日本軍の「慰安婦」にされたインドネシア・サラティガ出身のパイニさんが、 1月15日、昨晩に逝去されました。
パイニさんは、1930年ジャワ島のサラティガ生まれ。
13歳の時から日本軍のために食料を集める手伝いや食事の準備などをさせられ、 夜になると強かんされるようになりました。姉のサルミさんも同様の被害にあったといいます。戦後も、村では「日本の使い古し」と呼ばれ婚約が破棄されたり しましたが、「私は使い古し」と言っても好きだと言う男性に出会い、 子どもにも恵まれました。
2015年10月、オランダの写真家、ヤン・バニングの写真展をwam主催で 開催しましたが、そのインタビュー調査を担当して本を出版した、 ヒルデ・ヤンセンさんが、パイニさんの曾孫さんから連絡があったと知らせてくれました。最期は、子どもや孫、曾孫に囲まれ、静かに息を引き取ったそうです。
パイニさんは、2015年にTBSの「報道特集」でも紹介されました。ヒルデさんが 最後に訪ねた2018年にも、日本政府が無視し続けることに憤り、希望を捨ててい なかったといいます。
ご冥福をお祈りします。
−アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)−
2020年01月15日(水)
No.14
(訃報)