1926年 | 慶尚道梁山で生まれる ※絵画は金福童ハルモニが描かれたものです。 (梁山の我が家) (むかし) |
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1940年 | 満14歳のとき「軍服を作る工場で働く」と騙され、日本軍「慰安婦」として連行された。 (14歳の少女が連行された日) 中国の広東から香港、スマトラ、シンガポール、インドネシア、マレーシアと戦場を連れまわされ、性奴隷生活を強いられる。 あまりの苦しさに自殺を図ったこともあった。 (シンガポールの慰安所) (ジャワで) |
1945年 | シンガポールで日本軍第16軍所属第10陸軍病院に連れていかれ、看護師の訓練を受けて日本軍の看護をさせられる。 後に放り出されて米軍の捕虜収容所に収監された。 |
1947年 | 数え22歳で帰国する。 (解放後の金福童ハルモニ) (解放後の金福童ハルモニ) |
1992年 | テレビの報道を見て周囲の反対を押し切って日本軍「慰安婦」被害者として名乗り出る。 (若い日はどこに行ったのか、気がついたら白髪だった) |
1992年3月 | 金福童さん、被害申告 |
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1992年8月9-11日 | 第1回アジア連帯会議で初めて金福子という仮名で公開証言 |
1993年6月 | 世界人権大会(オーストリア・ウィーン)で証言 |
1990年代末~2000年代末まで | 釜山の自宅に閉じこもる |
2009年 | 緑内障の手術を受け、挺対協がソウルで運営する「平和のウリチプ」に移住 |
2009年4月 | 戦争と女性の人権博物館建設基金1000万ウォン後援 |
2011年3月 | 東日本大震災の被災者支援を提案、第1号寄付 |
2012年3月8日 | 挺対協と共に戦時性暴力被害者を支援するナビ(蝶)基金設立 |
2012年7月21日~8月2日 | 米下院決議採択5周年、LA地域に追悼碑を建立するための米国キャンペーン(ワシントン、 LA、カリフォルニア、グレンデール) |
7月30日 | 米カリフォルニア州グレンデール市議会から勇敢な女性賞受賞 |
9月21~25日 | 来日大阪集会/橋下市長に面談を求めるも登庁せず 初めて朝鮮学校を訪問(大阪生野朝鮮初級学校 |
12月8~10日 | 第11回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議(台湾台北) |
2013年5月17~27日 | 西日本巡回証言集会(沖縄、広島、岡山、大阪、奈良) |
5月24日(午前) | (午前)橋下市長との面談を拒否、(午後)大阪生野中級学校訪問 |
5月25日 | 証言集会「何度でも語る 歴史の真実はこれです!」ドーンセンター |
7月23~8月1日 | 米国証言キャンペーン(ワシントン、シカゴ、LA、グレンデール) |
7月30日 | 海外初の「平和の碑」米カリフォルニア・グレンデール除幕式に出席 |
9月9~13日 | 国連人権理事会(スイス・ジュネーブ) |
9月14~22日 | フランス・パリ・キャンペーン(9月18日、シャイヨ宮前でパリ初の水曜デモ) |
11月26日 | 『統一ニュース』後援感謝杯受賞 |
2014年3月7日 | 韓国軍の性暴力に遭ったベトナム人被害者に謝罪し、支援を訴える映像メッセージ発表 |
5月30日~6月3日 | 第12回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議(東京) |
2015年4月23日~25日 | 安倍首相の米国訪問を控えて緊急行動(東京) |
5月21日~24日 | 第13回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議(ソウル) |
5月 | 国境なき記者団とAFPが「自由のために戦う英雄100人」に選定 |
6月24日 | 戦争/武力紛争地域の子どもたちに奨学金として5000万ウォンをナビ基金に支援 |
6月25~7月7日 | 米国巡回キャンペーン(クリーブランド、ワシントン、バージニア、シカゴ) |
7月4日 | パレスチナ女性ラスミア・オデとの出会い、励ましとナビ基金伝達 |
7月11日 | ソウル特別市女性賞大賞受賞 |
9月8~26日 | 欧州キャンペーン(ノルウェー・オスロ、英国ロンドン、ドイツ・ベルリン |
12月10日 | 大韓民国国家人権委員会から2015大韓民国人権賞国民勲章叙勲 |
2016年5月18日~20日 | 第14回日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議(ソウル) |
6月12日~19日 | 国連人権理事会(ジュネーブ) |
8月30日 | 2015日韓合意につき韓国政府を相手に損害賠償請求訴訟 |
12月28日 | 日本政府の法的責任を問う損害賠償請求訴訟 |
2017年3月26日 | 突然の腹痛を訴えて救急救命室。大腸癌、結腸癌の診断後、手術 |
3月29日 | 戦争と女性の人権博物館「金福童、吉元玉は平和だ」像除幕式 |
7月6日 | 日本の朝鮮高級学校生徒2名に金福童奨学金授与 |
8月 | 死後に遺る全財産の寄付約定、遺言公証 |
9月26日 | ソウル特別市名誉の殿堂献額者に選定 |
11月23日 | 韓国の浦項地震被害者を支援するため1,000万ウォン寄付 |
11月25日 | 正義記憶財団から「100万市民が共にする女性人権賞」受賞 |
11月27日 | 女性人権賞の賞金5,000万ウォンを正義記憶財団に寄託、武力紛争地域の性暴力被害者支援と活動のため「金福童平和賞」を制定。 |
12月10日 | 国際女性人権団体である“Women's Initiatives for Gender Justice”、「ジェンダー平等遺産の壁」に挺対協と共同選定。 |
2018年1月5日 | 結腸癌再発、2度目の手術 |
2月13日 | 抗癌治療開始 |
6月9日 | 東京で一般社団法人希望のたね基金主催の集会に参加。朝鮮高級学校生6名に金福童奨学金を授与 |
8月14日 | 1回「金福童平和賞」授賞式(第1回受賞者:ウガンダ内戦時の性暴力サバイバーで人権運動家のアチャン・シルビア) |
9月3日 | 「和解癒し財団」の解散を求めて1人デモ |
9月27~29日 | 来阪、大阪無償化裁判高裁判決抗議集会で激励のあいさつ 翌日台風被害に遭った城北朝鮮初級学校・大阪朝鮮中高級学校を訪問し支援金を伝達 ※生前最後の海外活動 |
10月3日 | 日本軍性奴隷制問題解決のための1355回水曜デモ ※生前最後の水曜デモ |
11月22日 | 朝鮮学校支援のため残る全財産5,000万ウォンを「金福童の希望」に寄付 |
12月10日 | 「金福童の希望」名誉会長に就任 |
2019年1月2日 | 「正しい義人賞」受賞。賞金500万ウォンを「金福童の希望」に寄付 |
1月11日 | 健康状態悪化で入院 |
1月28日 | 逝去 |
1月28~2月1日 | 女性人権運動家・金福童市民葬 |