日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク * 活動報告
東ティモールのエスペランサ・アメリア・フェルナンデスさん死去
<第9回アジア連帯会議(2008年11月)>
悲しいお知らせをしなければなりません。
東ティモール全国協議会より、日本軍性奴隷制の被害者エスペランサ・アメリア・フェルナンデスさんの訃報が届きました。
エスペランサさんは2008年にアジア連帯会議で来日されたほか、関西にも来られて交流会の機会を持ったことがありました。
心よりご冥福をお祈りします。
東ティモールの日本軍性奴隷制の被害者エスペランサ・アメリア・フェルナンデス(Esperança Amelia Fernandes)さんが亡くなられたとの知らせが、現地の団体であるHAK Associationのマリナさんから連絡がありました。
2021年11月6日午前3時50分に息を引き取られたと家族から連絡があったそうです。
エスペランサさんは東ティモール東部のビケケ県のウアトゥカラバウ(Uatucarbau)生まれで、ずっとそこに暮らしていました。
日本占領時代のある日、現地のリウライ(王)の家に11人の少女と一緒に集められ、そこからウアトゥビナロ(Uatubinaro)に駐屯していた日本軍部隊に連れていかれました。
そこで司令官らしきマタハリ(Matahari)という日本軍人の占有となりました。
(マタハリはマレー語/インドネシア語で「太陽」の意味。)戦後、日本軍の協力者だと疑われ、ポルトガル植民地政庁に捕らえられてイリオマール(Iliomar)に3ヶ月拘禁、その後ラウテン(Lautem)、バウカウ(Baucau)と移されました。
尋問中泣くと殴られたそうです。
最後は「日本軍は服を彼女に与えなかった」ということで、釈放されました。
ラウテンでは水がなく、道路の水たまりの水を這いつくばって飲んだといいます。
その後、結婚したものの夫は1999年8月、東ティモールが独立を決めた住民投票の最中に亡くなりました。
2008年1月に東京で行われた第9回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議に参加しました。
このところ、東ティモールのサバイバーの訃報が続いています。
エスペランサさんも体は弱くなっていましたが、気持ちはまだ元気なようでしたので、訃報はショックでした。
ご冥福をお祈りします。
松野明久
東ティモール全国協議会
2021年11月06日(土)
No.110
(訃報)
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