ひとりが一括で括ることはできないものを持っています。それもぜひ、読んでいただきたいと思います。

 さっき「同じものを見て……」というところで言おうと思っていたのですが、私たちは実は、「売春婦」は被害者ではないのかという問いで、今、ひとつの課題を作りかけているんです。つまり公娼制下の女性たち――日本人「慰安婦」だった女性たちは、被害者ではないのか。
 さっき言ったように、彼女たちはすごい言葉で騙されて「慰安所」に行ったわけです。なかには、膨大なお金を儲けて前借金を返して、貯金を持って帰ってきた女性たちも、確かにいます。初期の頃の日本人「慰安婦」で、遊郭から転身していった女性たちはそういうケースが多いんですが、そういう一部のケースを全体の象徴として見るのは無理があります。
 ましてや日本人「慰安婦」の女性たちが、戦地では「おだてられ、おだてられ、おだてられ」すごくいい思いをしておきながら、帰ったら蔑視と差別で、結局社会の片隅で生きざるを得ないというところに追いやられてゆくわけですね。そういった女性たちが都合よく使われていったというところを見ないで、ただほめたたえてゆくことの構図も見てほしいと思うんです。

 女性の二分化というのは、どうしても根っこにあります。
 この間も中国に行った元兵士の聞き取りに行ったのですが、最初は作戦に行って中国人を拉致し、部隊に連れてきて強かんしていたのです。だけどそのうちに部隊長が「やっぱりまずい」ということになって女性を村に返したんだけど、その時に部隊長が村長に「女性たちは返すが、代わりの女性を出せ」と命令するんです。それで村長が2人の女性を差し出したんですが、その女性たちはいわゆる妓女の前歴を持った「売春婦」だったんですね、つまり「売春婦」なら差し出してもいいだろうというのが中国の側にもあった。
 南京大虐殺の時に金陵女子大学が女性の収容所になっていましたが、あそこに日本軍は「慰安婦」を出せと言って押しかけているんですね。1937年のクリスマスの日の日記のところに「また日本軍がそうやって女性を出せと来たけれども」というので、結局「売春婦」だった女性たちを選んで出しちゃうんです。彼女はその後自死するのですが。

 もうひとつドイツのケースを紹介します。NHKの籾井会長が「『慰安婦』はどこでもやっていた」と言ったんですが、あれはまったくの嘘で、日本軍と政府国家ぐるみで組織的に「慰安婦」制度を行っていたのは世界のどこにもありません。やっていたというなら、どこがやっていたのか示して欲しい。今までの研究の中では出てきていない。
 籾井さんは「オランダはなんで今、『飾り窓』があるんだ」と言ってたけど、あれは民間の売春施設で、いま、問題にしているのは軍隊「慰安所」です。籾井さんは軍隊「慰安所」と民間の施設を混同して話しているからよけいに話がおかしくなってくる。
 日本軍と似通った「慰安婦」制度をやっていたのはナチスドイツです。1939年開戦の時に内務省令が出るんですけれども、ドイツもSS用、国防軍用、そしてアウシュビッツも含めた強制労働収容所の収容者用の3つのタイプの「慰安所」を作っていました。どういう女性たちが「慰安所」に入れられるかというと、ドイツはその一方で売春禁止令を出していて、それで引っかかった女性たちを女性収容所に入れるんです。非社会的な女性たちというカテゴリーで。
 これも、日本だけかとか、韓国はひどいとか、中国がどうのとか、お互いになすり合いをしても何にも意味がありません。日常のこともそうですが、戦時性暴力は日常の反映でもあるわけですから、そういった状況の中でなぜそれが起こるのか、その根底にどういう思想があるのかというのを明らかにして、誤った考え方を正してゆく作業も一方で必要だと思います。
 ナチスドイツの場合、強制労働収容所の囚人対象の「慰安所」の中に褒賞規定というのがありました。拘禁条件の緩和とか、食料を追加であげますよとか、褒賞金あげますよ、タバコあげますよとか、そういう中に売春宿訪問も特典につけたんですね。この発想は、日本でもやっています。強制連行された男性たちが炭鉱とかダム工事とか建設現場に入れられましたが、炭鉱なんかでは炭鉱「慰安所」が作られたんです。資料にも出ていますが、発想が同じなんですね。そういうのを正していかない限りは、歴史は繰り返すんです。
 日本がPKOに協力することにしたとき、カンボジアに調査に行って本当にびっくりしました。UNTACが撤退してから、混血の子どもたちがたくさん捨てられていたんです。これは国連軍と地元の女性たちとの間に生まれた子どもたちなんですが、あまりにも強かんが多いので地元女性たちがUNTACに抗議したんです。その時、日本の明石代表が「兵士たちは善良なピューリタンではない。プノンペンに行ってビールを飲んで美しい女性を追いかける権利くらいある」と言って大報道になり、抗議が殺到しました。あまりにも女性の人権、人間性を置き去りにしているのではないかとつくづく思わされます。
 「売春婦」だから差し出してもいいんだとか、「売春婦」だったら「慰安婦」にしてもいいんだとか、お金貰っていたから商行為なんだろうとか、そういうところから被害というものの犠牲を曇らせていくことは本当に残念だと思います。「慰安婦」制度それ自体の犯罪性、違法性、不法性ということをきちんと指摘していかない限りは、同じことが繰り返されていく、切り捨てられる人たちが出てくる。これは女性だけに限らず、いろんな場面でです。

