12・14キャンドルナイト☆コンサートをふりかえって

連帯の灯りのもと 思いをひとつに 500人が結集

 関西ネットワークでは、韓国水曜デモが1000回を迎える12月14日にどのようなかたちで連帯できるかということを話合い、「1000回の運動の重みを振り返りたい」「被害者たちが生存しているうちに解決をみる最後のチャンスだという思いをひとつにしたい」「多くの人に『慰安婦』問題に関心をもってもらいたい」「幅広い年齢層、幅広い運動の人たちと『慰安婦』問題を共有したい」等々の思いがまとまりました。
 「寒い時期の夜間・野外での集会になるが、キャンドル集会にこだわり、極寒のソウルでデモを続けるハルモニたちに思いを寄せたい」「20年間1000回の歴史を心に刻み、解決に向けて思いをひとつにするための集会にしたい」ということも確認しあって、「キャンドルナイト☆コンサート」に向けて動き始めたのは10月初めのことでした。それから当日まで、電源確保から会場設営、コンサート、映像、キャンドル等々、スタッフみんなで知恵を出し合い、いろんな方のお世話になりながら準備をすすめました。
 12月14日は、好天に恵まれ、いつもの顔や懐かしい顔、若い方から高齢の方、学生等々、会場のあちこちで、いろんな出会いの場が出来ました。会場の扇町公園は街中なので気軽に集まってもらいやすく、仕事を終えてから駆けつけてくれた人もいました。オンマに抱かれた赤ちゃんもいました。夜間は冷えるので、高齢の方のために座席を設けたり、カイロを配ったりもしました。
 多彩な歌声と映像で
 オープニングは「歌声をひとつに−ハナ」メンバーによるミニコンサートで、オリジナルの映像をバックに韓国水曜デモ・テーマソング「パウィチョロン(岩のように)」などの歌と踊りで盛り上がりました。
 続いて、ゲストのはるまきちまきさん、安聖民
(アンソンミン)さん、志遠(チウォン)さんの連帯の思いのこもった演奏は、冬の夜空に響き渡り、心に沁み入るものでした。
 また、舞台にしつらえた大型スクリーンに「当日の韓国水曜デモ」「挺対協からのメッセージ」「水曜デモ1000回の闘いをふりかえって」「追悼」などの映像を映しました。当日にならないと様子がわからないため、その瞬間までハラハラどきどきだった当日の韓国水曜デモ映像も見事成功。ハルモニたちや「平和の碑」の除幕式の様子が映し出され、臨場感があり、韓国1000回デモとの連帯のイメージが視覚的にとらえられ、とても感動的でした。
はるまきちまきさん(左)は、特に3曲目に歌った、ちまきさんの代表曲で弱者への賛歌でもある「ちいさきものたちへ」で、私たちの魂をグッとつかみ離しませんでした。
安聖民さん(中央)はアリランのメドレーを歌いました。安聖民さんのいう「心の中のアリラン峠」を越えていくハルモニたちの姿を彷彿とさせました。
志遠さん(右)は日本軍「慰安婦」被害者の人生を歌った「鎮魂歌」で、被害者の受けた被害とその後の人生の理不尽さを思い起こさせました。
ゲストのお3方とも、被害者への思いを込めた、感動的なステージでした。ありがとうございました。
 連帯メッセージ
 元ナヌムの家スタッフの村山一兵さん、韓国からの留学生イェスルさん、労働者の立場からヨンデネットのメンバー、関西ネットのメンバーにもアピールをお願いしました。様々な立場の方に、日本軍「慰安婦」問題解決への思いを提起してもらえ、課題を共有することができました。とくにイェスルさんの「(「慰安婦」制度があったことを)ウソだとか言う人もいるけど、あんなにつらいこと本当にウソだったらよかったのに。でもウソじゃない」という内容の指摘は、多くの参加者の心に深く刻まれたと思います。
 「1000」の人文字 水曜デモのうた
 「キャンドルの人文字で1000を描いてみたい」という計画は、本当に実現できるのかどうか、たいへん不安でしたが、参加者のみなさんとスタッフの連携で、思っていた何倍も、大きく、きれいな「1000」ができました。キャンドルを参加者のほとんどに持ってもらうことで、「1000回に参加した」という思いを共有していただけたのではないでしょうか。完成した「1000」は、準備段階で引いた文字よりもはるかに大きなものになっており「こんなに多くの人が心を寄せている」という感動と、解決への希望が見えたような気がしました。
 終わってからの報道や反響で「1000」のキャンドル企画に、多くの注目が寄せられていたことも分かりました。
 多くの方々の協力を得て、準備段階から当日まで、本当に多くの方にご協力いただきありがとうございました。また当日は妨害行動もありました。たくさんの警察も来ていながら、私たちの舞台すぐそばまでの進入を許し、言いたい放題で耐え難い差別排外言辞を聞かされながらの準備作業でした。当日は、いろいろな行事が重なり、警備応援が望めないということでしたが、いつも来てくださる人たちが、早い時間から、また遅くなってからでも駆けつけ、後方にいてくださいました。キャンドルを持って人文字にも参加してくださいました。いろんな方の思いが重なって、あの美しい「1000」が描けたのだと思います。心から感謝しています。

12月15日の朝日新聞朝刊