ここがポイント!
2011年12月、大阪府知事から大阪市長に転身した橋下徹氏は登・退庁時など頻繁にぶら下がり会見を行っていた。 2012年8月に韓国李明博(イ・ミョンバク)大統領が竹島(独島)に上陸、15日の光復節(植民地解放記念日)に「慰安婦」問題について日本政府の責任ある措置を求めたことを受け、橋下市長は「慰安婦という人たちが軍に暴行・脅迫を受けて連れてこられたと言う証拠がない」「そういうものがあったというのであれば、韓国の皆さんに出してもらいたい」と発言した。 ところが、「私が証拠だ」と韓国の日本軍「慰安婦」被害者である金福童(キム・ポクトン)さんが来日して訪問すると、事前に連絡していたにもかかわらず本人は登庁せずに面談を拒否した。 その後も会見で持論を述べ続けた。 橋下市長は2007年の安倍内閣における「強制連行を直接示す証拠はなかった」とする閣議決定を根拠に日本軍の関与と強制性を認めた1993年の河野官房長官談話を徹底的にこき下ろす。 河野談話は「談話」であり、閣議決定されていない、閣議決定と談話は「天と地の差」とまで言い放った。 言うまでもなく河野談話は国際社会に向けた日本政府としての公式立場であり、歴代首相に引き継がれ、現在も外務省のHPで公開されている。 自らの不見識を露わにしたと言えるだろう。 何よりも性暴力加害の側が被害者に「証拠を出して」という理不尽さと暴力性に唖然とさせられる。 |
河野談話は甘言や強圧など「本人の意思に反して」連行することを強制と定義している。 橋下氏は「強制性」の範囲を「暴行・脅迫・拉致」に狭めたうえで、それ以外は強制ではないとしている。 故に河野談話は最悪だと言ってはばからない。 こうした主張は人権や倫理に反するもので、行政の長としてあり得ない発言だ。 また、河野談話発表の過程で日本政府自身が各省庁と国内外の資料調査や関係者の聴き取りなどを経て強制性を認めるに至った経過も無視している。 そこまでして河野談話を否定する背景に安倍元首相の存在がある。 2012年「河野談話を見直す」として首相に返り咲いた安倍元首相だが、その後見直し発言を封印する。 アメリカをはじめ国際社会の批判を避けるためと思われるが、一方で河野談話の検証作業に着手する。 2014年に外部専門家らを集めて検証チームを構成し、河野談話が「韓日間の政治的妥協の産物」であり「強制動員の事実は確認できなかった」として河野談話の価値を低めようとした。 さらに談話で表明した「歴史の教訓として直視」「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意」は見事にひっくり返され、有名無実化されている。 |
橋下氏は軍の関与があったことは認め、その理由として現在風俗営業が公安委員会の管理下におかれているように、慰安所という施設の性質から公的な管理は必要だったと述べている。 これについて吉見義明さんは、公安委員会が管理する風俗営業は政府や自治体がつくったものではなく、公務員専用でもないのに対し、当時の軍は今でいえば公務員にあたり、軍人・軍属は公務員と言えるとし、国家が公務員専用の慰安施設をつくることは極めて異例であり、例えて言えば文科省が小中学校の先生のために専用の慰安所をつくれば大スキャンダルになる。 そういうことが平然と行われていたことにこの問題の本質があると指摘する。 しかし、橋下市長はまさにその大スキャンダルになりかねない発言をしている。 市職員の性犯罪抑止策として風俗利用推奨の議論を行うと発言、さらに子どもにもこういう解消策があることを伝えることが本来のアドバイスであると説いた。 沖縄の米軍司令官に対して風俗活用を勧めたことも非難の的になった。 男性の性は制御不能であり、女性を買うことは当然の権利、女性は男性にとって日常にある手軽なストレスのはけ口であり、性の道具と見下す驚くべき歪んだ認識だ。 こうした数々の暴言を繰り返しながらも発言の撤回や当事者への謝罪もないまま、現在もなおTV等公の場で発言を続けており、その意を汲んだ松井・吉村両氏による維新政治が続いている。 |
維新の会は2011年6月、いわゆる「国旗国歌法」を定め、府の施設は「日の丸」を常時掲揚し、教職員は「君が代」を起立斉唱するよう義務づけました。 さらに、翌2012年3月には「教育基本条例」と「職員基本条例」を定め、「君が代」起立斉唱の職務命令に3回違反した教職員は免職と決定しました。 「日の丸・君が代」を教職員に強制するのは、児童生徒に「日の丸」の前で「君が代」を歌って国家への忠誠を誓うことを当たり前と思わせるためにほかなりません。 こうした施策は、過去の歴史事実をなかったことにし、再び戦争への道を歩もうとする維新の会の本質を表しており、日本軍「慰安婦」被害女性たちの平和への願いを象徴する「少女像」への執拗な攻撃と繋がっています。 1991年8月14日、日本軍による「慰安婦」被害を告発した金学順ハルモニは、12月に証言のため来日し、日本航空の機体に描かれた「日の丸」を目にして、過去のいやなことが思い出され、非常に胸が苦しくなったと話されました。 「日の丸」は加害の象徴なのです。 金学順ハルモニは、1997年12月27日に亡くなられました。その少し前の7月に話された言葉を私たちは胸に深く刻みたいと思います。 「日本が戦争を起こしたせいで被害を受けた国が一つや二つですか? 自ら反省して一言でも謝罪すべきではないのか、人間ならば。日王(天皇のこと)が謝罪すべきで、他の日本人ではない。 謝罪を受けるまでは死ねない。」 |
5月13日の橋下暴言には、世界中からも多くの非難の声があがりました。 後に、橋下・吉村両大阪市長によって、サンフランシスコ(以下、SF)市民による「慰安婦」像設置への妨害圧力や、吉村市長によるSF市との姉妹都市関係の一方的な破棄が行われますが、実はそれらの端緒はこの頃にあると言えるのです。 国内外からの非難は高まる一方でしたが、橋下市長はさらに暴言を重ねながら開き直りを続けていました。 6月10~16日の間、松井府知事とともにニューヨーク市やSF市を公式訪問する予定がありましたが、橋下市長は5月28日、「この状況ではメリットがない」と中止を発表しました(※1)。 そのような状況を作ったことへの反省の言葉もなく、唐突な発表でしたが、5月22日にSF市から暗に訪問を断られていたということが、6月10日、明らかになっています(※2)。 6月18日、SF市議会はさらに「決議」をあげ、橋下市長の態度・発言を強く非難し、リーSF市長に、橋下市長に発言撤回や被害者への謝罪を求めることなどを要請しました。 これを受け、橋下市長は8月13日に長文の反論書簡をSF市議会に送り、発言を誤解しているとして、非難の撤回を求めました。 これが、維新の大阪市長によるSF市への最初の抗議・圧力の書簡です。 ※1 橋下市長は、キャンセル料は「公費で支出」と明言。松井知事は訪米しました。 ※2 2013年6月11日付の日本経済新聞の記事「橋下市長の『表敬受けず』 米SF幹部が非公式に伝達」は、ネット上で読めます。 |