 もうひとつ、731部隊でも「慰安婦」と関連して何かあったのかというご質問です。以前、新聞で『従軍慰安婦と731部隊』を連載していました。人体実験をしていたハルピン南方の平房で、731部隊が性病健診の研究もしていました。性病健診は結核菌研究班の裏の研究としてやっていて、「マルタ」と呼ばれた女性がモーゼル拳銃を持った隊員たちの前で強制的にセックスをさせられて性病を感染させられ、その性病がどのようになってゆくかを実験していました。
 性病対策というのは日本軍の大きな課題でした。性病というのは一箇師団がなくなってしまうほど大きな損失になったわけで、それも「慰安所」がうまれた理由のひとつですから。
 731部隊の本にも書きましたが、日本軍が当時やったことがバラバラではなくて、一つひとつがどこかで関連してつながりあっているといえるわけです。
*「慰安婦」バッシング質問に答えて
 「慰安婦」はうそだって考えていらっしゃる方も今日は来ていらっしゃるようです。「日本は韓国の嘘にいつまでもだまされてはいけない」というご意見をいただきました。
 この方は、そもそも「慰安婦」は吉田清治が嘘を言って、『朝日新聞』が発表して世界に広めてしまったというんですが、『正論』『WILL』とかに書かれた同じ言葉がそのまま一部の中に根付いて、コピーみたいに言われるんですよね。でも「慰安婦」問題の歴史的経緯を見てもらうと、当時韓国の梨花女子大学の尹貞玉さんという方が、「慰安婦」被害者のことを知って、『ハンギョレ新聞』に連載を始めた所から、はじまったんですよ。1980年代には沖縄の裴奉奇さんの所に取材に行ったり、調査活動をしていたので、彼女が日本に来て話をした時に、私は身体が震えるってああいう経験かなと思うほど、本当にびっくりしました。
 ひとつの考え方を知ったということ。暴力とは何なのかということを考えさせられるきっかけにもなりました。「慰安婦」問題は被害者の尊厳の回復という所から始まった。吉田清治さんから始まったわけでも、『朝日新聞』から始まったわけでもないのです。こういった経緯などもぜひ知っていただきたいと思います。
 また、この感想を書かれた人も、日本兵の方が韓国や中国の人より残虐ではなかったとか言うんですよね。ベトナム戦争の時に、韓国兵はベトナム女性に残虐行為をして、妊婦の腹を打ち抜いたり、子どもにわらを背負わして焼き殺したり。日本兵はここまで残酷ではなかったとありますが、中国の三光作戦を見ると、残酷なことをすごくやっています。731を調べていると、残酷という表現ではすまないほど、ひどいです。彼らは戦後よく生きることができたなと思うほどです。聞いているだけでも苦しくなります。
 そういう意味では「あっちの方が残酷だ、どっちの方が残酷だ」「あの国もやった、どの国もやったんだからなぜ、何で日本だけが言われなきゃならないの」と、子どもに言えるかと思うんですよね。そうではなくて、自分たちのやったことがこれだけ被害者から非を問われている時に、それを認めて向き合っていくという勇気と決断がなければ、いつまでも恥ずかしい国だと思います。
 ましてや隣国を責めることなんて、どうしてできようかと思うんですよね。まずは、何があったというのを、見て、知ってほしいと思います。


