今年こそ解決の年に!
私たちひとりひとりにその「責任」がある
〜 キル・ウォノクハルモニをお迎えして 〜


 2010年4月10日に尼崎市にて、吉元玉(キル・ウォノク)ハルモニと韓国挺身隊問題対策協議会の梁路子さんをお招きしての「4・10尼崎証言集会」がありました。主催は日本軍「慰安婦」問題を考える会・尼崎と、日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会の2者共催です。
 吉元玉ハルモニは昨年4月にも関西にお呼びする予定だったのですが、その時には体調不良で来日できませんでした。1年経って改めてお呼びすることが出来たのですが、1年前には93名おられたハルモニは現在85名にまで減ってしまいました。吉元玉ハルモニも、決して健康なわけではありません。それはお話の中からも、切実にと伝わってきました。
 ハルモニたちはこの20年間闘ってこられ、900回を超える水曜デモを行い、それでも「問題を解決するには足らない」と話されます。
 足りないのはハルモニたちの努力ではありません。足りないのは私たち日本に住む市民の成果であり、未だ政治状況を動かせるに至っていない私たちの社会の変化そのものです。
 この1年間で、日本の運動は何歩も進みました。地方議会の意見書・決議は17増え、現在21になりました。
 韓国の地方議会の決議もこの1年で急速に増えているし、国際機関でも勧告が引き続き出されています。それでも、私たちはまだ「解決」を手にしてはいないのです。
 悲しいことに、ハルモニたちに来年・再来年が存在するとは限りません。過ぎゆく1日1日が、取り返しのつかない時間になるかも知れないのです。
 韓国併合100年の今年こそ、なんとしてでも解決を、謝罪と補償、尊厳回復を、被害女性に届けましょう。


 私はこうやって自分の体験を人に話をするのですが、その話本当はは堂々と人に言えるようなものではない、とても恥ずかしい話です。そこには想像も出来ない苦痛、胸に詰まる苦しみがあります。
 でも本当に思うんですけれど、恥ずかしいのは私ではなくて、日本政府であり、韓国政府なのではないのでしょうか?
 私たちではなく、私たちを「慰安婦」にした人々が恥ずかしいことをしたということが分かって欲しくて、こうやって日本に来たり、世界中をかけずり回って、みなさんにお話ししています。

 私の話はここにいらっしゃるみなさんにとって本当に聞くに堪えない、聞くのも辛いことだと思います。なぜなら私は、とても幼い時期に連行されたからです。私は13歳で連行されました。まだ生理もない、子どもでした。軍人たちに襲われると、血が出てくるのですが、私は血が出てきて病気になったと思ったほどでした。先にきていたお姉さんたちに「病気ではない」と教えてもらったのですが、そんなことを教えてもらわなければならなかったほど、幼い子どもだったのです。
 私は13歳で何も分からないまま連れて行かれました。軍人がどういったものかも分からないまま。軍人によく殴られました。パーでなくグーで。本当に殴られ、殴られ、殴られて、脇腹なのか足なのか、どこが痛いのか分からないくらい感覚がなくなるまで殴られました。蹴られたときも、ただ蹴るだけじゃなくて、ぎゅっと踏みつけるんですよね。

 私の故郷は平壌なんですけれども、13歳の時に連れて行かれて、今も故郷に帰ることなく暮らしてきました。この長い人生で、私は何度も死のうと考えました。何度も死のうとしたんですけれども、思い通りに死ぬことも出来ませんでした。こうやって何とか今まで生きてきて、今年83歳になります。故郷から連れ去られて、もう70年の年月が経ってしまいました。その月日は、故郷のことを思いだす暇もない生活でした。私には両親と5人の兄弟がいるんですけれど、連れ去られたあの日以降、いまだ会えずにいます。私は5人兄弟の4番目で、兄が2人、姉が1人、弟が1人いるんですけれど、その兄弟たちに会いたいと思う暇すらないくらい、日々の生活に追われ続けていました。解放後韓国に戻ってきてからは、ずっと仁川で暮らしてきました。日々の追われる暮らしが本当に辛くて、今では身体の全てが、悪くないところがないというくらい、病気がちになってしまいました。韓国挺身隊問題対策協議会と出会って、挺対協の運営するウリチプで暮らすようになって、やっと安心して暮らせるようになりました。ご飯も毎日3食食べられるようになりましたし、ちょっとどこかが悪くなると病院にも連れて行ってもらえます。いろんな面倒をみてもらうようになりました。そういう安定した生活を送れるようになって初めて、こうやってみなさんの前で体験をお話しできるようになりました。