アピール
 「(戦場で兵士の休息に)慰安婦制度が必要なのはだれだってわかる」「風俗業は必要だ。沖縄の米軍司令官に『もっと風俗業を活用して』と言った」。橋下徹大阪市長がこのように発言した時に湧きあがった大きな怒りは、一年経った今も私たちの心の中から消えてはいません。2013年5月13日、橋下市長は平然と、女性の性を戦争遂行の道具として使うのは当然だと言ったのですから。
 橋下市長の「慰安婦」問題発言は2012年8月に始まりました。「『慰安婦』という人たちが、軍に暴行、脅迫を受けて連れてこられたという証拠はない」「河野談話は最悪」「軍人の秩序を保つため、いわゆる慰安所が存在したのは日本だけではないし、風俗業は今でも世界各国に存在する」「なんで日本のことだけを国際社会が非難しているのか」などと、次第にエスカレートしていきました。あまりのひどさに同年9月、「私が証拠だ」と韓国から被害者の金福童ハルモニが面談に訪れましたが、市長は応じませんでした。ハルモニは「二度と私たちのような被害者を出さないでほしい。戦争は二度としないでほしい」というメッセージとともに自分の辛い体験を話して、市長への伝言を託されました。橋下市長はその被害者の言葉に、どう耳を傾けたのでしょうか。その後も、何度も暴言を繰り返し、被害者を踏みつけにし続けています。そして、未だに発言の撤回も謝罪も行っていません。
 そのような橋下市長に対しては、国の内外から大きな非難の声があがっています。昨年の5月17日、450名もの抗議の「人間の鎖」が市庁舎を取り囲みました。来日した被害者金福童ハルモニと吉元玉ハルモニは、「会って何になるのか」と橋下市長との面談を拒否されました。しかし橋下市長はあろうことか、米軍と米国市民に謝罪して収束を図ろうとしたのです。その後さらに、外国特派員協会でも持論を展開し、「メディアの大誤報」「日本人の読解力不足」などと言い募りました。もちろん理解を得ることはできず、間近に迫っていた念願の米国視察も姉妹都市のサンフランシスコ市から拒絶され、さらに同市議会から発言撤回を求める決議を全会一致で採択されました。橋下市長に対する大きな怒りは治まるどころか、「慰安婦」問題への関心は高まり、多くの人々がこの問題の歴史の真実を知るところとなりました。
 さらに橋下市長は、今年の1月26日に籾井勝人NHK会長が「慰安婦」問題について「戦争地域にはどこでもあった」「戦争には付き物だ」などと発言して、抗議を受けている最中の翌27日に、すかさず「発言はまさに正論」「僕が言い続けてきたことと全く一緒だ」と言い、未だ問題の本質がわかっていない、恥ずべき姿を露呈しました。
 このような公人による暴言が続く責任は、もちろん日本政府=安倍首相にあります。昨年の5月31日、国連の拷問禁止委員会は橋下暴言を念頭に日本政府に対し、「政府や公人による事実の否定、元『慰安婦』を傷つけようとする試みに反論するように」という勧告を出しました。しかし、安倍政権は「法的拘束力はない。従う義務なし」と閣議決定して、国際社会の声を切り捨てたのです。現在、安倍首相は河野談話を継承すると表明していますが、「強制連行を直接示す記述はなかった」という2007年の第一次安倍内閣の閣議決定に非常に強く固執しています。歴代内閣の河野談話についての認識は、「強制連行を直接示すような記述は見当たらなかったが、関係資料の調査や関係者からの聞き取りなどから全体として判断し、河野官房長官談話となった」というものであり、安倍首相の持論に沿った閣議決定がいかにまやかしの産物であるかということは明白です。歴史のわい曲、被害者の尊厳の否定、女性蔑視を決して許してはなりません。このような安倍首相の態度が橋下市長や籾井会長らの暴言を誘発し、お墨付きを与えているのです。彼らは自分にとって都合のよい代弁者だからなのです。
 今年の3月、橋下市長は6億円を超える税金を使って出直し市長選を行いましたが、あまりの市民無視・身勝手さに、市民の怒りは投票率過去最低、有権者の2割以下の支持という結果を生みました。さらに4月、建物の規制緩和に関連して「愛人2、3人を住まわせてほしい」と発言し、それを報道されると「(報道したメディアは)ばかそのもの。冗談もシャレもわからないんだったら、これから一切講演会に呼びません」と言い放ちました。人権意識のない、女性蔑視の発言です。選挙結果に対する自覚も、市長・公人としての自覚もまったくありません。  
 橋下さん、「慰安婦」問題の暴言を撤回・謝罪して、もう辞めて!市長の資格はありません!

2014年5月10日
維新・橋下市長暴言から1年 私たちは問い続ける
日本軍「慰安婦」問題と安倍・橋下の歴史認識 集会参加者一同