 私は「慰安婦」問題について、みなさんひとりひとりが「責任」を持っているのだと思います。その「責任」とは、私たちのような辛い経験をする人がこれから先絶対に生まれないようにすることです。その「責任」をみなさん一人一人が持っているのだと思っています。これからみなさんが一生懸命努力してくださることによって、次の世代の子どもたちのために戦争のない国をつくって欲しいです。みなさんにそういう気持ちを持って欲しいと願っています。
 まだまだ自分の体験を告白するのが難しい韓国社会の中で、234人の被害者が政府に申告して登録されています。その中でも、私が一番若いです。他の方は90歳を超えられたりしています。そして234名のうち、もう今では85名しか残っていません。私たちに残された時間は短いのです。
 韓国の日本大使館前で行ってきた水曜デモも、はじめてもう20年経ちました。913回目も水曜デモを行い、20年間運動を続けてきましたが、私たちはまだまだ力が足りません。どうしてもまだまだ解決が出来ません。そしてまだまだ真実が明らかになっていないのです。どんなに謝ったりとか、明らかになったりとかしても、私たちの傷が完全に癒えることはないでしょう。それでも「慰安婦」ということがウソではなかった、真実とはこういうことだったということを明らかにしてくれることによって、全ての傷は癒えなくても、少しでも心のシコリが取れるはずです。
 そういうことを願って、本当に高齢で辛いのですが、こうやってみなさんの前でお話ししているのです。

 日本政府が変わるために何が必要かでしょうか。日本の市民のみなさまが変わらなければならないと思います。日本の市民のみなさまが正しいことを主張して欲しいと思っています。
 今年は韓国併合100年です。韓国では安重根という、日本では伊藤博文を暗殺したテロリストと教えられているかも知れませんが、韓国では祖国のために闘った、その安重根が処刑されて100年という年でもあります。こういう100年という節目を迎えて、ただ単に100年という年を過ぎるのではなく、本当に日本政府がこの問題を100年を超えないうちに解決して欲しいと願っています。

 人というのはどうしても間違いを起こしてしまうものだと思うんですね。間違いを起こすことはしょうがないとしても、間違いを起こしてしまったことに対して聞こえないフリをしたり、見えないフリをしたりするのではなくて、間違いを謝り、正すことが大切だと思います。そうすることによって次の世代の若者たちが何のシコリもなく暮らしていけることが出来るようになるのではないでしょうか。それこそが、私が今望んでいることでもあります。
 私が日本政府に望んでいるのは、それほど大きな事ではありません。本当に心のこもった謝罪をして欲しいのです。そして心のこもった謝罪に基づく賠償を、国家としてなされなければならないと思っています。今まで日本政府が「謝った、謝った」と言っていても、それは口だけだったと思っています。口だけでなく、ホントの気持ちを示して欲しいです。

 そのためにも日本の中で現在「120万人署名」がされていると聞いています。これにあわせて韓国でも「50万人署名」が若者たちを中心に行われています。120万人は日本の人口の1%、50万人は韓国の人口の1%と聞いてるんですが、その数はそんなに簡単なものではないですよね。でもそういう努力が、私にとっては大きな力となっています。

 私の身体はあちこちの臓器が痛んでいています。本当に具合が悪いです。薬を飲んでも全然治らない。内臓の手術もしたことがあります。それでも私は今まで死にませんでした。他の人たちは「キル・ウォノクは本当に奇跡だ」といいます。死のうとしても死なない、痛みも耐えられないくらいですけれども、死なないんですね。身体に痛みがあっても死なないから、こうやってみなさんに会いに来ます。みなさんと会うことによって、自分の胸の中にある心のシコリを、ここに来てやっと出せる。ここに来てみなさんに会うことによって、私は元気をもらっています。

 私の話をキル・ウォノクの話ではなくて、自分がキル・ウォノクになったと思って聞いて欲しいです。あるいは私の両親であったり兄弟であったり友人であったり子どもであったり、そういうふうに想像して、感じて欲しいんですね――この痛みを。
 みなさんがこうやってこの場に来られて、話を聞いて下さってはいるんですけれども、やっぱり他人事じゃないですか。自分のことじゃないじゃないですか。私も実際そうです。他人と話をしていて同じように感じていても、家に帰ってみたら忘れてしまうことも多いです。でも、それでもお願いしたいです。私が経験したことを、自分の両親が経験したこと、自分の子どもが経験したこと、友人が経験したことというふうに思って、この痛みを感じてください。みなさんがそう感じてくれれば本当に嬉しく思いますし、本当に辛い体験をしたのだと分かっていただけると思います。
 そしてみなさんがこのことを、また別の人たちに伝えていくことによって拡がり、政治をやっている人たちにも届いて、この問題が早く解決するのではないかと思っています。
 特に今年こそは、みなさんのそういう努力が実を結ぶのではないでしょうか。そういうふうに信じて韓国に帰りたいと思います。